035_三つの時計が帰る場所
「私をどこに連れていくつもりですか? ジーク先輩」
王都の中心部から少し離れた通りを、先を行くジーク先輩のあとについて進む。
歩くにつれて、背の高い建物や目立つ看板は減っていき、代わりに小さな工房や古びた商店が増えてきた。
こちらの方へ来るのは初めてだ。
王都の地理にも詳しくなってきたつもりだったが、案外そうでもないらしい。
初めて通る道は、なんだか少しわくわくする。
「僕が育った場所だよ」
ジーク先輩は振り返ることなく、そう言った。
「ですので、そこはどこなのでしょうか?」
「孤児院さ」
ジーク先輩の声は、変わらず涼やかだった。
後ろを歩いているため、表情までは分からない。
けれど、少なくとも、その声音は寂しそうには聞こえなかった。
「そこに何かあるのですか?」
「まあ、僕の過去があるね」
「抽象的ですね」
「具体的な思い出話でもした方がいいかな?」
「話したいのであれば、私はお付き合いしますよ」
どうせ聞くなら、歩きながらではなく、喫茶店にでも入りたい。
古びた時計が時を告げ、おいしいお菓子を出してくれるお店なら最高だ。
「あはは。エルナは僕に同情したりしないんだね」
「同情? どうしてですか?」
「今日初めて会ったばかりの人から、孤児院で育ったと聞かされたら、少しくらい距離を感じるものだろう? あまり人に話すようなことでもないしね」
なるほど。そういうことでしたか。
「身寄りがないことは、悲しいことだと思います。でも、その悲しみは本人にしか分かりません。私が分かったような顔で同情するのは、少し違う気がします」
「そうか」
「はい」
私たちの足音だけが、通りに響く。
けれど、それもほんの少しの間だけだった。
すぐにジーク先輩が口を開いた。
「カレンには、悪いことをしたかな?」
「そうですね。この件を一番気にしていたのは、カレン先輩ですから」
「だよね」
「でも、仕方ありません。ジョセフ工房長が、カレン先輩に店を空ける許可を出しませんでしたから」
「日頃の行いか」
その問いかけは、少し白々しかった。
カレン先輩が来られないことを、最初から見越していたはずだ。
「そういう部分も、ないとは言えませんね」
「まあ、いいよ。カレンには、あとで僕から全部話すから……」
そう言うと、ジーク先輩は歩調を少し緩めた。
「孤児院までは、もう少し歩く必要がある。聞かせてもらってもいいかな。エルナの考えを」
何について、とは聞かなかった。
同じ型の三つの時計が、なぜ同じ時期に売られたのか。
その私の考えを聞くために――そして、それをほかの人には聞かせたくなくて、私を外へ連れ出したのだろう。
「分かりました……」
私は一つ咳払いをして、調子を整える。
「まずは、どこから話せばよいでしょうか?」
「じゃあ、まずは『誰が』からかな」
「分かりました。では、『誰が』から。時計を売りに来たのは、仕立て屋、宝飾屋、菓子屋――それぞれの店で働く三人の女性です」
「そうだね」
「彼女たちの共通点は、客に商品を売る仕事をしていることです。ですが、それだけでは三人が同じ型の時計を持っていた理由にはなりません」
「となると問題は、その女性たちがどうやって時計を手に入れ、なぜ同じ時期に売りに来たのか、だね」
「はい。彼女たち同士に直接の関わりがないのだとすれば、三人をつなぐ第三者がいるはずです。その人物が、三人それぞれに時計を渡した。そして三人は、受け取った時計を自分たちの判断で《銀の歯車》へ売りに来た。そう考えれば、辻褄が合います」
おそらく、三つのお店から一番近い時計屋が《銀の歯車》だったのだろう。
「なるほど……でも、それは少し飛躍してるね。その第三者は、どこから出てきたんだい?」
ジーク先輩は容赦なく、私の論理の弱いところを突いてくる。
「三つの時計は、すべて同じ人物が修理しています。部品の選び方や直し方にも同じ癖があったのはお店で説明した通りです。しかも、同じ型の三つの時計が、接点のない三人から、わずか二日の間に持ち込まれています」
