017_動かない時計①
結局、ユースティアさんに連れて行かれた先は、作業台の前だった。
どうやら、本当に時計修理の実力を確かめたかっただけらしい。
変なことを想像していた自分が、少しだけ恥ずかしい。
ユースティアさんが差し出した懐中時計を受け取る。
ハンターケースの表蓋には、太陽と獅子のレリーフが刻まれていた。
女の子が持つには、ずいぶんと無骨なデザインだ。
この国で、太陽は王家を、獅子は王家の男性を表す。
たとえ公爵家であっても、この紋章を私物に刻むことは許されない。
少なくとも、ユースティアさんのために作られた時計ではない。
「この時計は、もともとどなたの物でしょうか?」
ユースティアさんが、眉をピクリと動かす。
「もともとって……どういうことかしら?」
「いただいた時計ではないのですか?」
「十二歳の誕生日にもらった物よ……」
語尾はかすれ、瞳がわずかに揺れていた。
先ほどまでの、自信に満ちた高飛車な態度はもうない。
けれど、誰から譲り受けた時計なのか。
その質問にだけは、答えてくれなかった。
だからこそ、分かってしまう。
かつてこの時計を持っていた人が、ユースティアさんにとってどんな存在だったのか。
「そうですか……大切な方からいただいたんですね」
ユースティアさんの目が見開かれた。
力を込めて握られた扇子が、小刻みに震えている。
「あなた……なんなのよ! 時計を少し見ただけで、私の何が分かるっていうの!」
「勝手なことを言って、ごめんなさい」
それでも、私は懐中時計から目を逸らさなかった。
「でも、時計を見れば分かります。ケースには細かな傷があるのに、落としたような深い傷はほとんどありません。何度も手入れされ、丁寧に扱われてきた時計です」
ユースティアさんは、この時計に触れるときだけは必ず両手を使っていた。
しかも、最初は木箱にまで入れていたのだ。
「大切な人が、大切にしていた時計だから。どうしても直したいんですよね……違いますか?」
目を逸らさず、ユースティアさんをまっすぐに見つめる。
彼女は何か言い返そうと唇を開き、その言葉を飲み込んだ。
視線が、私の手の中にある懐中時計へ落ちるのを感じる。
そして、肩の力を抜き、今までで一番弱々しい声で言った。
「……違いませんわ……とてもとても大切な方ですわ」
「その方のことが、大好きなんですよね?」
その瞬間、ユースティアさんの顔が茹で蛸のように真っ赤になった。
口をぱくぱくさせ、目を泳がせている。
なんとも分かりやすい。
いいな。
私も、いつかこんな恋をしてみたい。
でも、まだ十二歳なのだ。
機会はいくらでもあるはずだ。
前世を含めれば、彼氏いない歴は通算五十八年。
いつか、この不名誉な記録に終止符を打つ日だって来るかもしれない。
「あ、あなたね! せっかく『大切な方』と濁していましたのに、どうしてそんなにはっきり言ってしまいますの! あなたには恥じらいというものがありませんの!」
「初対面の相手を、いきなりぺちゃパイ呼ばわりする人に、恥じらいがないとは言われたくありません」
「これは、その仕返しということですわね……。エルナ、と言ったかしら。なかなか肝が据わっているじゃありませんの!」
人の身体的特徴をからかう者に、容赦は無用。
リーゼ姉様が、そう仰っていた。
今回は、そのありがたい教えを実践してみたのだ。
「仕返しだったことは否定しません」
「そこは否定なさい!」
ユースティアさんの目を、もう一度まっすぐに見る。
「人を好きになることは、恥ずかしいことではありません。誰かをそれほど大切に思えるのは、とても素敵なことだと思います」
「……余計なお世話ですわ」
ユースティアさんはそっぽを向いてしまった。
けれど、その横顔から、先ほどまでの険しさは消えている。
