031_空白の三か月
いつもの安酒場『竜の胃袋』で、昼食を食べ終えた。
代金は給料日にまとめて支払う約束で、ツケてもらっている。
この自転車操業とも、早くおさらばしなければならない。
このままでは、いつまで経っても苦しい金欠生活から抜け出せない。
銀の歯車で働き始めて、もう三か月が経った。
最初の一か月は、ほとんど二階の片付けに費やされてしまった。
その間、一日だけ、お姉様三名と、その荷物持ちのゲオルク兄様が手伝ってくれた。
監督タイプ――現場ではあまり働かないマルタ姉様は、数分で埃まみれの物置から姿を消した。
聞くところによると、その日だけで、王都で男女を五組も結びつけたらしい。
少しは自重してほしいものだが、その才能はバルシュミット領で燻ぶらせておくには惜しいと思った。
例えば、マルタ姉様が現代日本に転生すれば、少子化問題の救世主になれたかもしれない。
対して、ハンナ姉様とリーゼ姉様はなんとも手際よく片付けを進めてくれた。
二人でマルタ姉様百人分くらいの働きだ。
おかげで残っていた物置の片付けは、その日でほとんど終わらせることができた。
ちなみにゲオルク兄様は、ジョセフ工房長と筋肉の話で盛り上がり、全然手伝ってくれなかった。
どうして男性は筋肉が好きなのでしょうか。
私にはさっぱり分からなかった。
そんな調子で最初の一か月は過ぎ、時計職人らしい仕事はほぼできなかった。
私が本格的に時計に触れるようになったのは、二か月目の後半くらいからだ。
もちろん、試験に合格していない私は、お客様から依頼を受けて時計を修理することはできない。
そのため一日の大半を、魔石の代わりとなるテンプの開発に費やしていた。
テンプは、大きく分けて重りとなるてん輪と、ひげゼンマイという二つの部品からできている。
てん輪は、規則正しく往復運動するためのおもりであるため、既存の金属加工技術でも作成はできそうだった。
問題はひげゼンマイだ。
ひげゼンマイは名前の通りヒゲのように細く、厚さを均一にする金属加工技術が必要となる。
最後は、その一本の細い金属を、間隔が全く同じになるように渦巻き状に巻き上げる。
ひげゼンマイの復元力が、てん輪を左右へ規則正しく往復させるのだった。
精度の高い時計を作るには、このひげゼンマイの加工が非常に重要となる。
しかし、この世界にはテンプがない。
そのため、ひげゼンマイを安定して作れるほどの精密な金属加工技術は、まだ確立されていなかった。
一度、ひげゼンマイではなく、普通のゼンマイをつくる工場を訪れてみたが、
「面白い発想だ……が、悪いが金にならない仕事は引き受けられないな」
と、断られてしまった。
職人に依頼できるだけのお金があれば、どうにかなったかもしれない。
でも、私は貧乏だ。
誇るようなことではないが、恥じるべきことではない。
お金がないなりに、自分で工夫をすればよいのだ。
見た目は12歳、頭脳は大人。
そんな私が考えついたのは、異世界ならではの素材を利用することだった。
もしかしたら、この世界には髪の毛ほど細く、何度曲げても同じように元の形に戻る素材が存在するのではないだろうか。
前世でそんなものを探そうとすれば、素材の開発から始めなければならない。
でもそんなのは、個人の時計職人ではなく、研究所のお仕事である。
しかし、ここは異世界だ。
火を吐くトカゲがいて、水面を滑るスライムがいる。
ならば、ひげゼンマイにうってつけの毛や糸を持つ魔物がいてもおかしくないはず。
問題は、どうやってそんな都合のよい魔物を探すかだった。
そして、その日から私の冒険者ギルド通いが始まった。
結果として、見つかった。
ひげゼンマイに使えそうな、理想的な素材が。
けれどそれは非常に高価で、入手難易度が高かった。
アストラルスパイダーという蜘蛛型の魔物。
それが吐く糸は、髪の毛よりも細く、それでいて驚くほど丈夫。
そして、何度曲げても元の形に戻る、強い弾性を持っているとのこと。
ただ、迷宮の吹き抜けや断崖などの足場のない場所に巣を作る。
そのため、依頼の難易度はBランク以上となり、報酬もその分高くなる。
私の手持ちでは、一番下であるFランクの依頼報酬を用意するのがやっとだった。
一度、なけなしのお金を使い、アストラルスパイダーではない低級の蜘蛛型魔物から、糸を採取してもらったことがある。
糸を撚り、薬液に浸して強度を上げてみた。
けれど、細く加工すればすぐに切れ、太くすれば満足に伸縮しなかった。
