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『その身体は、誰の魂で生きているのか』  作者: 紅玉道


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第二章:異変 後編

「……ここは」

目を覚ましたのは、薄暗いほら穴の中だった。日はすっかり落ちている。どれくらい眠っていたのだろうか。蛇に吹き飛ばされた衝撃を思い出して身震いする。

起き上がろうとすると、全身が軋むように重い。服は破れているが、不思議と傷はほとんど残っていない。隣を見ると、シェリエールが膝を抱えるように座ったまま眠っている。

「傷、治してくれたのかな……」

疲れ切った様子だ。ローブは泥で汚れ、所々擦り切れている。彼女が俺をここまで運んでくれたのだろうか。結局、俺は彼女を守れないどころか面倒までかけてしまった。

(無事でよかった。逃げられたのかな……。ありがとう、シェリエール)

 

起こさないように、そっと外に出る。火打ち石で焚き火を起こすと、ほら穴の入口に座り、ぼんやりと考えた。揺らめく炎が気持ちを落ち着ける。

(俺、どうしたのかな)

いつの間にか知らない言葉を理解し、剣も火打ち石も、初めてなのに迷わず使えた。

どう考えても、普通じゃない。頭の隅にあった一つの考えが、急に現実味を帯びる。

――俺の中に、誰かの記憶がある。


「なあグロー。お前、俺の中にまだいるのか? ……何を、するつもりなんだ?」

答えは返ってこない。聞こえてくるのは、火の中で木が爆ぜる音だけだった。


やがて彼女が目を覚ました。

「シェリエール! よかった。大丈夫……か?」

俺は、安堵と不安と申し訳なさが混ざって、気の利いた言葉さえ出てこなかった。立ち上がったシェリエールの様子は、思ったよりしっかりしていて、俺は心底胸をなで下ろした。

「……ユウさん。ご無事で何よりです」

優しく微笑むシェリエールに、胸が締め付けられる。

「ごめん……。また、守りきれなかった」

(今……“ユウさん”って。ちょっと、認めてくれたのかな)

「いいえ……ちゃんと守ってくれました。おかげで、何とか振り切れました」

視線を落とした俺に、彼女は静かに話し始めた。あの後のことを。

――たぶん、気を遣ってくれたんだと思う。


俺が吹き飛ばされてすぐ、彼女は何とか距離を取り、蛇の動きを止める術をかけた。一度では止まらず、距離を取りながら何度目かの術でようやく縛ったらしい。蛇に纏わりついていた瘴気は浄化できたが、中まで入り込んだ瘴気はどうしても取り除けなかった。やむを得ず、そのまま俺をここまで運び、傷を癒してくれた――。

「それより……無茶しすぎです」

俺の目を見ながら、シェリエールは少しだけ責めるように言った。

「でも、ありがとうございました。ユウさん」


俺は照れ臭かったので、話題を変えようと質問を振った。

「そういえば、シェリエールは、その集落に行ったことあるの?」

「いいえ、私も行くのは初めてなんです」

「ふーん。場所は、やっぱり森に聞く感じか?」

「はい。ですから、迷うことはありませんのでご安心ください」

俺は少し肩をすくめた。

「心配なんてしてないさ。……でも、向こうでは誰に会うんだ?」

「この地の長老であるヒルオエス様か、巫女であるベレン様にお会いするつもりです」

「なるほどね。じゃ、明日も早いしそろそろ休もうか」

「ええ。そうしましょう」

集落までは、ここから半日。明日に備えて早めに休もうと横になったその時。

「……あ」

シェリエールの呟きが耳に入る。視線をあちこちに動かしている。

「……探し物?」

「いえ……なんでも、ありません」

驚くほど視線が泳いでいた。どう見てもなんでもなくはない。嘘は苦手なようだ。

「一緒に探すよ。何が無いんだ?」

「実は……ペンダントが無いのです」

そう言うと、俯いたまま顔を上げなかった。だが、最初に見つけた時、ペンダントなんてしていた覚えがない。だとすると。

「俺が見つけた時には、してなかったと思う。たぶん、あの瘴気爆発の時じゃないか?」

「……そう、ですね」

シェリエールは小さく頷いたが、俯いたまま、ぎゅっと自分の手を握りしめている。

「大切なものだったのか?」

一瞬だけ、彼女の視線が揺れた。

「……はい。とても」

それ以上は、語らない。いや――語れない、という方が近いように見えた。


焚き火の音だけが、やけに大きく響いた。

(……ペンダント、ね)

あの言い方、ただの装飾品って感じじゃないな。でも――。

「役目がちゃんと終わったら、一緒にあそこまで戻って探そう。きっとすぐ見つかるさ」

俺はわざと軽く言って、肩をすくめる。

シェリエールは、少しだけ驚いたように顔を上げた。それから、小さく微笑む。

「……はい。ありがとうございます」

その笑顔は、どこか無理をしているようにも見えた。


「……ふぁ」

何度目かのあくびを噛み殺す。歩きながら、俺は大きく伸びをする。翌朝、集落へ向けて出発した俺は、心地よい森の空気と眠気に包まれていた。

「ユウさん、昨日、ちゃんと眠れなかったのですか?」

シェリエールの問いに、曖昧な返事を返す。

「いや、寝つけなくてさ」

眠れなかった。瘴霊にデカい蛇。昨日の興奮と、また何か来るんじゃないかという緊張で、ずっと気が張り詰めていた。シェリエールはぐっすり眠れていたみたいだ。かなり無理してくれたのだろう。今の元気そうな顔を見るとホッとする。

