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036_止まった時計と、止まらない私

「負けてなんていられないですね」


 孤児院から《銀の歯車》に帰ってきて、私はまっすぐに二階の物置へ駆け込んだ。

 そうだ。

 あの子に負けてなんていられない。


 満足な道具や部品さえ持っていない。

 年だって、私より下だ。

 そんな子でも手を傷だらけにしながら時計を直して、自分の望みを叶えた。


 だというのに私はどうだ。

 お金があればできたのに……なんて、私は言い訳をしていた。

 ダサい。


 本当にダサいな、私は。

 部屋を見渡す。

 棚には、綺麗に並べ直した時計たちが収められている。


 目を閉じ、耳を澄ませた。

 音はしない。

 ここにある時計のほとんどは、壊れているのだから。


 けれど、想像する。

 ここにある時計たちが、もう一度動き出したら、どんな音で時を刻むのだろう。

 目を開ける。


 孤児院の子は、壊れた時計を直して、欲しいものを手に入れた。

 私も、欲しいものは時計で手に入れればいい。

 目の前には、壊れた時計が山ほどあるのだから。


 ここは宝の山だ。

 私は両手で頬を叩いた。

 乾いた音が、静かな物置に響く。


「よし!」


 声を出し、気合も十分。

 強く叩きすぎて、頬が痛いけれど関係ない。

 ……やっぱり少し後悔した。

 今、鏡を見たら、私の顔は食べ物を詰め込みすぎたリスのようになっているのではないか。


 私って、こんなに力強かったっけ。


◇◇◇


 作業机の上に、五つの懐中時計を並べた。

 どれも表蓋のない、オープンフェイス型だ。

 取り出してすぐに時間を確認できる反面、ガラス面には傷が付きやすい。


 けれど表蓋がないぶん、価格を抑えられる。

 さらに、蓋の装飾によって好みが分かれることもなく、流行にも左右されにくい。

 見た目は少々地味だが、いつでも一定の需要が見込める。


 つまりは、この子たちは優等生ちゃんたちなのだ。

 お金が欲しい私にとって、売りやすいというのは何よりありがたい。

 物置にあった時計の中から、同じ型で、できるだけ傷が少ないものを選んだ。


 さて、まずは五つ子ちゃんたちの健康診断だ。

 どこの調子が悪いのか、見せてもらいましょうか。

 えへへ。


「ジーク、エルナちゃんに何か変なモノを食べさせてないでしょうね……? 不気味な声で笑っているわよ」


「それがエルナの個性なんじゃないのか? 僕は何もあげてないよ」


「考えてみれば、いつも通りかもしれないわね。そういうところも可愛いのだけどね」


「でも、カレンも集中して修理している時はあんな感じだよ」


「それって……可愛いってこと?」


「あはは! ……って、どうして叩くんだよ」


「自分の胸に聞きなさい」


 なんて会話が聞こえてきたけど、今は無視。

 そういえば前世でも、修理中の私は不気味だと言われていたことを思い出す。

 私は、独り言でも多いのだろうか。


 そんなことはないと思うけど……

 でも、修理中の時間感覚は結構曖昧だ。

 気が付いたら朝だった、なんてことは日常茶飯事だった。


 それも三日後の朝だった、なんてこともあったっけ……

 作業中のお供はコーヒーじゃなくて、栄養ドリンクだったな。

 炭酸はあまり好きじゃなかったので、ガラス瓶に入っているほうだ。


 この世界にはないのだろうか、栄養ドリンク。

 あのなんとも言えない甘さが好きだった。

 徹夜なんて、職人にとっては普通のことだろうから、意外とこの世界でも重宝されるのではないだろうか。


 あまり身体に良いものではないから、オススメはしないけど。

 なんて余計なことを考えながらも、分解する手は止まらなかった。

 今までの経験がそうさせるのか。


 それとも、今まで以上に、修理したいという気持ちが強いからなのか。

