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『その身体は、誰の魂で生きているのか』  作者: 紅玉道


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第一章:目覚め 後編

街道を歩くことしばし。程なく小屋が見えてきた。

やや古びてはいるが、しっかりした作りだ。中に人の気配はない。

「……使わせてもらうか」

シェリエールによると、猟師や木こりが使うための休憩小屋らしい。簡素な机と椅子にベッド、食器類や釣り竿まで置いてある。


「少しお待ちください。今、スープを作ります」

そう言うと、シェリエールは隅に置かれていた壺に水を張り、森で採った実や草を放り込んでいく。満足げに頷くと、かまどに火を付けてコトコト煮込み始めた。


その光景を、俺は呆然と眺めていた。水も火も、何もないところから突然現れたのだ。

「あの、シェリエール。それって……?」

「はい?」

問いかける俺の意図がわからない様子。

「少し煮込めば、いい味が出る……はずです」

「いや、あの、その水とか火」

「ああ」

やっと、俺が何を言いたいかわかってくれたようだ。

「少し火が強いですか? でも、しっかり煮込むってディリンは言ってたし……」

……どうやら、話が噛み合っていないらしい。

俺は料理方法を聞いたわけではない。今のは、魔法というものじゃないのか? 興味も不安もあったが、不思議がる俺がおかしいのだろうか。

野盗に囲まれた時、彼女が落ち着いていた理由も、今ならわかる。


テーブルには、そのまま食べられるという果実と、シェリエールお手製のスープが並べられた。母親以外の女性に手料理を作ってもらうなんて、二十二年の人生で初めてかもしれない。

淡い青色のスープに、真っ赤な果実が丸ごと浮かんでいる。

(変わった色だな……これが異世界)

「いただきましょう」

シェリエールの言葉と同時に、俺もスープを一口すくって口に運ぶ。スープは酸味が強く、微かな辛味があった。果実は、噛むと口の中に粘度を持つ苦い果汁が広がった。

(なんだこれ……。でも異世界なら普通なのか?)

空腹も手伝い、しばらく無言で食べたところで、ふと手が止まった。

「エルフと人間って、やっぱり味覚も違うのかな?」

何とか傷付けないように、言い訳しながら顔を上げた俺の対面で――シェリエールは頭を抱えてテーブルに突っ伏していた……。


スープを食べ終えると、いつの間にか窓の外は暗くなっていた。小屋の中も、火の光だけが頼りだ。シェリエールの予報通り、小さな雨音もぽつり、ぽつりと聞こえ始めている。


「ごめんなさいっ。香り付けで入れたハーブが駄目だったのかしら……」

落ち込んだ様子で独り言を繰り返すシェリエールは、とても微笑ましかった。

「ありがとう、シェリエール。君がいてくれてよかった」

いきなり見知らぬ世界に放り込まれて、一人だったらとても耐えられなかっただろう。

「そんな……。私の方こそ、お礼を言わなければ。倒れていた私を助けてくれたこと、野盗から守ってくれたこと。ありがとうございました」

――一人でも何とかなったのでは。そんな考えを見透かされたようでドキッとしてしまった。

「あの野盗の方々も、説得できればよかったのですが」

 シェリエールは本気でそう思っているようだが、あれはどう考えても煽っていた。

「そういえば、少し記憶、戻った? ディリンって名前とかさ」

「実は、そうなんです。まだ、頭に霧がかかっているような感じがありますが、少しだけ」

そう言うと、思い出したことを話してくれた。何か大切な役目があり、ダーチという、ここから十日ほど歩いたところから来たこと。ただ、その肝心の役目がまだ霧の中にあること。

――それと、とても悲しい出来事があったはずだ、と。

「でも、ここまで思い出したのは、ユウさんとの会話があったからです」

「いや、俺との会話なんて、そんな……」

その時、不意にあることが頭をよぎった。言葉は通じていなかったはずだ。

いつから、俺は彼女の言葉を理解できるようになっていたのだろう……。


「――さん? ユウさん?」

固まってしまっていた俺を、心配そうにシェリエールが覗き込んでいた。

「どうされました? 急に黙ってしまって」

「シェリエール! 俺たち、今、会話してたよな?」

「えっ、はい。それが何か……」

言いかけた彼女の瞳がわずかに見開かれる。彼女も異変に気づいたのだろう――。


俺、この世界に馴染んできているのか?