「また眠れないようでしたら仰ってください。よく眠れる薬を調合して差し上げますからね」

(なんか、雰囲気が変わったな。……少しだけ近くなった)

変わったのはシェリエールだけではない。俺も――。

(この世界に、違和感を覚えなくなってきた)

次々に起こる、信じられないようなことを自然に受け入れ始めている自分に戸惑った。

他愛もない話をしながら進むと、少し開けた場所が見えてきた。

「へぇ……えっ!?」

思わず声が出た。そこだけ外界から切り離されたような風景。

透き通る水を湛える泉。鮮やかな花々。木々の隙間から、光が溢れ落ちている……。

そこに、あまりに似つかわしくないものがいた。

――蛇、だ。

眠っているのか、規則的に全身が上下している。相変わらずすごい存在感だが、何となく纏っている雰囲気が違う。シェリエールを見ると、じっと蛇の様子を観察している。

「問題ありません。完全ではないですが、瘴気が薄れています」

「……それ、安全なのか?」

「少なくとも、いきなり襲ってくることはなさそうです」

小声に気づいたのか、蛇は鎌首をもたげ、こちらを見下ろした。


『お前たちか……昨日のことは、詫びよう』

(今の、頭に直接? この蛇、喋れるのか。いや、喋ってはないけど……)

「あなたは、何者なのです?」

シェリエールが蛇に問いかける。

「あなたは、精神まで瘴気に侵されていた。なのに……それすら薄れている」

『……』

返事はない。シェリエールは、蛇と視線を合わせたまま動かない。――不意に。

『……ここから離れろ』

「え?」

『お前たちも、呑まれるだけだ』


「この森で何が起こってる? 俺たちは、それを調べに来た」

蛇は、俺をただ一瞥した。

『危ういな、貴様の魂……』

それだけ言って蛇は視線を外そうとして――止まった。俺の剣に。

だが――何も言わない。そのままシェリエールに向き直る。

『そこの巫女。その泉の水を飲んでいけ』


身体をくねらせ――蛇は去った。森の奥へ。一つだけ残して。

『見せてもらおう……お前たちの選択』

その意味は、まだわからなかった。


泉を離れてから集落までは半刻ほどだった。何かが起きているわけではない。だが森を進むほど、異常と言うには小さな、かすかな不快さが肌にまとわりついていた。やがてその不快さが薄れ、苔むした木の柵と門、その奥にはいくつか家屋らしき建物が見えてきた。

「静か……だな」

「ええ」


分け入っていくと、木立の切れ間に細い道がひらけた。その先、道の中央に小さな影――。

「止まりなさい」

甲高い声が空気を裂き、俺たちは思わず足を止めた。

小柄な少女が、道のど真ん中に立っている。腕を組み、こちらを塞ぐように。淡い紫色の長い髪を、左右で結んでいる。毛先には少し癖があった。


「それ以上、入らないで」

一歩でも踏み込めば、排除する――そんな声音だった。少女は、髪と同じ淡い紫の瞳で、俺たちを真っ直ぐに見てくる。子供に見える。だが、その目は違った。

値踏みするような視線に、遠慮がない。

「……あんたたち、誰?」

警戒と拒絶。なのに、その目は少しだけ興味を隠しきれていなかった。


一瞬たじろぎながら、シェリエールが半歩、前に出る。

「私は、ダーチの集落で巫女を務めているシェリエールと申します」

「長老様に、お伝えしたいことがあり――お目通りをお願いできませんか?」


「巫女……?」

少女は、俺とシェリエールを見比べるように視線を動かし、やがて俺で止まる。

「なんで巫女が、そんな怪しい人間を連れているの?」

「彼はユウ。私の護衛です。人間ではありますが、怪しい者では……」

そのセリフを遮るように、少女は鋭い声を飛ばす。

「変な魂して、瘴気抱えてる人間が、怪しくないわけないでしょ」

その言葉に俺は驚き……否定できなかった。

(やっぱり、変……だよな)


「それに、あなただって――」

そう言うと、シェリエールを真正面から見据える。まるで観察するように。

「シェリエール。あなた、ボーッとしてるって言われない?」

「え、あ……いえ、そのようなことは……」

急な言葉に、シェリエールがしどろもどろになっている。


「ちょっと、いきなり失礼だろ」

パシンッ!

頬に衝撃が走る。

「あんたは、黙ってて」

ジト目でこちらを睨みつける少女。

(……いてて。今の、触られてないよな?)

空気が弾けたような感触だけが残り、遅れて痛みが広がってくる。

「ちょっ、急に何するんだよ」

「何? 文句あるならもっと痛くするけど?」

少女の圧に負けて、俺はそのまま黙ってしまった。シェリエールは、そんな俺と少女のやり取りに言葉を失っていた。


少女はシェリエールに向き直ると、一転、静かな声で告げた。

「……あなたの中に、薄い瘴気がある。杖と、袋の中のグラナで和らげているみたいだけど、そのまま放っておくと危険だよ」

「……仕方ないから、シェリエールは通してあげる」

動揺したまま立ち尽くすシェリエールに、少女が声をかける。

「あの……俺は?」

「しらない」

こちらを見ようともせず、シェリエールの手を引いて歩き出す。

「……って言いたいけど、大人しく、黙って、付いてきなさい」

(俺、まあ、怪しいだろうな。むしろ、すぐ受け入れたシェリエールの方が、特殊なんだろう)


「あ、ねえ! 君……名前は?」

「アーリン」

短い返答。ほんの一瞬だけ、小さな肩が揺れたような気がした。


「……変なことしたら、すぐに追い出すからね」

――しっかりと、線を引かれていた。

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