027_水遊びとパーティーです
「それで断ることにしたんだ。どうしてなの?」
強い陽射しが降り注ぐ、暑い日の昼下がり。
私とリーゼ姉様は、近くの小川に素足を浸して涼をとっていた。
ここまで綺麗に透き通った水は、前世で住んでいた東京ではまず見ることができない。
「付き人なんて、とても私に務まるとは思えません。それに――」
「それに?」
「やっぱり、時計を触っている時が一番楽しいんです」
右足で水面を蹴る。
跳ね上がった水滴が陽の光を反射して、きらきらと輝いた。
「エルナは真っ直ぐな性格だものね。時計しか見てないのかしら」
「せっかちで時間にうるさい人みたいですね」
「時計と食事の時以外はのんびり屋のエルナが? まさかね」
「私、早食いでしょうか?」
「少なくとも、姉妹の中では一番ね」
リーゼ姉様は白いワンピースの裾をつまみ上げ、川に足を浸したまま立ち上がった。
「でも、日中は銀の歯車で働いてもよかったんでしょ?」
「はい。ですが、夜もお仕事ですよ。仕事中は時計のことを考えられませんし……でも、一番の理由は他にあります」
水面を見ていたリーゼ姉様が、顔を私に向けてくる。
「あら、じゃあ、その一番の理由は何?」
私はアル兄様に馬車の中で言われたことを思い出す。
「アル兄様は、私を守るためにティアの付き人になるよう言ったんです」
「守る? エルナ、まさか危険なことをしようとしてるんじゃないでしょうね!」
声を上げ、眉間に皺を寄せるリーゼ姉様。
リーゼ姉様は、姉妹の中で一番真面目だ。
私とマルタ姉様は、よくリーゼ姉様に叱られていた。
過去形ではなくて現在進行形か。
そんな私たちが、リーゼ姉様の悩みの種なのだろう。
「危険ではないですよ……魔石を使わない時計を作ろうとしているだけなので。ただ、魔石に関わる商人や職人から反感を買う可能性はあります。公爵家に仕える人間になれば、簡単には手を出されないと、アル兄様が言っていました」
「まあ、言ってることは正論だと思うわ……そう言われて、なんで断っちゃったの? 引き受けた方がよかったんじゃない?」
「そうでしょうか?」
小川の水は、絶えることなく私たちの足の間を流れていく。
「私は、守られるだけの立場でいいんでしょうか?」
「……」
「魔石を使わない時計を作ろうとしているのは私です。なら、そのせいで生じる危険にも、私が向き合うべきだと思います」
「……エルナ、あなたはまだ子供なの。責任は大人が取るものよ」
「大人か子供かは関係ありません。自分の力で乗り越えたいんです……」
「周りの人が助けたいと思ってくれるのも、私はエルナの力だと思うけれどな……」
「仮にそうだとしても、友達を利用するのは嫌です……」
ここだけは譲る気がなかった。
アル兄様の言い分は分かる。
けれど、できれば最後まで私の力を信じて欲しかった。
守ろうとしてくれる気持ちは嬉しい。
でも、私は素直にその手を取ることができない
私だって何も考えていないわけではないのだ。
「そっか……私の妹は強情な子に育ったのね」
「強情でしょうか?」
「うん、強情ね……でも、優しくて真っ直ぐ……。マルタ姉様みたいなことを言うようだけど、結婚には苦労しそうなタイプね」
「そうですね、苦労しました……」
一瞬、前世で一度だけ参加した婚活パーティーを思い出した。
あの時に飲んだワインの苦さは、今でもはっきりと覚えている。
そう思うと、久しぶりに晩酌をしてみたい。
ハイボールとはんぺんチーズが最高の組み合わせだったのだ。
そして、深夜に食べる唐揚げがなんと美味しいことか……。
次の日は後悔して、なんちゃってダイエットをするまでがセットだけど。
「それじゃあ……アル兄様は振られちゃったのね……やっぱり時計には勝てなかったか」
ぼそりとリーゼ姉様がつぶやいた。
「何と言いましたか?」
「なんでもないわ!」
そう言うと、ばしゃりと私に向けて水を蹴り上げてきた。
「ひゃっ!」
大量の水が、私の顔へ降りかかる。
身体にかかった水は思ったよりも冷たくて、驚いてしまった。
「やりましたね! リーゼ姉様!」
お返しに私も水を蹴り返そうとしたところで、水面を横切る小さな影を見つける。
一匹のスライムだ。
半透明の身体は水を弾き、丸い水滴をころころと転がしながら、水面を滑るように進んでいた。