ようやく形にしてみたが、数時間で伸縮性を失って伸び切ってしまった。
やはり代用品は代用品。
残ったのは作業台の上に積み上がった試作品と、軽くなった財布だけだった。
でも、諦めるという言葉は浮かばなかった。
楽しい。
試作品を作っているときの私の胸は、ずっとドキドキしていた。
こんな生活を私は求めていたのだ。
最初から成功する必要なんてない。
むしろ、失敗こそが次の成功へのチャンスだ。
寝不足でも、髪がボサボサでも、手が傷だらけでも、そんなの関係ない。
私は今を全力で生きている。
それがなによりも嬉しかった。
カレン先輩は少し引いていたけど……
とにかく、それからも私は冒険者ギルドには足繁く通った。
相場を知らない、とてもとても親切な冒険者……ではなく、将来有望な時計職人に投資してくれる、先見の明にあふれる冒険者を探すため。
結果として、アストラルスパイダーの銀糸を入手することはできなかったが……
冒険者は顔が広いからか、彼らと仲良くなったことで王都でも話しかけられることが増えた。
これが時計職人として名を上げた結果なら嬉しかったが、マスコットみたく扱われている感じだ。
と、こんな風に私の三か月は過ぎていったのだった。
短いような長いような。
そんな日々だった。
なんて思い返しながら歩いていると、銀の歯車が見えてきた。
「実家のような安心感ですね」
王都の大通り沿いに建つ、間口がやや狭く奥行きのある三階建て。
ここ三か月で、もはや見るだけで安心感を覚えるほど、親しみを持つようになっていた。
王都にはあまり土地の余裕がなく、裏口などは用意されていない。
そのため従業員である私たちも表の扉から出入りをする。
店の前まで歩き、扉の取っ手へ手を伸ばす。
その瞬間、カランカランとドアベルが鳴り、扉が内側から開いた。
「あら、ごめんなさい」
出てきたのは、白いエプロンをつけた若い女性だった。
茶色の髪を後ろでひとつに束ねている。
「いえ、私の方こそ申し訳ございません」
きっと銀の歯車のお客様だったのだ。
頭を下げる。
女性は優しそうな笑みを浮かべて、脇を通り過ぎていった。
すれ違いざま、甘い香りが鼻先をくすぐった。
香水というより、焼きたてのケーキに近い。
それに――
「あの女性……どこかで見たことがあるような……」
遠ざかっていく茶髪の女性を目で追いながら、記憶を探る。
いったい、どこで見たのだろうか。
そして店の前に突っ立っていると、背後でまたドアベルが鳴った。
今回の音は大きめだ。
つまりは、扉が激しく開けられたということで……
扉の前にいる私は邪魔な存在というか、障害物になるわけで……
驚いて振り返った、その瞬間。
「おっと!」「きゃあ!」
もちろん、「きゃあ!」と叫んだのは私です。
身体が後ろへ傾く。
けれど倒れるよりも先に、片腕が私の背中に回り、もう片方の手が腕をつかんだ。
「大丈夫ですか?」
目を開けると、すぐ目の前に見知らぬ男性の顔があった。
とても近い。
さらりと額にかかる黒髪。
涼しげな目元に、すっと通った鼻筋。
そして片方の目の下には、小さな泣きぼくろがあった。
綺麗な顔をした人だ。
視線が重なる。
転びかけたせいか、心臓が一度、ドクンと大きく鳴る。
――そして、遠くから時計塔の鐘の音が響いてくるのだった。
【バルシュミット家の情報通・マルタ姉様の小話⑤】
どうも〜。王都で五組ものカップルを成立させた、恋の仲人・マルタ姉様ですよ〜。
ちょっとしたコツがあるの。お互いに好きなのに言い出せない男女と、誰かに恋をしたくてうずうずしている男女とでは、目の動きがまるで違うのよ〜。
でも、その先は秘密よ〜。
それにしても……あらあら、まあまあ〜。
とうとうエルナにも春が来たのかしら〜。
アルちゃんはどうするのかしらね〜。このままだと、何も始まらないうちに過去の男になっちゃうわよ〜?
アルちゃんは裏方に回ってばかりだから、肝心なところで詰めが甘いのよね〜。
困ったら、私のところへ相談に来るといいわ〜。実績は十分でしょう〜?
「おやおや、私のいないところで、ずいぶん愉快な話をしているね」
「あら〜。噂をすれば、過去の男が来たわ〜」
「過去? なんのことだい?」
「そこが問題なのよ〜」
「いったい、何が問題なんだい?」
「まだまだ勝負はこれからよ〜。頑張るのよ〜」
「だから、なんの勝負だい?」
「あらあら〜。本当に、まだまだ先は長そうね〜それでは皆さん、また次のお話でお会いしましょうね〜」
「いや待てくれ、話はまだ——」




