019_逃げたユースティア
沈黙が続く。
頭を下げているため、ユースティアさんがどんな顔をしているのか分からない。
「……どうして、そんな残酷なことを言えるんですの?」
怒鳴られると思っていた。
けれど、返ってきた声は、怒鳴り声よりもつらかった。
その声には、何の感情もこもっていなかったのだ。
顔を上げる。
そこには、表情の消えたユースティアさんが立っていた。
「申し訳ございません」
今は、謝ることしかできない。
「謝ってほしいわけではないですわ……時計を、直してほしいですの」
「ですが、それはできません」
「どうしてですの!」
「この時計は動かないだけで、壊れていないからです」
「キーエルト殿下の時計が止まっているのよ! それが壊れていないというなら……まるで――」
「駄目です、ユースティア様! それ以上言っては!」
その先に続く言葉が分かってしまった。
ユースティアさんは、キーエルト殿下の思いに気づきかけている。
いや、もしかしたら、前から気づいていたのかもしれない。
それでも認めたくなくて、必死に目をそらしてきたのかもしれない。
だから、この時計を修理に出すのに時間がかかったのだ。
怒っているのではない。恐れているのだ。
動かない時計が、キーエルト殿下の運命を暗示しているのではないかと。
でも、それは間違っている。
キーエルト殿下が本当に伝えたいことは、そんな悲しいことではない。
――だから。
それ以上は、言ってほしくなかった。
「まるで……死んじゃってるみたいじゃない!」
言い終えた瞬間、ユースティアさんの顔が歪む。
頬には、大粒の涙が伝っていた。
口にした本人が、その言葉に傷つけられていた。
「うそ……わたし……どうしてそんなこと……ちがう……絶対にちがう!」
涙を必死に拭うが、止まることはなかった。
「ユースティア様……キーエルト殿下は、きっと……」
近づこうと身体を動かした。
けれど、ユースティアさんは怯えたように後ずさる。
「来ないで! これ以上近づかないで!」
ユースティアさんは私を拒絶した。
そして一瞬の隙をついて、私から懐中時計を奪い取ると、背を向けて走り出した。
「お嬢様!」
爺やと呼ばれていた男性が止めようとする。
その制止を振り切り、ユースティアさんは扉を勢いよく開け、今日一番大きな鐘の音を響かせて外へ飛び出していった。
そんな姿を、私は呆然と見つめることしかできなかった。
「エルナちゃん! 追いかけてあげて!」
「ですが……」
「大丈夫。きっとユースティア様も分かってくれるよ。でも、今追いかけないと、ずっと分かり合えないままだよ。エルナちゃんとも、キーエルト殿下とも……」
カレン先輩の言葉に胸が締めつけられる。
何をしているんだ、私は……。
時計に触れられれば、それで満足なのか。
時計を修理するということは、持ち主の時間を動かすことだと思っていたじゃないか。
「ごめんなさい、カレン先輩! お客様が忘れ物をしたみたいなので、届けに行ってきます!」
「うん、留守番は任せておきなさい! 責任は全部私が取るって言ったでしょ。エルナちゃんのやりたいようにやってきなさい!」
カレン先輩が親指を立てて、送り出してくれる。
「ありがとうございます。ぶちかましてきます!」
扇子を拾い、店の外へ向かって走り出す。
外を見回すと、遠くにきれいな金髪が見えた。
「エルナ様」
先にユースティアさんを追いかけて外へ出ていた執事のおじさんが、私に話しかけてきた。
「ユースティアお嬢様には、現在の位置が分かる魔石が取り付けられています。ですので、最悪の事態は避けられます。もちろん、すでに家の者にも連絡してあります……。ですが、このまま屋敷へ連れて帰っても、お嬢様に元気は戻らないでしょう……。ですのでエルナ様、どうかお願いです。お嬢様を助けてあげてください」
きれいなお辞儀だった。
使用人に本気で心配されている。
ユースティアさんが屋敷でどのように過ごしているのかが、それだけで分かってしまった。
「全力を尽くします」
そう宣言して、私は覚悟を決めた。
全力疾走です。
絶対に追いつきます。
ちなみに、前世での五十メートル走のベストタイムは二桁秒だった。
◇◇◇
死にそうになりながら、王都の道を駆け抜けた。
何度も立ち止まり、何度も諦めようと思ったが、どうにか食らいついた。
今回ばかりは、多めの昼食を恨んでしまう。
乙女の名誉にかけて、リバースはしていない。
すれ違う人たちに助けてもらいながら、どうにかユースティアさんが向かった裏路地にたどり着く。
そこは薄暗く、人通りもなかった。
こんな場所に公爵令嬢が迷い込んだら、どんな目に遭うかなんて火を見るよりも明らかだ。
そして案の定、ユースティアさんは柄の悪い男たちに絡まれていた。
私には彼らを倒すことはできないが、追い払うことはできる。
簡単だ。
大声で、こう言えばいい。
「衛兵さーん、こっちです! 女の子がさらわれそうです!」
男たちは一目散に逃げていった。
年の功だろうか。
こういったことにも、怯えずに対応できてしまう。
「探しましたよ……ユースティア様」
そこには、先ほどよりも目を赤くしたユースティアさんがいた。
キーエルト殿下のこともあるが、男たちに囲まれた恐怖もあるのだろう。
その身体は震えていた。
「……どうして……あなたが……」
「忘れ物を届けに来ました……それと、時計修理の続きもです」




