025_馬車の中で揺れる心①
「どうやらなかなかに濃い一日を過ごしたようだね」
帰りの馬車の中。
向かい側に座っているアル兄様が、微笑みを浮かべる。
今日起きた出来事を端的に説明したのだ。
もちろんキーエルト殿下が病気であることなどは、伏せている。
けれど意外と油断ならない情報網を持っているアル兄様は、もしかしたらすでに病気のことなどは知っていて、私の話からある程度の推測はついているかもしれない。
いや、もしからしたら推測するまでも無い。
おのぼりの私が知らなかっただけで、数年ほど前から、公の場にキーエルト殿下は姿を現していないのだ。
事実はさておき、殿下の身に何かあったのではないかという噂が一つや二つ立っていてもおかしくない。
「久しぶりに全力疾走をしました。やはり一人前の時計職人を目指すには運動も必要でしょうか」
「何をするにしても身体は資本だ、鍛えておいて損はないと思うよ。それはそれとして、君は王都に来るたびに誰かに気に入られるね。伯爵家に公爵家……次に来るときは王家の誰かに見初められるのかもしれないな」
いつもと同じ飄々とした態度で、冗談を言う。
……流石に冗談ですよね。
軽薄な様子からは彼の本心は読み取れない。
けれど、『王家』という言葉には背筋が寒くなった。
騎士爵家の、それも四女である私には王家など一生関わることのない存在だと思っていた。
私は平民同然に、清く正しく平穏に生き、時計に触れられれば満足だ。
公爵家、ましてや王家などと関わる気など私には無いし、関わりたいと思ったことも無かった。
そう思っていても向こうからやって来るというのなら、それもお客様として現れるのなら、私には避けることはできない。
「……そうですね」
適当に相槌を打って、視線を横に逃がす。
が、この態度は失敗だったとすぐに気が付いた。
特にいつもの私を知っている相手の前でやるのはよくなかった。
「おや……どうしたんだい? いつものエルナなら冗談に、さらにキツめの冗談を被せにくるのに、今日は不調だ……もしかして、まだ何か話すことがあるのかい?」
女性慣れしているからか、私の心の機微を見逃さない。
それに少し芝居がかった口調なのも心が見透かされているようで、腹が立つ。
「話すことと言いますか……とある提案を受けたと言いますか……とにかく私一人では判断できないので、保留にしていると言いますか……」
歯切れの悪い回答に、何か言う訳でもなく頬を緩ませるアル兄様。
姪っ子のお遊戯会を見に来た時のような、見守るような優しい目。
「……」
「……すごく簡単に言いますと……公爵令嬢であるティアに、付き人にならないかと言われました……」
沈黙が馬車の中を支配する。
流石にこの答えは予想していなかったのか、アル兄様は口を開けて、瞬きを繰り返していた。
オーバーリアクションだとは思うが、驚きたくなる理由はよく分かる。
行きは時計職人、帰りは付き人候補。そんな話は聞いたことがない
私もこの話をされたときは、同じような反応だった。
しばらく無言の後、咳払いを一つしてアル兄様は言葉を発した。
「えっと……それはつまり時計職人をやめるということなのかい?」
「いえ……そういった話ではありませんでした……日中は時計職人として働き、夜は付き人として働く、といった感じでした……」
「君はいつ寝るんだい?」
「暇を見つけて」
「暇はあるのかい?」
「無ければ作ればいいんです」
「私は少し誤解していたのかもしれない、エルナは時計が大好きだから一日の時間をちゃんと計算できると思っていた」
いつも張り付いていた薄ら笑いは無くなり、眉間には皺ができていた。
馬鹿な考えはやめろ、と言葉の裏に込めているのだ。
「計算は出来ます……ですので迷っているのです……」
「迷う必要はあるのかい?」
「現状……週に一度、バルシュミット領と王都を往復して銀の歯車へ通うことになっています。ですがティアの付き人になれば、王都内にある別邸に住み込みになります。馬車で通う必要もなくなり、銀の歯車で働く日数も増やせるでしょう。ティアは日中は学院に行きますので、時計職人として働くことはできます……もちろん付き人として働くことでお給金も出るとのことでした……ですので……」
「……」
またしても無言だった。
でも今回の沈黙は先ほどのものよりも、重いものだった。
人は自信がないとき、多くの言葉を語ることで自分の言葉の正当性を高めようとするらしい。
誰が言ったのかは知らないが、全く的を射た言葉だと思う。
今の私を正確に表していた。
「私はこの提案を前向きに検討しています……」
自信が無いから、胸を張って言えず声も小さくなる。
時計職人になりたいと言ったときはこんなんではなかった。
怒られるかもしれないとか、止められるかもしれないと思っても、勝手に身体が動き言葉が出てくる。
でも今回は話すのにも勇気が必要で、怒られるかもしれないとびくびくしている。
分かっているのだ。
これは正しい選択ではないと。
たとえ周りに迷惑をかけたとしても、突き進みたい道ではないと。
だとするなら、私はこのことをアル兄様に話すことで何を求めているのだろう。
君は間違っていないよと、味方になって欲しかったのか。
それとも私の言葉を否定して、考えを改めさせて欲しかったのだろうか。
心の中に靄がかかったようで、自分の気持ちをうまく整理できない。
