032_もう一人の先輩と三つの薔薇の懐中時計
「こちらがジークです。そしてこちらがエルナちゃんです」
紹介は以上らしかった。
分かったことは名前だけ。
単純明快で、実に覚えやすい。
「えっと、カレン先輩の紹介の通り、エルナです。エルナ・バルシュミットと申します。三か月前から、こちらで働いています」
「僕はジーク……って、三か月前から?」
「はい。週に一度程度ですが」
「週一……じゃあ、もしかして、この三か月間、エルナさんの出勤日と僕の休みが、ずっと重なっていたのか」
「そうだと思います。あと、私は後輩ですので、エルナとお呼びください。ジーク先輩」
「そうかい?」
「はい」
「じゃあ……エルナ」
ジーク先輩はそう口にすると、照れくさそうに頬を掻いた。
「なんだか、意外と恥ずかしいな」
正直、こちらも意外だった。
整った顔立ちをしているので、女性の扱いには慣れているものだと思っていた。
「あら、ジーク。私を呼ぶときとは、随分と反応が違うわね」
すかさず、カレン先輩からツッコミが入る。
「まだ会ったばかりなんだ。いきなり君と同じようには話せないよ。それよりカレン! どうしてエルナのことを今まで教えてくれなかったんだ」
私も心の中で「そうだ、そうだ」と加勢する。
「忘れてた!」
カレン先輩は悪びれもせず、ぺろりと舌を出した。
「ほかに忘れていることはないだろうね?」
「分からないわ。忘れていることを覚えていたら、そもそも忘れてないでしょう?」
「なら、忘れないための努力をしたらどうだい?」
「最初はしてたんだけど、そのやり方を忘れたのよ」
「カレン……君はどうやって今まで生きてきたんだ」
「この腕一本で生きてきたわ」
カレン先輩は片腕を曲げ、得意げに力こぶを作った。
まるで答えになっていない。
けれどジーク先輩は、諦めたように深いため息をつくだけだった。
どうやらこのやり取りも、二人にとっては日常らしい。
「君の相手をするのは、もう疲れたよ……」
「何を言ってるの? 相手をしてあげてるのは私よ」
どうあっても、主導権は渡したくないらしい。
ジーク先輩はカレン先輩への追及を諦めたのか、今度は矛先を変えた。
「ジョセフ工房長もですよ! エルナが働き始めたことくらい、僕にも一言あってもよかったのでは?」
我関せずとばかりに、工房の一番奥にある作業台で黙々と手を動かしていたジョセフ工房長が、顔を上げた。
今日は、どんな時計を直しているのでしょう。
あとで覗きに行きましょう。
「すまん、忘れてた」
ジーク先輩は片手で目元を覆い、天を仰いだ。
「二人そろって勘弁してくださいよ……」
◇◇◇
「そういえば、ジーク先輩」
私は自分の作業台の前に座り、ふと先ほどのことを思い出した。
「なんだい?」
「先ほどは、ずいぶんと慌ててお店を飛び出していましたが、何かあったのですか?」
「ああ、それは実はね……」
ジーク先輩は、少し困った様子で頬を掻いた。
すると、カレン先輩が代わりに口を開いた。
「そうそう、聞いてよ、エルナちゃん! ちょっと不思議なことがあるんだよ!」
「不思議ですか?」
それと、ジーク先輩が飛び出したことに何か関係があるのでしょうか?
「うん。説明するよりも見てもらった方が早いね」
カレン先輩は立ち上がって、棚の中を探り始めた。
手のひらよりも少し大きめの木箱を取り出し、私の前に置いた。
中には、三つの懐中時計が入っていた。
私は、そのうちの一つを手に取る。
「……懐中時計ですね。それに、三つとも同じ型でしょうか? 表蓋には、どれも同じ薔薇のレリーフが施されていますね」
「そうなのよ! 三つとも同じなのよ! 不思議でしょ?」
鼻息を荒らげながら、カレン先輩が顔を近づけてくる。
「いえ、別に」
同じ型の時計なら、二階の物置にもたくさんあった。
こちらの世界でも、同じデザインの時計が複数作られること自体は、別に不思議ではないはずだ。
「ごめん、ごめん。説明不足だったわ。その時計はこの二日間のうちに持ち込まれたのよ! しかも、別々の三人から!」
「……別々ですか?」
同じ人が、同じ型の時計を三つ持ってくるのなら、別におかしくはない。
けれど、別々の三人となると……さすがに偶然で片づけるには少し引っかかる。
「しかも、三人とも女性ってこと以外、これといった共通点がないのよね。買い取りのときに名前と年齢は控えてあるんだけど……これだけじゃ、知り合いかどうかまでは分からないけど、少なくとも台帳を見る限りではつながりはなさそうなのよ……流行っている型の懐中時計でもないし……」
カレン先輩は人差し指を顎に当て、こてんと首をかしげた。
「私が来る前にいた茶髪の女性が、三つ目の時計を持ってきた。その人から事情を聞こうとして、ジーク先輩が店を飛び出した……ということですか?」
「正確には、私がこの話をジークにしたらすぐに急いで飛び出していったって感じね。私がお客様に理由を聞けばよかったんだけど……修理じゃなくて買い取りだったから、あんまり詮索するのもどうかなって思って……ああ、でも、こうして悩むなら、やっぱり聞けばよかった!」
カレン先輩は今さら頭を抱えた。
「ジーク先輩は、どうしてこの三つの時計が気になったんですか?」
「うん……ちょっと思うところがあってね……買い取りの対応を僕がしていればよかったんだけど……」
どうして気になるのか、その理由までは答えてくれなかった。
でも、どうやらカレン先輩とジーク先輩では、気になっているところが少し違うらしい。
カレン先輩が気にしているのは、同じ型の時計が立て続けに三つも持ち込まれたこと。
でもジーク先輩は、時計よりも、それを持ち込んだ人のことが気になっているのだと思う。
そうでなければ、カレン先輩から話を聞くなり、時計も確認せずに、わざわざ店の外まで追いかけたりはしないはずだ。
「確認ですが……この三つの時計は、どれも修理ではなく、買い取りで持ち込まれたということでよいでしょうか?」
「ええ、そうよ。ちなみに、三つとも私が買取の対応をしたわ」
「なるほど……そうですか」
「どう? 何か分かった?」
「いえ、今のところ、まったく分かりません。ですが……」
「ですが?」
「とても興味深いです!」
「だよね!」
「はい!」
私とカレン先輩の心が通じ合った。
そして、そのまま勢いよくハイタッチをする。
「ということで……この三つの時計、分解してもよろしいでしょうか!」
時計のことを知るには、分解するのが一番です。