スライムは好戦的ではなく、魔物の中で最も弱い。
私一人でも倒せるくらいだ。
そのため、姿を見かけても見過ごすことが多い魔物だ。
「隙あり!」
気を取られたせいで、追撃を食らってしまう。
「リーゼ姉様! 少しは手加減してください!」
「今は無理かな。アル兄の無念を私が晴らしてあげないとね」
「全く意味が分かりません!」
そして私たちは全身がびしょびしょになるまで、水遊びを楽しんだのだった。
もちろん、お母様に怒られてしまいましたけど。
◇◇◇
「どうしてこうなったのでしょうか」
数日後。
私は宮殿の小広間の壁に背中を合わせて立っていた。
身にまとっているのは、足首まである黒のロングスカート。
その上には白いエプロンを重ね、頭には小さな白いプリムが乗っている。
前世の知識で言えば、クラシックタイプのメイド服。
可愛い服だとは思うが、正直、ため息が出てしまう。
目の前に広がるのは、立食形式のパーティーだ。
豪勢な料理に、華やかな装いをした上級貴族の方々。
いつもなら料理を見たら鳴りだすお腹も、今日ばかりは気後れしているのか静かだった。
それもそのはず、私はこんな上流階級のパーティーに参加したことなど一度もないのだ。
作法を間違えて恥をかくよりも、壁に張り付いて動かない方がマシだった。
ティアはなんでこんな私を連れてきたのだろうか。
正直、何の役にも立っていない。
私はちゃんと断ったのだ。
「せめて、キールの誕生日会だけは一緒に来てほしいですの! お願いしますわ!」
公爵家の令嬢に頭を下げてお願いをされたら、首を縦に振る以外の道はなかった。
それに、アル兄様にも。
「公爵家に恩を売っておくのはいいことだよ。それくらいは引き受けてあげてもいいんじゃないかな?」
と言われてしまった。
もっとも、アル兄様の打算は私には関係がない。
自分を守ってもらうためにティアの付き人になることと、大切な日に友達のそばにいることは、私の中ではまったく別の話だ。
だから私は、今日一日だけ彼女の付き人を引き受けた。
それにしても……主役がいない誕生日パーティーを開く意味があったのだろうか。
まるで針のない時計だ。
外側だけ綺麗に整えても、一番大事なものが欠けている。
開会の挨拶で、国王夫妻は、キーエルト殿下が体調不良のため不参加だと説明していた。
そのことを本当に悲しがっている人は、一体どれくらいいるのだろうか。
残念なことに、多くはないと思えてしまう。
時折聞こえてくる、キーエルト殿下についての噂話。
そして、婚約者であるティアに向けられる憐れみの視線。
表向きは心配しているように話しているが、開いた扇子で隠された口元では何を話しているのか、想像に難くない。
正直、居心地のよいものではなかった。
私でさえそう思うのなら、ティアはそれ以上に感じているはずだ。
だというのに。
ティアは俯いていない。
いつも以上に丁寧に結われた綺麗な金髪。
淡い色のドレスには金糸が織り込まれているのか、ティアはこの会場の誰よりも輝いていた。
私が男性なら、間違いなく惚れていただろう。
あまりにも綺麗で、声をかけることもできないのだと思う。
「エルナ」
だから、向こうから話しかけてくれた。
「どうされましたか? ユースティア様?」
付き人であるため、敬語だ。
「そろそろ行きますわよ」
「どこにですか?」
分かり切っていることを、あえて聞く。
「キールの部屋ですわ」
そうですよね。
想像どおりなので、驚きはない。
だから私は冷静に、使用人らしく一礼をした。
「お嬢様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「何を言ってますの! あなたも一緒に行くんですわよ!」
そう言って差し出された手は、少し震えていた。
「一人では怖いですか?」
「怖くなんてないですわ」
即答だった。
でも、視線は揺れていて、浅い呼吸を繰り返していた。
「でも、エルナがいてくれましたら、もっと怖くないですわ!」
勇気を振り絞っている主を支えるのが、付き人のお仕事。
であるなら、私も一日限りのメイド魂で、彼女の背中を支えようと思う。
「承知いたしました。お嬢様の付き人として、しっかりお支えいたします」
「ええ、頼りにしてるわよ、エルナ!」