「では、その大切な方の時計を診せてください」
「ええ」
ユースティアさんは短く答えてから、私に向き直った。
「お願いしますわ、エルナ」
「かしこまりました、ユースティア様」
改めて、時計に向き直る。
表蓋に親指を押し当てた状態で、ゆっくりと竜頭を押す。
カチッという留め金が外れた音とともに、指の下でわずかに蓋が浮いた。
蝶番を痛めないように優しく開く。
ケースの下から現れたのは、独特な白色をした文字盤。
金属板にガラス質の釉薬を焼き付けたエナメルだ。
黒色の数字と分刻みの目盛り。
豪華な表蓋とは対照的に、文字盤は簡素だ。
ヒビや欠けもなく、針は九時ちょうどを指しており、歪んだ様子はない。
針が干渉して、動かなくなったわけではないらしい。
故障の原因は内側にありそうだ。
「どうかしら、何か分かったかしら?」
私の後ろで、ソワソワと落ち着かない様子のユースティアさん。
「まだ文字盤を見ただけなので、なんとも言えません。ただ」
「ただ、何よ」
「この時計は、いつから動かなくなったのでしょうか?」
「いつからって……最初からよ」
「最初からというと、この懐中時計をいただいた時からということでしょうか?」
「そうよ。私がもらってから、その時計は一秒たりとも進んでいないわ」
どうしましょう。
受け取ったときからこの時計が止まっていたとなると、少し厄介かもしれない。
ユースティアさんが、以前の持ち主を好きなのは、もう分かっている。
そして、おそらく二人は両思いなのだろう。
そもそも、嫌いな異性に時計を贈ったりはしない。
ましてや、自分が大切にしてきた時計だ。
状態から察するに、その人が幼い頃から肌身離さず持ち歩いていたものだろう。
言ってしまえば、もう一人の自分のようなものだ。
そんな大切なものを、動かないまま好きな人に贈ったことになる。
嫌な考えが頭をよぎる。
いや、まだそうと決まったわけではない。
できれば、今回ばかりは私の勘が外れてほしい。
そう願わずにはいられない。
「分かりました……貴重な情報をありがとうございます。作業を続けますね」
「ええ、お願いするわ」
気持ちを切り替え、作業に集中する。
時計修理には、持ち主と時計の関係を知ることも大切だ。
けれど、故障の原因を把握しなければ、先へは進めない。
私が想像しているような、悪い事態とは限らない。
焦りは禁物だ。
呼吸を整えて、裏蓋をこじ開けるオープナーを手に握る。
傷がつかないようにシートを上に被せ、隙間に先端を差し込む。
裏蓋をゆっくりとこじ開ける。
いつもよりも重く感じる。
中には、外装の豪奢なレリーフにも劣らないムーブメントが格納されていた。
輪列を覆う受けには金メッキが施され、淡い金色が光を反射している。
透き通った赤い色の軸受けにも、傷や欠けはない。
機構を固定するネジには、青焼きされたものが使用されている。
縁にはさりげなく太陽の刻印。
そして、本来テンプが置かれている場所には魔石が収められている。
外傷は見当たらない。
それどころか、どの部品も新品同様と言っていいほど輝きを放っている。
しかし、この時計は動かないのだという。
もう少し分解をする必要がありそうだ。
歯車が動かないように、ゼンマイの力を完全に解く。
輪列を覆っている受けの青焼きネジを、傷をつけないように回す。
このとき重要なのは、ねじ頭の溝に合った大きさのねじ回しを使うことだ。
刃先の幅が合っていなければ、ねじ頭の溝を傷つけ、最悪の場合は潰して回せなくなってしまう。
慎重に大きさを見極め、呼吸を整える。
指先の震えが収まったところで、ねじ回しを溝へまっすぐ差し込んだ。
呼吸が浅くなる。
瞬きを忘れた目は乾き、額には汗がにじむ。
それでも、頭の中は冷静だった。
次にやるべき手順を思い浮かべ、最善の方法を選んでいく。