「偶然ではないと?」
「はい。三人が偶然同じ型の時計を持ち、偶然同じ人物に修理を頼み、偶然同じ時期に《銀の歯車》へ持ち込んだと考えるより、修理した人物が三人に時計を渡したと考える方が自然ではありませんか?」
「つまり、その第三者が、すべての筋書きを書いたわけだ……」
「はい。少なくとも、私はその可能性が最も高いと考えています」
「じゃあ、その第三者は?」
「その第三者は、十歳以下の子供です」
「ただの子供ではなく、十歳以下か……どうしてそう思うんだい?」
「最初にそう考えたきっかけは、あの未熟な時計修理です」
幼い手で必死に時計を直す姿を想像すると、思わず頬が緩んだ。
「でも、それだけでは年齢までは分からないだろう? 技術が未熟なだけの大人かもしれない」
「もちろん、それだけでは断定できません。ですが、十歳以下でなければ、こんな回りくどいことをする必要がないんです」
「どうしてだい?」
「三人はいずれも、商品を売る店で働いています。おそらくその子は、欲しい品物の代金として時計を渡したのでしょう」
「物々交換か」
「はい。ですが、十一歳以上なら、先に時計屋で時計を売り、現金に換えれば済みます。わざわざ三人の女性に時計を渡す必要はありません」
私は、今日受けたばかりの時計職人試験を思い出す。
試験には、十歳以下の子供から時計を買取ってよいかを問う問題があった。
規則上、禁止されている行為だ。
今日の試験でも出てきたのだ、さすがに記憶違いということもない。
「きっと、その子は最初に時計屋へ売りに来たのだと思います。十歳以下の子供から時計を買取れないなんて、幼い子なら知らない可能性の方が高いですから」
現に、私も教本を読むまで、そんな規則があるとは知らなかった。
「ですが、買取を断られてしまった……」
ジーク先輩は、しばらく何も言わなかった。
やがて、小さくため息をつく。
「そんな幼い子が……誕生日プレゼントとケーキを買うために時計を売りに来たのに、その時計職人は買取を断ったわけだ。きっと、対応した時計職人は、心のない最低野郎だったんだろうな」
私はまだ、その子が何のために時計を売ろうとしたのかまでは話していない。
それなのに、ジーク先輩は「誕生日プレゼントとケーキ」と口にした。
つまり、その買取に対応したのは――
「最低だとは思いません。規則は守るためにあります。その時計職人は、正しいことをしたのだと思います」
「正しいことが、必ずしも良いこととは限らないよ。きっと、カレンが対応していたら違ったはずだ」
ジーク先輩は、拳を強く握りしめていた。
その強い感情は、自分への怒りなのか。
それとも、カレン先輩なら違う結果にできたかもしれないという悔しさなのか。
規則を真面目に守るジーク先輩と、臨機応変に別の道を探せるカレン先輩。
「そうですね。カレン先輩なら、にこにこしながら規則の抜け道を探したかもしれません……でも、それはジーク先輩が優しくない証拠にはなりませんよ」
「優しい? 僕が?」
「はい……」
「どうしてだい?」
「だって、その子に、こんなことを教えたのではありませんか?」
もちろん、これは私の想像にすぎない。
おそらくジーク先輩は、買取を断ったあと、その子にこう付け加えたのだ。
――時計には、それ自体に価値がある。お金には換えられなくても、時計との物々交換に応じてくれる店はあるかもしれない
と。
「買取を断られたばかりの幼い子が、物々交換なんて、すぐに思いつくとは考えにくいですから」
「……そうか」
「はい」
ジーク先輩の握りしめていた拳が、ほんの少しだけ緩んだ。
すると、ジーク先輩は足を止め、こちらを振り返った。
「聞いてもいいかい……」
「なんでしょうか?」
「どうして、僕がその子の対応をしたと分かったんだい?」
「態度でバレバレです」
「えっ? 本当に!?」
ジーク先輩が、今日一番の驚きっぷりを見せた。
