021_馴れ初め。そして
私の人生は最初から決められていた。
公爵家の令嬢として、ハイゼルン王家に嫁ぐこと。
「お初にお目にかかります、キーエルト殿下。私はランドベール公爵家の娘、ユースティア・フォン・ランドベールですわ」
七年前。
王宮の広間。
何度も練習したカーテシーで、挨拶をする。
「えっと……そんな堅苦しい挨拶はいらないよ、ユースティア」
「……そういうわけにはいきませんわ」
この日のために、厳しい稽古にも耐えてきたのだ。
殿下には完璧な私を、見てほしい。
「ユースティアは……うん、少し長いな……ティアと呼んでも構わないかな?」
透き通ったエメラルドグリーンの瞳がこちらを覗く。
「ええ、構いませんわ」
「ありがとう、ティアは将来僕と結婚するんでしょ」
「そういう決まりですから……」
思わず、沈んだ声で言ってしまった。
返答としても、最低だ。
「うん、そうだね。家同士が決めた結婚だ……でも僕は、公爵家としての君と結婚するのは嫌だ」
「婚約を破棄するというのですの?」
血の気が引いた。
「まさか……僕は君と結婚したいよ。でもそれは公爵家だからじゃない。ただの可愛い女の子、ティアを好きになって結婚したいんだ」
「か、可愛い……こほん、急に言われても困りますわ」
「ありのままのティアでいてくれればいいよ。僕はきっと、そんな君を好きになるから」
ドクンと心臓が跳ねた。
顔が熱い。
キーエルト殿下の顔を、直接見ることができない。
公爵令嬢としての仮面が剥がれそうになる。
お父様にも、お母様にも本当の自分なんて見せたことなんてない。
私はずっと本心を隠して生きてきた。
それも全部、キーエルト殿下と結婚するため。
けれど彼は、素の私を見せろという。
これまでの私の人生を否定する言葉だ。
だというのに、胸の中から幸せが溢れてくる。
ずっと求めていた言葉だったのかもしれない。
心がその言葉を掴んで、離してくれないのだ。
「もう一度言ってもらえませんでしょうか……」
「何をだい?」
「ですので……その……ありのままの……っていう言葉です」
「大好きだよ、ティア」
「違いますわ! もう! 殿下には女たらしの才能があるようですわね!」
大好きと言われてしまった。
嬉しい、すごく嬉しい。
けれど、少し慣れている感じがして、腹が立つ。
「ティアにしか使わない才能だよ。使えないの間違いかもしれないけれど」
「約束してください」
「……約束?」
「私以外、『大好き』と言わないと、約束してください」
「それはできないよ、ティア」
チクリと、心臓が痛む。
そして黒い感情が心を支配する。
「どうしてですの……」
「だって、ティアとの間に子供ができたら絶対に言うよ。だから無理だ」
「こ、子どもは例外ですわ! 私以外の女性には言ってほしくはないんですの」
子ども。
そんな将来のことまで。
もう認めてしまおう。
私は、キーエルト殿下に恋をしてしまったのだ。
会って間もないというのに。
「うん、それなら約束できるよ。生涯、ティアを愛し続けるよ……どんなことがあろうともね」
「私も約束いたしますわ……ずっとキーエルト殿下の傍にいますと」
◇◇◇
学院に入学して一月が経った。
クラスの割り振りには、魔法適性の有無が関係してくる。
幸い、殿下にも私にも魔法適性があった。
キーエルト殿下は土属性。
私は氷属性だった。
「座学は得意ですが、魔法操作は苦手ですわ……コツとかありませんの?」
学院にあるラウンジで、愚痴を言う。
「魔法の操作は感覚なんだよ……手足の動かし方と一緒で意識するものじゃない」
「合理的な説明を求めますわ」
「翼のない人間には、羽ばたき方は理解できない。属性の違いっていうのは、それくらいの違いがあるってこと」
「……つまり?」
「焦っても上達しない。恋と同じだよ」
「私は出会ってすぐに、殿下を大好きになりましたよ」
「……っ!」
「あ、照れましたわ!」
殿下の弱点は、意外と攻めに弱いところ。
真っ赤になった顔が、なんとも可愛らしい。
もっともっとその顔を見せてほしい。
「コホン……公共の場所で、そんなことを言うもんではないよ」
「大好きです、殿下」
「……ユースティア……もう許してくれ……っ!」
「ダメですよ、キーエルト殿下。私の愛はこんなものではありません!」
殿下に出会えて本当に良かった。
婚約者として、隣にいられる。
この先もずっとずっと、一緒ですよ。
◇◇◇
数年後。
学院を抜け出し、三年に一度開催される王都のお祭りに来ていた。
正体を隠すため、お互いフード付きのローブを着ていた。
