第三章:希望 前編
泉を離れてから、不気味なほど何事もなく、集落の手前までたどり着いていた。
視線の先には苔むした木の柵と門。その奥にはいくつかの家屋らしき建物が見える。
「静か……だな」
「ええ」
分け入っていくと、木立の切れ間に細い道がひらけた。その先、道の中央に小さな影――。
「止まりなさい」
甲高い声が空気を裂き、俺たちは思わず足を止めた。小柄な少女が、道のど真ん中に立っている。腕を組み、こちらを塞ぐように。淡い紫、やや癖のある長い髪を、左右で結んでいる。
「それ以上、入らないで」
一歩でも踏み込めば、排除する――そんな声音だった。少女は、髪と同じ淡い紫の瞳で、俺たちを真っ直ぐに見てくる。子供に見える。だが、その目は違う。値踏みする目だ。遠慮がない。
「……あんたたち、誰?」
警戒と拒絶。なのに、その目は少しだけ興味を隠しきれていなかった。
一瞬たじろぎながら、シェリエールが半歩、前に出る。
「私は、ダーチの集落で巫女を務めているシェリエールと申します」
「長老様に、お伝えしたいことがあり――お目通りをお願いできませんか?」
「巫女……?」
少女は、俺とシェリエールを見比べるように視線を動かし、やがて俺で止まる。
「なんで巫女が、そんな怪しい人間を連れているの?」
「彼はユウ。私の護衛です。人間ではありますが、怪しい者では……」
そのセリフを遮るように、少女は鋭い声を飛ばす。
「変な魂して、瘴気抱えてる人間が、怪しくないわけないでしょ」
その言葉に俺は驚き……否定できなかった。
(やっぱり、変……だよな)
「それに、あなただって――」
そう言うと、シェリエールを真正面から見据える。まるで観察するように。
「シェリエール。あなた、ボーッとしてるって言われない?」
「え、あ……いえ、そのようなことは……」
急な言葉に、シェリエールがしどろもどろになっている。
「ちょっと、いきなり失礼だろ」
バチンッ
頬に衝撃が走る。
「あんたは、黙ってて」
ジト目でこちらを睨みつける少女。
(……いてて。今の、触られてないよな?)
空気が弾けたような感触だけが残り、遅れて痛みが広がってくる。
「ちょっ、急に何するんだよ」
「何?文句あるならもっと痛くするけど?」
少女の圧に負けて、俺はそのまま黙ってしまった。シェリエールは、そんな俺と少女のやり取りに言葉を失っていた。
少女はシェリエールに向き直ると、一転、静かな声で告げた。
「……あなたの中に薄い瘴気がある。杖と、その袋の中のイーナが和らげてるけど――そのまま放っておくと、危険だよ」
「……仕方ないから、シェリエールは通してあげる」
動揺したまま立ち尽くすシェリエールに、少女が声をかける。
「あの……俺は?」
「しらない」
こちらを見ようともせず、シェリエールの手を引いて歩き出す。
「……って言いたいけど、大人しく、黙って、付いてきなさい」
(俺、まあ、怪しいだろうな。むしろ、すぐ受け入れたシェリエールの方が、特殊なんだろう)
「あ、ねえ!君……名前は?」
「アーリン」
短い返答。ほんの一瞬だけ、小さな肩が揺れたような気がした。
「……変なことしたら、すぐに追い出すからね」
――しっかりと、線を引かれていた。
通された集落の中は、至るところに花が咲き、温もりのある木の家々とともに、静寂だけが横たわっていた。どの家の前も、きれいに掃除されてはいるが、扉は閉ざされたままだ。
エルフの姿はおろか、声も、気配すらない。
「……あの、アーリンさん?」
「アーリンでいいよ」
おずおずと聞くシェリエールに、低くはあるが少し柔らかな口調で答える。
「誰も……いないのですか?」
シェリエールの言葉に立ち止まるアーリン。
「……私が、いる」
それだけ言って、振り向かなかった。きちんと、聞かなくてはいけない。他のエルフはどうなつたのか、集落で何があったのか。でも――どう切り出していいか分からなかった。
「教えてください、アーリン」
さっきまでの動揺は消え、しっかりとした口調で話し始めるシェリエール。
「この地で、何かが起ころうとしている。私たちは、それを調べに来ました」
アーリンは少し先で足を止め、だが振り向かない。
「力を、貸してください」
「……こっち」
短く言うと集落の奥へ進み始めた。
アーリンが案内してくれたのは、見上げるほどの大樹と、寄り添うように建つ立派な祠だった。なんだか、この場所だけ空気が違う気がする。横では、シェリエールも、魅入られるようにその大樹と向き合っていた。