 気がつけば、一つ目の懐中時計は分解され、ムーブメントが取り出されていた。

 ムーブメントとは、文字盤の裏側、ケースの中に収められた、時計を動かす機械一式のこと。


 ゼンマイや歯車、魔石など、いくつもの部品からできている。

 それらの部品は、土台となる『地板』の上に並べられ、『受け』と呼ばれる板で上から固定されている。

 地板と受けで歯車の『軸』の両端を支え、部品を挟み込むような構造になっているのだ。


「この子は、軸石が割れていますね……」


 歯車の軸の両端を支える穴には、摩耗を防ぐために小さな石がはめ込まれている。

 もっとも、普通の石ではなく、宝石だ。

 今回、この時計に使われていたのは、赤黒く光る柘榴石(ガーネット)だった。


 一般的な時計には、紅玉(ルビー)が使われることが多い。

 それは、モース硬度が高く、軸が回転しても摩耗しにくいためだ。

 あとは、単に見栄えだ。


 高級な時計ほど、モース硬度が高く、見栄えの良い宝石が軸石に使われる。

 滅多に見たことはないが、金剛石(ダイヤモンド)なんてこともある。

 ちなみに、キーエルト殿下の懐中時計には金剛石(ダイヤモンド)の軸石が使われていた。


 宝石の種類とその数を見るだけでも、高い時計かどうかをある程度見分けることができる。

 今回の懐中時計に使われているのは柘榴石(ガーネット)で、使用数は四個。


「少なめですね……」


 石で支えられているのは、二本の軸だけ。

 前世では、軸石以外の石も含めて、十七個くらいが一般的だった。

 テンプにも宝石は使われるので、その差もある。


 本当に最低限の使用数だ。

 ちなみに、柘榴石(ガーネット)のモース硬度は種類によって7ほどで、紅玉(ルビー)は9だったりする。


「ケースには目立った傷がなかったので、ポケットか何かに入れたまま、どこかにぶつけたのでしょう」


 強めの衝撃があったのは間違いない。

 受けを外して、ほかの部品も見てみる。

 良かった……ほかには特に問題なさそうだ。


「割れた軸石を取り替えて、部品を洗浄。あとは油を差し直せば大丈夫ですね」


 言葉にするのは簡単だけれど、実際には結構神経を使う作業だ。

 時計の部品は、12歳の私の手からしても、かなり小さい。

 ピンセットでつまむのだって一苦労だし、精密ドライバーで傷をつけてしまうことだってある。


 一つの作業だって、気を抜けない。

 でも、だからこそ楽しい。

 古い油を拭き取り、歯車の汚れを落とす。


 元の場所に正しく戻し、新しい油を差す。

 故障の原因を見つけるのも、直し方を工夫するのも楽しい。

 歯車と歯車が噛み合って、また次の歯車を回していく。


 そうやって動きが伝わっていくたびに、私の小さな指先で、止まっていた時計が少しずつ息を吹き返していく。

 最後のネジを締めた。

 そして竜頭(りゅうず)を回してゼンマイを巻く。


 やがて時計から、小さな音が聞こえてくる。

 この瞬間、今までの苦労がすべて報われて、頬が緩む。


 ああ、好きだ。

 大好きだ。

 私は、時計が再び動き出すこの瞬間が、何よりも好きなのだ。


 作業机の上には、残りの懐中時計が四つ。

 まだ四つも残っているのではない。

 あと四つしかないのだ。


 早く次の中身を見たい。

 指先がうずうずしてくる。

 こんなに楽しい仕事を、私は他に知らない。


 時計職人の私が、時間を忘れてしまっていた。

 でも、時計を直しているときは許してほしい。

 これが私にとっての生き甲斐なのだ。


「次はこの子です」


 私は自分の欲望のままに、二つ目の懐中時計に手を伸ばしていた。


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― 新着の感想 ―
修理という過程を経てもう一度、息を吹き返す瞬間……最高ですよね!
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