前世の感覚が戻ってきている。
私の手に迷いは一切なかった。
外したネジの位置を忘れないように、順番にケースに入れていく。
全て外し終え、真鍮製のピンセットで受けを挟む。
軸が折れたり、傷ついたりしないように真上に持ち上げる。
その下から姿を現したのは、金色の歯車が連なる輪列だった。
二番目の歯車は六十分で一回転して分針を動かし、四番目の歯車は六十秒で一回転して秒針を動かす。
その規則正しい回転によって、時計は正確な時刻を示すことができる。
そして三番目と四番目の歯車が噛み合うところに、何かを見つける。
ルーペを取って見てみると、緑色の小さな石が挟まっているのが確認できた。
ムーブメントの部品が欠けたかと思ったが、緑色の部品なんてなかった。
そうなってくると、この異物は外から侵入してきたことになる。
閉じられたムーブメントの中に偶然入ったとは考えづらい。
誰かが一度時計を開け、ここに入れたとしか考えられなかった。
一体誰がそんなことを。
ユースティアさんではない。
彼女がやったのなら、わざわざ修理に持ってこないはずだ。
「ユースティア様……失礼を承知でお尋ねします。この時計の以前の持ち主とは、どのようなご関係なのでしょうか?」
「それは、時計の修理に関係がありますの?」
「……おそらく」
「煮え切らない返事ですわね。まあ、いいですわ。別に隠すようなことでもありませんもの」
ユースティアさんは一度言葉を切り、懐中時計へ視線を落とした。
「この時計の持ち主だった第三王子、キーエルト殿下は――私の婚約者ですわ」
表蓋の紋章を見た時点で、以前の持ち主が王族だとは分かっていた。
実際に名前を聞かされると、さすがに身がすくんでしまう。
そして、二人の関係は婚約者。
ユースティアさんは公爵家の令嬢だ。
第三王子が婚約者であっても、身分の釣り合いは取れている。
一応、私も騎士爵家の令嬢ではあるが、舞踏会に出席したことなど一度もないので、当然ながらキーエルト殿下との面識もない。
さすがに、名前くらいは知っていたけれど。
「キーエルト殿下は、なぜ止まった時計をユースティア様にあげたのでしょうか?」
「そんなの私にだって分からないわ……」
「そうですか……キーエルト殿下は確か、今年で十二歳。ユースティア様と同い年ですよね」
ちなみに、私も今年で十二歳だ。
「そうよ……」
「そうですか……では、最後の質問です」
私は小さく息を吐いた。
どうか、私の想像どおりではありませんように。
そう心の中で願いながら、覚悟を決めてユースティアさんに向き直る。
そして――
「――キーエルト殿下は今、ご病気か、あるいは大きな怪我をされているのではありませんか?」
その瞬間。
工房内の空気が固まったかのような気がした。
【名もなき幼馴染の小話 好きになった最初の一秒】
俺がエルナを好きになったのは、七歳の冬の日。
母さんの命日に形見の懐中時計が動かなくなった。
偶然だとは思うけど、まるで俺には母さんと過ごした時間まで止まってしまったように感じた。
古い時計だ。
俺には直すお金も、知識も無かった。
でもエルナは違った。
「その時計、私に修理させてください」
その一言で俺は救われた。
三日後、エルナは目にクマを作って俺の前に現れた。
直った時計を受け取り、俺は泣いてしまった。
「時計、直ってませんでしたか!?」
「ちゃんと動いてる……」
涙を見られたことが恥ずかしくて、ありがとうは言えなかった。
「なら、よかったです。時計が止まったらいつでも私のところに来てください」
その時のエルナの笑顔がずっと頭から離れない。
エルナが動かしたのは、時計だけじゃ無くて俺の中の時間もだった。
エルナはもう覚えていないかもしれない。
でも俺はいつまでも覚えている。
エルナを好きになった最初の一秒を。