本当はおしゃれをして来たかった。
けれど、キーエルト殿下と一緒にいられるならそれで十分だ。
「次は何を食べますか、殿下!」
「また食べ物かい? それと……殿下は禁止だよ……バレたら大事になるからね」
「そうでした……えっと……キール様」
「様もいらないな」
「……キール」
「うん、よくできました。今度からはずっとその呼び名でも構わないよ」
「……では、二人きりの時はそうお呼びいたしますわ……キール」
キール。
とてもいい響きだ。
慣れなくて少し恥ずかしいけれど、口によく馴染む。
そして、私は立ち並ぶ露店を巡る。
「キール、はい。あーん!」
「その蜂蜜林檎、大きくて一口では食べれないよ」
「ちょっと齧るだけですわよ」
「なるほど、じゃあ少しいただくね」
「私も、いただきますわ。あむ、えへへ」
「どうしたの、急に笑い出して」
「な、なんでもないですわ! 次はゴブリン叩きをやりますわよ!」
「あ、ティア、押さなくてもゴブリンは逃げないよ!」
間接キスをしてしまいました。
今の私の顔は林檎よりも、赤いはずだ。
「そんなに気に入ったのかい? そのぬいぐるみ」
「もちろんですわ! だってキールが取ってくれたんですのよ! 一生大切にいたしますわ!」
「本当はその隣にある天馬のぬいぐるみを狙ったんだけどね……まさかケルベロスの方になるとは……」
「キールが魔石銃の扱いが苦手なんて、知りませんでしたわ」
「僕も今日知ったよ」
キールが懐中時計を開く。
「……もう時間ですの?」
「ダンケルに身代わり魔法を施したけど、そろそろ効果が切れるからね」
「どうしておバカのダンケルに任せたんですの……」
「王子様気分を味わってみたいって言われたから、ついね。好奇心に負けたよ」
「いつかその好奇心で身を滅ぼしますわよ」
「その時はティアが支えてくれるだろう」
「……もちろんですわ」
「どうしたの、ティア?」
立ち止まって、キールのローブを掴む。
「また……一緒にお祭りに行きたいですわ……今度はもっと長く……」
「次のお祭りってことは、中等部に上がっているね……」
「……中等部」
「うん、クラブ活動にも参加できて、もっともっと楽しくなるよ」
「キールと一緒のクラブに入りたいですわ!」
「そうだね……じゃあ約束しよう。僕たちは中等部に上がったら、一緒のクラブに入って、また一緒にこの祭りに来るって」
キールは小指を差し出してきた。
「なんなんですの?」
「指切りっていうらしいよ。さっき青い髪の小さい女の子と金髪の男性がやってたんだ。どうやら、約束を交わすときのおまじないらしい」
「おまじない……」
「小指を出して」
キールの小指と私の小指が絡まる。
――そして。
「指切った!」
その指は離された。
「うん、これで契約は成立だ」
「契約を破ったら、針を千本も飲む必要があるんですのね……」
「らしいね……僕はこの約束を絶対に守るよ」
「私もですわ!」
「じゃ、今日はかえ……」
「キール! 大丈夫ですの?」
倒れかけたキールの身体を支える。
「あ、ごめん。ちょっと躓いただけだから大丈夫だよ」
「そうなんですの?」
躓くような物は、周囲には見当たらない。
「最近公務も増えてきたから、その疲れもあるかもしれない。少し休めば大丈夫だよ」
「無理はしないでくださいね」
「ああ、約束するよ」
「その約束も破ったら、針千本ですわ!」
「これは大変なおまじないを教えちゃったのかもしれないな」
◇◇◇
そして十歳になった。
「最近学院を休んでいますが、大丈夫ですの?」
キールは一週間ぶりに学院に来た。
寝不足なのか、目が少し赤い。
「……うん、ちょっとね……おっと」
「キール!」
周りに人がいるのに、キールと呼んでしまった。
机に足をぶつけたようだった。
「大丈夫だよ、ティア。躓いただけだから」
「物にぶつかったり、落としたり、最近多いですわよ……」
「寝不足なだけなんだ……もう少しでよくなる……から……」
私に向かって倒れてくるキール。
抱きしめる形で支える。
「ちょっと、キール、いきなりどうしたの?」
呼びかけるが、返事はない。
「キール? ちょっと、すごい熱じゃない! 誰か!」
この日を最後にキールは学院に来ることはなかった。
◇◇◇
「キール、お見舞いに来ましたわよ!」
お見舞いは婚約者ということで、特別に許された。
月に一度くらいの頻度だけれど。
「ありがとう、ティア。今日は何を持ってきてくれたんだい?」
「林檎ですわ! 必死に皮むきを練習したんですのよ」
私はキールに持ってきた果物を見せる。