――それとも。

何かに、“馴染まされている”のだろうか?


ザァァァ……。

強まる雨音の中、俺たちはただ、揺れるランプの明かりを見つめていた。俺は会話ができるようになり、シェリエールも記憶を取り戻し始めている。――なのに、不安が拭えない。

「……そうだ、荷物」

ふと、拾っておいた革袋が目に入った。なんでこんな簡単なヒントを見逃していたのだろう。

「シェリエール、荷物見てみよう。何か出てくるかもしれない」

その言葉に、弾かれたように彼女も顔を上げた。その表情には少しの希望と、“なぜ今まで気づかなかったのか”という戸惑いが浮かんでいた。


シェリエールが魔法で光を灯し、俺はテーブルに袋の中身を並べていった。革袋は大きく、しっかりとした作りだ。中には保存食や金貨、乾燥させた薬草、蝋燭、包帯など、旅のための品々が詰め込まれていた。そして――一通の手紙と、白い水晶玉のようなもの。

「……これは」

シェリエールが手紙を手に取る。目を通すうちに、みるみる表情が変わっていく。

「グロー……」

かすれた声が漏れる。

次の瞬間――彼女の体が揺れた。呼吸が乱れ、その手から手紙が落ちる。

「おい!」

駆け寄る――が間に合わない。そのまま崩れるように倒れた。


俺は彼女をベッドに寝かせると、脇に椅子を置いて腰掛けた。呼吸はある。だが、意識が戻らない。額には汗が滲み、表情は苦しげだ。何かと戦っているようだった。

「……グロー……」

その名前は、ただの名前ではない。その呼び方だけで、特別な存在なのだとわかった。

「……いや……だめ……」

夢を見ているのだろう。きっと、悪い夢だ。さっき言っていたとても悲しい出来事だろうか。あまりに苦しそうな顔を見て、少し迷う。起こすべきか、それとも。

「シェリエール、起きろ」

手を伸ばしそっと肩を軽く揺する。――息を呑みながら、彼女の目が開いた。

「っ――!」

「シェリエール! 大丈夫か?」

声をかけた俺の顔を見た瞬間――抱きついてきた。迷いなく。しがみつくような、強い力。

言葉が出ない。シェリエールの腕の震えが伝わってくる。

「グロー……」

――違う。俺はグローじゃない。わかっているのに、喉を動かせなかった。ただ受け止める。背中に手を回し、ゆっくりとさする。彼女の震えが、少しずつ収まっていく。

(……近い)

吐息がかかり、体温が伝わる。――触れているという実感に、顔が一気に熱くなる。

(いやいや、今それどころじゃないだろ!)

必死に自分に言い聞かせる。理性が必死に感情を押さえ込もうとしていた。

(落ち着け……落ち着け俺……)

「……グロー……」

小さな声。

「……俺じゃ、ないんだよな」

ぽつりと漏らす。それでも。腕は離さなかった。しばらくすると、力がゆっくりと抜け、呼吸が落ち着く。そのまま、眠ってしまったようだ。再び彼女をベッドに横たえる。

そして――思わず、天井を見上げた。

「……危なかった……」

外では、まだ雨が降っている。だが、小屋の中はただ静かだった。


眩しさに目を覚ますと、外はもう明るかった。雨も上がり、木々が雨露で輝いている。あのまま寝てしまったらしい。毛布を掛けられ、椅子に座ったままだった。シェリエールが掛けてくれたのだろうか。小屋の中を見回してみるが、姿が見えない。

「シェリエール?」

不安定になっていた彼女を思い出す。嫌な予感を振り切るように、俺はドアを開けた。言い知れぬ不安が胸の中に広がる。森へ駆け出そうとしたその瞬間――彼女は籠を持って現れた。


「あ……」

立ち止まり、なんだか気まずそうに顔を伏せる。どうすべきか。

何事もなかったように振る舞うのか、手でも振ってみるのか。そんな余裕はなかった。

「シェリ! どこに行ってたんだ?」

自分の言葉に内心驚く。親しげで厚かましい。

(昨日会ったばかりなのに……失いたくない、なんて)