そんな私の迷いを分かっているのか、分かっていないのか、アル兄様が話を始める。
「やはり、計算が出来ていないよ。君は」
口調は怒っているというよりも、諭しているような感じだった。
「何が間違っているでしょうか」
「全部だよ、エルナ……君は考えたのかい? 住み込みで働くということは気軽に家族と会えなくなるんだぞ。今までの生活がガラッと変わるんだ……何があってもどんなことがあっても君のことを守ってくれる人が身近にいなくなるんだぞ? 確かにエルナは周りの子よりは賢い。が、まだ十二歳だ、急ぐ必要なんかはないんじゃないか?」
家族に会えなくなるのは勿論、寂しい。
でも私には前世の記憶がある。
子供扱いされて甘やかされるのは、なかなかに歯がゆい。
「生き急いでる訳はありません……ただ、そうすることが一番効率がよい……そう思っただけです」
効率が良い……自分で言って驚いた。
私は人生に効率の良さを求めていたのだろうか……時計職人になりたい私が……。
時計職人が稼げないとは言わないが、儲けたいからといって就く仕事ではない。
本当にお金を稼いで家族を幸せにしたいと思うなら、冒険者にでもなるのが一番手っ取り早い。
そうしないということは、やはりお金を稼ぐことへの執着では無い。
では、時計に触れられる時間だろうか。
それも違う。
付き人になるということは、その仕事中は時計に触れないはずだ。
だったら自由な時間の多い今のままの方が良いだろう。
私の発言は全部、自身で否定できてしまうのだ。
じゃあ、今の私はなぜにこんなにムキになっているのだろう。
何かを求めているはずなのだ……私はアル兄様に何かを……。
分からない、自分の気持ちが全然分からない。
太ももの上の手を強く握り締める。
「効率的か……らしくない結論だね……今日は驚かされてばかりだ。どうやら私はエルナのことを全く理解していなかったみたいだ」
ポツりと、零れ出てしまった言葉のようだった。
鋭いナイフで切り付けられたように、胸が痛む。
人に見せる自分なんて氷山の一角。
小さい頃から一緒にいたアル兄様だって、私のすべてを知っているわけではない。
それは当然のことで、腹を立てることではない。
けれど、やっぱり傷ついてしまう。
アル兄様には私の事をもっと理解していて欲しかった。
「その考えは傲慢ですよ、アル兄様」
そう、傲慢。
それは私に対しての言葉だ。
他人に自分の内面すべてを理解して欲しいだなんて、やはり傲慢以外の何物でもない。
私は子供のように、八つ当たりしているのだ。
「傲慢か……うん。そうかもしれない……」
「そう思うなら……余計なことは言わないでください。私の人生は私が決めます……」
言ってしまってから後悔に襲われる。
よりによって馬車の中で言うなんて最悪だ。
逃げることも隠れることもできないじゃないか。
バルシュミット領に到着するまでの、この重い空気を耐えないといけない。
返答が怖い。
視線はどんどん下がっていき、ぼんやりと自分の靴を見ていた。
王都に行くにしても、仕事に行くにしても地味で可愛らしくない靴。
走ったせいか汚れが目立った。
いつもならなんとも思わないはずなのに、その時は恥ずかしいと思った。
やっぱり今の私は、変だった。
消えてしまいたいとすら思える。
だというのに! そんな沈んだ私の心をアル兄様はたった一言で吹き飛ばしてしまう。
「なるほど、君らしくない理由が分かったよ。エルナは私に甘えたかったんだね」
「なっ!」
顔を上げ、一瞬にして前を向く
目の前に見えたのは無駄に整った綺麗な顔。
サラサラな金髪が西日に照らされて、ちょっとキラキラして見えるのは私が病気だからだろうか。
顔が熱い! そして絶対に真っ赤だ!
こんなの絶対に病気だ、風邪をひいたんだ、そうに違いない!
「ど……どうしてそんな結論になるんですか! い、意味不明です!」
「どうしてって……それ以外には考えられないじゃないか。最初は自分の考えが否定されて怒っているのかと思った。まぁそこで怒るっていうのも逆に認めてもらいたかったって意味にもなるけど、そんな雰囲気ではなかった」
アル兄様のご高説が始まってしまった。
「そうですね! 別に怒ってませんから!」
「ならばと思い、素直に一般論を基に忠告をしたが……これまた反応が悪い。それどころか私を突き放す態度まで。いやいや困った、エルナ嬢に嫌われてしまったのかと思ったね……でもエルナが私を嫌うわけがない……となると」
「……となるとなんですかー?」
抑揚のない棒読みだ。
そんな私のフラットな対応とは裏腹に、上機嫌な様子のアル兄様が答える。
「私の個人的な理由で引き留めて欲しかったんだ……これを甘えと表現しないならなんと言えばよいのかな?」
前髪を払い、爽やかスマイルで言い放つ。
この顔を殴ることが出来たら、どれだけ気持ちいいだろうか。
「ちっが……い……ます!」
先ほどは氷のように冷たく暗い感情で、手を握り締め顔を俯かせていた。
けれどいまは全くの逆だった。
湧き上がる感情は炎のように熱く、怒りの感情を必死に抑え込むために手を握り肩を振るわせていた。
「……? 上手く聞き取れないな……もう一度言ってもらえるだろうか?」
ダメだ、もう歯止めは効かないだろう。
ならもうどうにでもなれ!
「全然違いますって言ってるんですよ! この大ばかやろー!」
狭い馬車の中で力の限り叫んだのだった。