「神木……」
「ここの信仰の中心。さ、入って」
アーリンは、そう言うと祠の中に消える。後を追うと、部屋の中でアーリンは立っていた。
「一年前、私はここで目を覚ました」
「家で寝ていたはずなのに。起きたら、一人だった」
背中を向けたまま、ゆっくりと言葉を絞り出している。
「二年くらい前から、人が消え始めた」
――神隠し。いつしか、誰ともなくそう呼ぶようになった。
初めは、誰も深く考えなかった。いずれ戻るだろうと。だが、一人、また一人と消えた。
そして一年前。
「もう、私だけになった」
「探したけどいない。どこにも」
「だから、今は待ってる」
「いつでも戻ってこられるように、集落をきれいにして」
(あいつ、一人で……ここを、全部)
胸が締め付けられた。誰も、すぐには言葉を出せなかった。
「はい!湿っぽい話はおしまいっ」
「次はあんたたちの……」
沈黙を破り、明るく振り返ったアーリンを、シェリエールが強く抱きしめた。アーリンの小さな顔が、その胸に埋もれる。シェリエールの肩は、小さく震えていた。
「早く来られなくて……ごめんなさい……」
アーリンは、何も言わなかった。ただ――ほんの少しだけ、力を抜いた。
「……重いんだけど」
押し返そうとして――やめた。
俺は、少しの間続いたその抱擁を、邪魔しないようそっと見ていた。
「そうだわ。長老様たちへ報告をしないと」
祠からアーリンの家へ向かっていた時、シェリエールが焦った声を上げた。
「アーリン、ここの神木は繋がりますか?」
「もうずっと他に繋げてないはずだけど、大丈夫じゃない?」
答えながら、すでに足は神木へむかっていた。
(繋がる?)
俺には何のことか分からなかったが、とりあえずついて行きながら聞いてみた。
「ねえ、シェリエール。繋がるってどういうこと?」
「神木には……」
「いいわよ、シェリエール。どうせ理解できないでしょ」
答えようとしたシェリエールの言葉を遮るアーリン。
「ユウって、悪い人間じゃないみたいだけど、そういうの疎そうだもん」
「……もしかして、アーリンも分かってないんじゃないのか?」
パシンッ
頭をはたかれる衝撃だけが走る。
「は?ちゃんと分かってるし!私も巫女なんですけど?」
「おいっ。すぐに手を出すなよ」
「手は出してませーん」
シェリエールがいつものように柔らかく微笑みながら説明してくれる。
「神木には精霊が宿ります。その御力を借りて、遠く離れたところでも会話できるのです」
「へー。便利だね」
「でもさ、その……神隠しの時、なんでここのエルフは助けを呼ばなかったんだ?」
率直な疑問だった。
「……私たちエルフは、基本的に他の集落との関わりが希薄です」
シェリエールの言葉が沈んでいる。
「自分たちの集落だけで完結している――そう思っているエルフが多いのです」
「それが出来るエルフも、いなかった」
アーリンが俯きながら答える。小さな拳が少し震えている。
「巫女だったおばあちゃんは、三十年前に死んじゃった」
「その巫女とは、ベレン様のことでしょうか?」
シェリエールの言葉に、アーリンは無言で頷く。
(ベレン……昨日言ってた巫女の名前か)
「私が巫女になったのは二年前。……私、まだ出来なかったんだよ」
絞り出す言葉には後悔が滲んでいる。
「だから……呼べなかった」
「そんな……。でも、必ず一人は巫女を置くようにするのでは……」
シェリエールは、にわかには信じられない様子だ。
「適任者がいなかったって、お父さんから聞いた」
「お母さんは適性があったから、巫女をやるって言ったみたいなんだけど」
「……他の集落から来た余所者だからって」
「でも、長老様は呼べたのでは?その時、長老……ヒルオエス様は?」
「長老のヒルオエス様も……これは自分たちの問題だからって」
シェリエールの問いに対する答えは、納得できるものではなかった。
「……そんなことで」
俺はエルフの閉鎖性に驚いた。
「ユウさん、これもまた、私たちエルフの抱える問題なのです」
シェリエールの声は、どこか重く沈んでいた。
「まだ、帰ってこないと決まったわけじゃない。報告して助けてもらおうよ」
俺は明るく言った。慰めにもならないかもしれないけど、そう言わずにはいられなかった。
「ええ。行きましょう」
シェリエールの言葉で、俺たちはいつの間にか止まっていた足を再び動かした。