シェリエールがいなくなるのが、無性に怖い。俺は自分の感情に戸惑っていた。


「……木の実を、採りに」

一瞬、俺の顔を見た彼女は、目を伏せながら消え入りそうな声で答える。

俺は恥ずかしくなった。勝手に心配して、勝手に焦って、責めるような言い方までして。

「……ごめん」

俺は、彼女の顔をまともに見られなかった。嫌われたかもしれない。――それが、怖かった。気まずさを抱えながら、二人は小屋に戻る。シェリエールは黙って木の実を並べている。


「ユウ様。昨日は、大変……失礼を致しました」

シェリエールは、席に着くなり言い出した。視線をテーブルに落としたまま。

「気が動転し、あのようなことをしたこと、申し訳ございません」

彼女の事務的な言葉が胸に刺さる。明らかに、距離を取られているのを感じた。シェリエールは顔を上げると静かに語り始めた。思い出した役目。そしてあの時、何が起こったのかを。

「私は、集落で巫女をしていました。そして、二週間ほど前、神託を授かりました」

ミスダクに近く災厄が訪れると。ただ、神託は曖昧だった。いつ、どんな、どれほどの規模で――詳細はわからない。まずは状況の確認と、ミスダクのエルフに調査の協力を仰ぐことになった。そして、シェリエールはグローとともにダーチを出た。

「グローは、集落に近いジュネス村に住む人間の剣士で、護衛をして頂いていました」

グローのことを話すとき、シェリエールは少し俯いた。だがすぐに巫女の顔に戻る。

「順調にここまで来たところで、私たちは瘴気爆発に巻き込まれました」

「ショウキ爆発?」

「瘴気爆発とは、瘴気という心を壊す毒のようなものが急速に増えて拡散する現象です」

思わず口にした俺の疑問に答え、彼女は淡々と説明を続ける。

「革袋の白い宝珠。あれはフィーア・グラナといい、その瘴気を浄化するものです」


「すみません……本題に戻ります」

爆発は二度起こった。一度目の爆発の時、グローはシェリエールを庇い直撃を受けた。シェリエールはすぐに駆け寄り、彼の状態を確認したが――。

「……魂が、なかったのです」

その言葉はあまりに重かった。彼の体はそこにあった。だが、中身がなかった。空っぽだった。シェリエールは、ほんの一瞬だけ視線を落とした。

直後、二度目の爆発が起きた。そして――彼女は目を覚ました。目の前にいたのは、よく知っているはずの顔だった。俺を見たとき、記憶がないにも関わらず安心したのは、無意識に信頼できる人間だと感じていたからだろう。だが――。

「あなたは、グローではない」

その言葉に、迷いはなかった。ただ、俺を見る視線が揺れている。

「わかっているのです。でも……」

それ以上、言葉が続かない。今、目の前にいる俺を見ているのも辛いのかもしれない。

森は静まり返り、わずかな音だけが耳に残る。


やがて、意を決したようにシェリエールは告げた。

「私はこのまま、あの森の中の集落へ向かいます。ユウ様はこの小屋でお待ちください」

「なっ……」

一瞬、シェリエールが何を言ったのか、理解が追いつかなかった。

「これ以上、巻き込むわけには参りません。役目が終わりましたら、必ず迎えに戻ります」

言い終わると、立ち上がった彼女はそのまま杖を手に取る。

そして――迷いなく、小屋の外へ歩き出そうとした。


「待ってくれ! 俺も……一緒に行く。いや……行かせてほしい」

それは願いに近い言葉だった。俺はシェリエールの目をまっすぐに見た。

「俺は、グローじゃない。それでも、今、ここにいる」

一瞬の静寂。

彼女は、黙ったまま。まっすぐに見つめてくる。確かめるように。息を吸う――そして。

「……ありがとうございます」

その言葉は静かだった。完全な受け入れではない。それでも、一歩踏み出せた気がした。


 俺たちは、シェリエールが採ってきてくれた果実を食べ、荷物をまとめて小屋を出た。その間、どちらも口を開かなかった。目が合いそうになると、逸らされる。今、シェリエールはどんなことを考えているのだろう。昨日の夜の寝言。グローという呼びかけに乗っていた強い感情。きっと、大切な人だったんだろう。

 それでも、俺はシェリエールと一緒にいたかった。一人になる不安なのか、彼女のことを好きになり始めているのか……。心の整理はついていなかった。でも。

――今度こそ、彼女を守りたい。なぜだかその感情だけがやけに強かった。

「では、参りましょう。ユウ様」

「ああ」

 目の前にはミスダクの森。俺は大きく深呼吸すると、足を踏み入れた。

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