「本当だ、林檎だ……食べるのは祭りの時以来かもしれないな」
その言葉を聞いて、思わず涙が出そうになる。
信じたくなかった。
どうして気がついてくれないのだろう。
「林檎は嫌いでしょうか?」
「いや、大好きだよ」
「そうですか……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
キールが不思議そうな顔をする。
もうやめて……これ以上無理をしないで……。
これ以上、私を……そして自分を苦しめないで……。
「食べれば……分かると思いますわ」
切り終わった果物をお皿に盛り付ける。
そして、サイドテーブルに置いた。
「ありがとう、できればだけど……その、前回みたくまた食べさせてもらえないかな……?」
キールが甘えてくる。
前回までの私なら、喜んでいたのかもしれない。
でも、今は悲しいだけだった。
認めたくない現実を私に突き付けてくる。
そんな言葉だった。
「分かりましたわ。あーんしてください」
キールが口を開けてくれる。
――そして。
「どうでしょうか、林檎の味は……」
「…………」
無言だった。
壁に掛けられた時計の音だけが部屋に響く。
「答えてください、キール!」
「……」
俯くだけだ。
やはり何も答えてくれない。
「いつからなんですか! キール! いつから私を騙してたんですの!」
「この林檎……とっても美味しいよ……」
――パチン。
生まれて初めて、人を叩いた。
そして、その相手が好きな人だなんて。
「目が……見えてないでしょ……!」
キールに食べさせたのは林檎ではない。
桃だ。
見間違えるわけがなかった。
「酷いじゃないか……騙すなんて……」
「先に嘘をついたのはキールではありませんの!」
「上手く誤魔化せていると思っていたんだけどな……いつから気がついていたんだい?」
「違和感はずっと前からありましたわ……でも……確信したのは、前回のお見舞いの時ですわ」
「僕はどんなミスをしたんだい……」
「お花を替えるときに、手を切って血が出てしまいましたの……キールの目の前でですわ……」
「……普段の僕なら、間違いなく何かは言うね……」
「キールはお優しいですから……」
「君にだけだよ……」
嘘だ、キールは誰に対しても優しい。
けれど、私に対しては特別優しくしてくれていたのも本当だった。
「どうして隠していたんですの……」
「最後にはっきりと見えてティアの顔は……笑っていたんだ……」
「キールと一緒にいるときの私は、ずっと笑顔ですわ」
「でも……今は見ることができないんだ……だから……」
「だから……なんですの……」
「しばらく、会うのはやめよう……」
「嫌ですわ! ずっと一緒にいるって言ったじゃありませんの! それに、お祭りの時の約束だって!」
「約束は絶対に守るから……でも……もう来ないでくれ! これ以上、苦しませないでほしい……」
視界が歪む。
頭が理解することを拒否した。
私がいると、キールが苦しむ。
そう理解した瞬間、私は部屋を飛び出した。
◇◇◇
ユースティアがいなくなった部屋。
キーエルトは一人、ベッドの上に腰掛けていた。
「痛いな……」
頬を押さえると、まだかすかに熱を持っていた。
けれど胸の方がもっと痛い。
「バルベルデ」
「お呼びでしょうか……坊ちゃん」
部屋の外に待機していた執事を呼ぶ。
「至急の願いだ。いつも時計を修理してくれているジョセフを呼んでくれ。やってほしいことがあるんだ」
「……御意のままに」
本当はキーエルトがやるべき作業であった。
けれど、目の見えない彼にはもうできない作業だった。
――目の見えない彼に懐中時計は、必要ない。
「すまないな」
「いえ、坊ちゃんの気持ちがユースティア様に伝わることを願うばかりです」
「……ティアに会いたい」
拒絶したのは、自分である。
彼女の声を聞くと、笑顔を見たくなる。
その気持ちが抑えられなくなるのだ。
そんな生殺しの状況に、キーエルトの心は耐えることができない。
耐えられないなら、会わなければいい。
苦しい現実から逃げることを選んだのだ。
「……坊ちゃん」
「もう……大好きな顔を見ることができないんだぞ! ふざけるな! どうしてだ、どうしてなんだ!」
キーエルトは第三王子であるが、今は十歳の少年だ。
責める相手は執事ではない。
分かっているが、感情をぶつける相手が他にいなかった。
「……」
「……申し訳ないが、今は一人にさせてくれ」
「承知いたしました」
バルベルデが扉を閉める。
また一人になった部屋。
そこに響くのは、キーエルトの悲痛な嗚咽だけだった。




