幕間:統治者ではなく、父として
ギシ……
クーラマフは自室に戻ると、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、壁に視線を向けた。
そこには、一枚の絵が飾られていた。
肖像画としては珍しく、笑顔で描かれた女性。淡い紫の、やや癖のある髪。
「フィオナラ……行ってくる」
脳裏に浮かぶのは、笑っている姿。よく喋る声。自分を外へ引っ張る存在。
クーラマフの一目惚れだった。自分にないものを持っていた。
お喋りで、感情的で――その全てがクーラマフには眩しかった。
彼女と話す時間が、いつしか楽しみになっていた。
(お前に告白した時が、人生で一番緊張したよ)
「よく、叱られたな……」
記憶の中のフィオナラの声が聞こえる。
――「そんなの、やってみないとわからないじゃない」
「そうだな……やらなければならない」
その呟きに、わずかに力がこもる。
「フィンレイは、必ず、生きている」
娘は出ていった。ミスダクの青年のところに行くと。止められなかった。
「他の集落に行くなど、後悔する。お前のためだ」
フィンレイは、静かに返した。
「私の幸せは……私が決める」
「ごめんね、あなた……あの娘、私に似たみたい」
フィンレイが出ていった日。妻はさみしそうに笑っていた。けれど、これでいいという思いもその顔には浮かんでいた。
ミスダクの集落で起きた神隠し。残っているのは、アーリンという巫女一人。
他の者の消息は不明。もちろん、フィンレイも。
ふと、長老会議の時のコワルバスの言葉が思い返された。
(まだ死んだと決まったわけではない)
「仮定を重ねるな、と言ったのは私だったな」
だが、今はその仮定こそがクーラマフの希望であり、賭ける意味だった。
――そして。止められなかった者がもう一人。
「……兄上は、どちらを選ぶのですか」
弟はそう言って自分から離れ、内乱の中で命を落とした。
「お前は間違えている。あいつは、必ず集落を不幸にする」
私は正しいことを言ったはずだ。――それなのに。
なぜ、説得できなかったのか。なぜ、強引にでも引き止められなかったのか。
「……もう、失わない」
目を開けた。絵の中の妻がこちらを見ている。しっかりしなさい、と言うように。
「そう。私は、お前のそういうところが好きだったんだ……」
自分にないもの。強い意志と行動力。そして、ほんの少し“わがまま”で……。
「フィオナラ……。今日、私も少しわがままを言ったよ」
そして、少し笑みがこぼれる。
「あの二人には、言えんな……」
クーラマフは早朝、集落から発った。異変の中にいる娘のもとへ。
一人の父親として――迷いはなかった。