「はい。ジーク先輩は、隠し事ができないタイプですね」
「参ったな……自分ではクールだと思っていたのに」
「クールな人は、ご自分でクールだとは言いませんよ」
ジーク先輩も、意外と残念なイケメンなのだろうか。
お母様の忠告が脳内をよぎる。
『エルナ、絵になる男には気をつけるのよ』
なんとなく、身震いがした。
「そうなのかい?」
「はい……まあ、疑問を持ったのは、もう一つ手がかりがあったからなのですが」
「それはなんだい?」
「薔薇のレリーフが施された同型の懐中時計が、物置には一つもなかったことです」
《銀の歯車》の物置を整理した際、そこにあったすべての時計を確認した。
膨大な数だったが、あの薔薇の意匠が施されたものは一つもなかった。
同じ型の時計が三つも同時に持ち込まれたのだから、ある程度まとまった数が作られた型なのだろう。
それなのに、物置には一つも残っていない。
もちろん、世界中の時計があの物置に集まっているわけではない。
たまたま一つもなかっただけかもしれない。
けれど、もともと複数あったものを、誰かが同じ型だけ選んで持ち出した可能性もある。
そして、ジーク先輩はあの時計へ妙な愛着を示していた。
「もしかして、エルナ……君は、物置にあった時計を全部覚えているのかい?」
「時計なら、一度見たものを忘れる方が難しいと思います」
「あはは、どうしてだろうね。エルナなら、それくらいできてもおかしくないと納得してしまいそうだよ」
「……事実なのですが」
なんだろう。
その引きつった表情は……
不思議だ。
「まあ、そうか……それが手がかりになったのか……」
「はい。もしかしてですが、あの三つの時計は、もともとジーク先輩が持っていたモノなんですか?」
「そういうことになるかな……あの型は、物置に十個ほどあったんだ。部品も標準的で値段も安かったから、ちょうどよくてね。ほかの時計も含め、かなりの数を持ち出したよ。もちろん、代金はきちんと支払ったよ」
安価な同型の懐中時計を、それほどたくさん欲しがる理由。
そして私たちが今向かっている場所を考えると思い浮かぶものは、一つしかなかった。
「孤児院の子供たちに、時計の修理を教えていたのですね」
「あはは、そこまでバレちゃったか……恩返しのつもりだったんだ。僕にできるのは、壊れた時計を寄付して、それを直す技術を教えるくらいだからね」
「では、時計を売りに来た子は、ジーク先輩が教えた子なのですか?」
ジーク先輩は横に首を振った。
「いや、記憶が正しければ、直接教えた子ではない。おそらく僕が教えた子から、さらに別の子へと修理方法が伝わったんだと思う」
「その子は、人づてに教わった修理方法だけで、時計を直して動かしたというのですか」
「そういうことになるね……時計を売りに来たその子の手は、傷だらけだったから……」
すごい執念だ。
そして、すごく頭の回る子だ。
その子は、時計を直せば価値のある品になると理解し、必要な知識を周囲からかき集めた。
そして傷だらけの手で、実際に三つもの時計を動かしてみせたのだ。
「なるほど……だから私が『未熟』と言ったとき、少し怒っていたのですね」
直接教えたわけではなくとも、自分から伝わった技術で、傷だらけになりながら時計を直した子を未熟だと評されたのだ。
腹を立てるのも無理はない。
「怒ったつもりはないのだけどね……」
ジーク先輩は、頭をかいてごまかそうとする。
「今からその孤児院へ行って、何をするのでしょうか?」
ジーク先輩は、懐から時計を三つ取り出した。
今回の件の発端となった、三つの懐中時計だ。
「この三つは、さっき僕が買い戻した」
そう告げたジーク先輩の顔には、憑き物が落ちたような、すがすがしい笑みが浮かんでいた。
そして、大切そうに三つの時計を握る。
「この懐中時計を、もとの場所へ返そうと思ってね」
その顔は無邪気な少年のようだった。
「その方が、時計も喜びそうですね」
私もつられて、笑っていた。




