022_それは再び動き出す時計
私とユースティアさんは、裏路地から噴水のある広場へ移動した。
先ほどから、騎士風の男性たちが私たちへ視線を向けている。
おそらく、ランドベール家の護衛だろう。
こちらへ視線を向けつつも、意識の大半は周囲への警戒に割いているようだった。
もしかしたら、ユースティアさんがチンピラに絡まれた時から、すでに近くにいたのかもしれない。
それでも、自分が余計なことをしたとは思わない。
あの時に助けへ入ったからこそ、ユースティアさんと少しは心を通わせることができたのだから。
「ユースティア様は、どうしてキーエルト殿下が時計を止めたまま贈ったのだと思いますか?」
「止まった時計ですわよ……良い意味があるとは思えませんでしたわ……」
「不吉なメッセージが込められていると、考えたのですね」
「ええ……キール……いえ、キーエルト殿下は、生きることを諦めてしまったのではないかと……そう考えてしまいましたわ」
ユースティアさんがそう思ってしまうのも、無理はない。
一度たどり着いてしまった悲観的な結論を、自分一人で否定するのは難しい。
過去が積み重なって今があり、今の先には未来が続いていく。
人はそれぞれ、自分だけの時間を歩みながら生きている。
けれど、その時間にも、いつか終わりが訪れる。
人にとって、その終着点が『死』だ。
心臓が止まることを人の死とするならば、時計にとっての死とは何だろう。
やはり、時を刻むのをやめること。
時計が止まることなのだと思う。
だとすれば、キーエルト殿下が自分の時計を止めた意味も推測できる。
自分を待っている運命は『死』なのだと、ユースティアさんに伝えたかった。
そう考えれば、すべての辻褄が合ってしまう。
……でも、本当にそうなのでしょうか。
「私は、そうだとは思いません」
声は小さかった。
それでも、否定の言葉ははっきりと口にした。
「どうして……そう思うんですの?」
返ってきたのは、今にも消えてしまいそうな弱々しい声だった。
「キーエルト殿下が、ご自分は死ぬ運命なのだとユースティア様に伝えたとして――いったい、何の意味があるのでしょうか?」
「……」
ユースティアさんは唇を引き結んだまま、何も答えない。
もし自分の死を伝えるために時計を止めたのなら、何の説明もなく、まだ生きているうちに手渡すだろうか。
それに、時計を止める方法があまりにも回りくどい。
死を伝えるだけなら、単純に時計を壊せばよい。
けれど、この時計はわざわざ分解され、歯車の間に魔石を挟み、九時ちょうどで止められている。
そもそも、もし私が婚約者に自分の死を伝えるのなら、時計など使わない。
手紙で十分だ。
キーエルト殿下は、時計だからこそ伝えられる何かを、ユースティアさんに託したかったはずなのだ。
「少なくとも、婚約者に自分の死を知らせるためだけに、こんな回りくどい方法を選ぶ理由は、私には見つけられません。別の意味があるとは思いませんか?」
もっとも、自分の死を時計で詩的に伝えたかったのなら、話は別だ。
……キーエルト殿下が、それほど回りくどい方ではないと信じたい。
「……そう思いたいですわ。それなら、どんな意味がありますの?」
瞳に涙をため、縋るように私を見つめている。
「魔石には、いろいろな種類があるみたいですね……」
基本的に、魔石は迷宮や森に棲む魔物を倒すことで入手できる。
魔物の体内にある、魔力を生み出す器官。
あるいは、魔物の魔力そのものが凝縮した結晶。
それが魔石の正体だと考えられている。
そのため、宿している魔力の性質によって、魔石はさまざまな効果を生み出す。
火の魔力なら、炎を生み出す燃料となる。
水の魔力なら、水を生み出す源となる。
風の魔力なら、大気を動かす力となる。
土の魔力なら、大地や鉱物を操る力となる。
そして、魔力を限界まで使い切った魔石は、跡形もなく消滅する。
魔石が魔力の結晶ならば、人の魔力からでも魔石を作れるのではないだろうか。
その疑問を、私はカレン先輩に投げかけていた。
答えは、おおむね予想どおりだった。
人の魔力から魔石を作るには、相当に高度な魔力操作に加え、土属性への適性が必要らしい。
たとえ作れたとしても、できあがるのはごく小さな魔石に限られる。
魔導具には使えず、価値も低いとのことだった。
「魔石の種類が関係ありますの?」
「時計が動かなかったのは、魔石が歯車に挟まっていたからです。偶然入り込んだとは思えません。おそらく、キーエルト殿下が意図的に入れたのでしょう」
「……キーエルト殿下が……」
「殿下は、土属性の魔法を使えたのではありませんか?」
「ええ、そうですわ……」
「なら、挟まっていた魔石は、殿下ご自身の魔力から作られたものだったのでしょう。そして、ご自分で作った魔石なら……込めた魔力が尽きる時も予測できたはずです」
「それが分かると……どうなんですの?」
私は小さく息を呑んだ。
キーエルト殿下の真意は、きっとここにある。
「つまり、キーエルト殿下は……この時計が再び動き出す時を、最初から決めていたんです」
ユースティアさんの唇が、かすかに震えた。
「では、この時計は……壊れていたわけではなかったのですね。キールの時間も、止まってしまったわけではなかった……」
「はい。殿下が、この時計を『その時』がくるまで止めていただけです」
ユースティアさんは、泣きそうな顔でかすかに微笑んだ。
そして、懐中時計の蓋を開く。
針は変わらず、九時を指したまま止まっている。
けれど、その時計はもう、壊れているようには見えなかった。
キーエルト殿下が決めた『その時』を、静かに待っているように思えた。
「キールと……約束したんですの。中等部に上がっても、ずっと一緒にいようって……また二人で、お祭りへ行こうって……」
震える声とともに、一粒の涙が懐中時計のガラスへ落ちた。
それをきっかけに、こらえていた涙が次々と頬を伝っていく。
ユースティアさんは、九時を指したまま動かない針を見つめた。
「中等部の入学式が始まるのは……九時ですの」
嗚咽をこらえながら、ユースティアさんはさらに言葉を続けた。
「キールは……忘れていなかったのですね。私との約束を……」
懐中時計の蓋をそっと閉じると、両手で包み込むように胸元へ抱き寄せる。
頬を伝う涙は、もう止まりそうになかった。
「私とキールは……また、同じ時間を歩んでいけるのですね……」
「……そうだと思います」
ユースティアさんの胸元に抱かれた懐中時計を見つめながら、私は答えた。
「約束の時に再び動き出す時計を贈った方が、生きることを諦めているはずがありません。きっと、その逆です」
ユースティアさんの腕の中で、懐中時計が小さく揺れた。
「……キール。キールに……会いたい……! あう……あぐあああああああああ!」
――会いたい。
その言葉を口にした瞬間、ユースティアさんの中で張り詰めていたものが切れた。
懐中時計を胸に抱き締めたまま、その場にうずくまる。
あふれ出した嗚咽の合間に、何度も、何度も、大切な人の名前を呼んだ。
そこにいたのは、気高い公爵令嬢ではない。
ただ、愛する人に会いたくて泣く、十二歳の少女だった。




