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020_雨降って地固まる

「どうしてそんなに汗だくなんですの」


「汗をかいていない方が不思議です……走るのが速すぎます」


 呼吸は落ち着いていたが、汗はまだ引いていない。

 日頃の運動不足が、原因だ。

 明日は、筋肉痛で動けなくなる未来が見えた。


「私より、あなたの方が扇子が必要そうですわね」


「扇いでいただかなくても、大丈夫ですよ」


「扇ぐつもりはありませんわ! 図々しい方ですわね!」


 プイっと、そっぽを向いてしまう。

 けれど、手に持った扇子は私の方に差し出されていた。


「私が扇ぐんですか?」


「違いますわ! 使ってもよろしくてよ……それと……助けてくれて、ありがとう……ですわ」


 耳まで赤く染めて、絞り出した感謝の言葉。

 その純真な心に、頬がゆるんでしまう。


「感謝する必要はありません。ユースティアさんが逃げる原因を作ったのは、私なんですから」


 ユースティアさんは首を横に振る。


「違うんですわ……全部、私がいけないんですの……」


「そんなことありません、私の言葉足らずが原因です。もう少しユースティア様に寄り添って――」


「そうじゃないんですの! 本当は時計を壊してほしかったのですわ!」


 泣きそうな顔をする、ユースティアさん。


「……なるほど、腑に落ちました」


「なるほどって、どういうことですの……怒らないんですの?」


「怒ってほしいんですか?」


「そんなの嫌ですわ!」


「ならいいじゃないですか……それに、怒るのって案外疲れるんです。ユースティア様なら分かりますよね?」


「私がずっと怒っているって言いたいんですの!」


「ユースティア様は賢いので」


「私、学院で首席だって言いましたかしら」


「すみません、冗談のつもりでした」


 流石は公爵令嬢。

 きっと家でも、英才教育を受けているのだろう。

 首席になるということは、才能だけではなく本人の努力も必要だ。


 それができてしまうのが、ユースティアさんなのだろう。


「あなた、私を怒らせたいんでしょ! そうなんでしょ!」


「ユースティア様が元気になってくださって、嬉しいです」


「私は全く嬉しくありませんわ!」


 そう言っているが、口角が上がっている。

 素直なのか、素直ではないのか。


「さて……では、どう致しますか?」


「どうって……何をですの」


「本当にキーエルト殿下の時計を、壊してしまってもいいのでしょうか」


「……」


 俯いたまま、何も言わない。

 迷っているのか、それとも後悔しているのか。


「最初から疑問だったんです。どうして大切な時計の修理を、新人の私にお願いしたのか」


 私は時計を修理したかった。

 だから、その違和感には気づかないふりをした。

 でも、一目見ただけで、大切な時計だと分かった。


 分解すればするほどに違和感は大きくなる。

 無視ができないほどに。

 本当にこの時計を修理してほしいのかと。


「ですが、さっきの言葉で疑問は晴れました。分かったんです、ユースティア様が私に何を求めていたのか」


「……何を求めていたっていうんですの」


「共犯者……ですよね」


「……正解ですわ」


「ごめんなさい、共犯者にはなれませんでした……」


「全くですわ……私の計画は失敗ですわ……」


「新人の私ならきっと、時計の修理に失敗する。なんなら壊してしまっても良い……そしたら」


「キーエルト殿下のメッセージに気が付かなかった、言い訳を作れますわ」


「逃げるための共犯者としては、最適ですね」


 この計画のためには、新人の私が今日から来ることを知っている必要がある。

 誰から聞いたのか。

 公爵家にそんな話ができるのは、一人しかいない。


 ヘルマン・ディートリヒ伯爵だ。


「……卑怯者だと笑いなさい……一人だと怖かったから道連れが欲しかったんですの……」


「でも、そんな道連れはもう必要ありません」


「どうして……っていうのは、演技くさいですわよね」


「はい、ですので一緒に答え合わせをしましょう」


 ユースティアさんは、大きく息を吐いた。


「まさか、あなたが時計のメッセージの意味に気が付くとは思いませんでしたわ……キーエルト殿下のことを全く知らないくせに」


「人からの好意は、当事者だと案外と気が付かないものです。第三者だから気が付くこともあります」


 恋は人を盲目にする。

 そして、真実から遠ざけてしまう。


「そうだったとしても私が気が付きたかったですわ……キーエルト殿下の気持ちに」


「本当の気持ちなんて……誰も分かりませんよ……キーエルト殿下本人であっても」


「キーエルト殿下を侮辱する気かしら」


「睨まないでください。ユースティア様を慰めているんです」


「慰めの言葉としても、ゼロ点ね」


「ゼロ点満点中でしょうか」


「残念ですわ。その発言で、マイナスになりましたわ」


「伸びしろがあるということで、頑張ります」


「あなた無敵ですわね」


「お父様という、天敵がいます」


「奇遇ですわね、私もですわ」


 どうやらこの世界の父という存在は、娘に嫌われる何かを持っているらしい。


「……ユースティア様、ではこの時計は壊さなくて良いですね」


 ユースティアさんは、扇子を握り締める。

 逃げるためではなく、今度は立ち向かうために力を振り絞っている。


「もちろんですわ……キーエルト殿下が残した言葉を、今度はちゃんと受け止めますわ」


 ユースティアさんが前を向いてくれた。

 私は逃げるための共犯者にはなれない。

 向き合うための協力者……いや、違う。


 時計職人としてユースティアさんの隣に立ちたい。

 半人前ではあるけれど。


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― 新着の感想 ―
そういうことだったのかあ…(涙) (感想返しのネタバレ読み返してこよ)
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