第三章:希望 後編
再び、神木の祠。シェリエールとアーリンは報告のために中に入っていった。
俺は、外で二人を待つことにした。口を出していい立場じゃない。
(ダーチの長老たちは、この集落の神隠しについて、力を貸してくれるだろうか)
他の集落への関心の薄さ、閉鎖的な文化。さっきの話を聞くと、期待できない気もする。それでも、何もしないよりはいい。
「シェリエールなら、ちゃんと説明してくれるよな、きっと」
(災厄って、このことなのかな?いや、これから起こるって言ったよな)
俺からすれば、神隠しだって十分災厄だ。これ以上のことが起きるというのか。
アーリンのためにも何か力になりたい。でも、何ができるのかも分からない。もどかしかった。
祠の中、祭壇の間。淡く光る根が、静かに脈打っている。
その中心に立つのは――シェリエール。
「……繋がりました」
目を閉じ、意識を沈める。やがて、三つの影が浮かび上がってくる。
コワルバス、シェスヴァフ、クーラマフ。遠く離れたダーチの集落にいる、三人の長老。
その場にいるわけではない。だが、確かに“そこにいる”。
「シェリエールです。予定より少し遅れ、今日、ミスダクの集落へ到着いたしました」
「状況の報告を行います」
一切の感情を乗せず、言葉を紡いだ。
「二日前、ミスダクの森、入り口付近にて、瘴気爆発を二度、確認しました」
「同行していた人間、グローは――その際、魂を消失しました」
乱れそうになる呼吸を整える。
「なお、私自身は記憶を一時喪失していましたが、現在は回復しています」
淡々と続ける。起こったことを、事実だけ。
「森の内部にて、瘴霊及び瘴気と思われる現象により襲撃を受けています」
「また、巨大な蛇と遭遇しました。高い知性を有し、何らかの事情を把握している様子でした」
呼吸一つ乱れない。
「ミスダクの集落に到達しましたが、エルフの姿は確認できませんでした」
「残存者は一名のみ。こちらにいる、巫女アーリン」
ほんの少しだけ、声が和らいだ。
「彼女の証言によれば、約二年前より神隠しが発生。集落の住民は、段階的に消失」
「一年前、ついに彼女が最後の一名になったとのことです」
再び、感情が消えた。
「最後に――」
わずかな間。
「現在、グローの肉体には別の魂が存在。記憶を持たない人間の魂で、ユウと名乗っています」
「以上が、現時点での報告です」
シェリエールはただその場に立ち、次の言葉を待つ。
最初に口を開いたのは――コワルバスだった。
「……まずは、無事で何よりだ。報告は受け取った」
シェスヴァフが続く。
「シェリエール、記憶を失ったというが……体調はどうなのだ?」
「はい。体調面は問題ありません。念のため、この後アーリンに診てもらいます」
「それなら一安心だ。ところで、二つ確認する」
「グローの魂は、完全に消失したと見ていいのか」
「それともう一つ――その“ユウ”という存在。敵意の有無は?」
合理的な問い。だがその奥には、“最悪を想定している気配があった。
「少なくとも、ユウに敵意はありません。これは、私とアーリン双方の見解です」
「グローの魂が、瘴気爆発の直後、肉体にない事は確かに確認しましたが……」
シェリエールが初めて言葉に詰まり、横にいたアーリンが続ける。
「ユウの魂、少なくとも……普通の形じゃなかった」
三人の長老は、すぐには言葉を返さなかった。
クーラマフが静かに口を開く。
「間違いないのですか?」
「普通じゃないのは確か。でも……何がおかしいのかは、まだ分からない」
「もう一つ。ミスダクの住人は“ただ”消えたのですか?何か痕跡は?」
ほんのわずか、言葉を早めたクーラマフの問いに、アーリンは黙って首を振った。
「……情報を整理しましょう」
クーラマフが小さく息を吐き、落ち着いた声で話を進める。
「瘴気爆発、瘴霊及び瘴気。何かを知っている蛇。グローの魂の消失と、正体不明の魂」
「そして、二年前からの神隠し」
ゆっくりと積み上げる。
「……単一の現象とは考えにくい。複合的な異常です」
結論だけを置く。
コワルバスが小さく鼻を鳴らす。
「だからどうした」
「これらが神託にある“災厄”なのか、判断にはまだ足りません」
即答するクーラマフ。
「各現象の繋がりも不明です。下手に動けば、被害が拡大する可能性があります」
「もう広がっている」
返すコワルバスの声は低かった。
シェスヴァフが割って入る。
「追加派遣は?巫女が二人、中心にいる。このままというわけにもいくまい」
クーラマフは何か考えるように一拍置く。
「このあと、話をしましょう」
「明日の朝、また繋いでください。それまでにこちらの指示をまとめます」
クーラマフがまとめ、報告は終わる。
「引き続き、状況観察を優先してください。くれぐれも単独行動は避けること」
「今日はゆっくり休め。無理はするなよ」
シェスヴァフの声を最後に、接続が途切れる。後に残ったのは、重い沈黙だけだった。
夕日が差し、静寂が落ちる。三人の間に言葉はない。だが、思考は止まっていない。
最初に崩したのは――コワルバスだった。間を置かず、結論を求める声。
「……で、どうする。すでに被害は出ている。様子見は終わりだ」
「結論を急ぐな。ただ事ではない。だが、情報も足りん」
「ふん。ではまだ待つのか?手遅れになる」
「慎重に、動くべきだと言っている」
シェスヴァフの制止と、コワルバスの反論が続く。
二人を遮り、クーラマフがゆっくり口を開く。
「先ほど言った通り、今起きている現象……単一の原因とは考えにくい」
「ですが、現時点では情報が断片的です」
「なら、増援だ。対処できる者を」
「誰を送るのだ?問題はそこだ。この集落にも巫女は残さねばならん」
ほんの一瞬だけ間を置いて――クーラマフが静かに宣言する。
「――私が行きます」
「……なんだと?」
初めてコワルバスが戸惑う。
「あんたが……?」
シェスヴァフの視線がクーラマフから離れない。
コワルバスがわずかに目を細める。
「……理由は」
「適任だからです。現場での即時判断、瘴気への対処能力が必要です」
即答する。
「確かにそうだが……」
シェスヴァフの歯切れは悪い。
「……それだけか?」
「それ以上の理由はありません」
コワルバスの投げかけに、視線も、声も、変わらない。
一瞬。ほんの一瞬だけ――「ミスダク」という言葉の残響の中で、クーラマフの指先が、わずかに止まる。誰も、それを指摘しない。
「……そうか」
シェスヴァフが静かにそういうと、それ以上は何も問わなかった。コワルバスも、黙ったままクーラマフを見ていたが、言葉を発することはなかった。
「では、明日の朝の指示を整理します。応対は、コワルバス。あなたに頼みます」
瘴気、蛇、正体不明の魂、そして神隠し。少しでも情報が欲しかった。だが、あまりリスクの高い行動を取らせるわけにもいかない。ひとまずは、異変の兆しを見つけること、アーリンという巫女の言う“普通ではない魂”の正体を調べることを、明日の指示とした。
その後の判断は、現地に着いたクーラマフへ委ねる形となった。
「シェスヴァフ、私が不在の間のまとめは任せます」
そして会議は終わる。
「……何日で着く?」
コワルバスが聞く。クーラマフは冷静に答える。
「三日です。それ以上は、かけません。明日の朝、早々に出ます」
部屋の隅、会議の内容を書き記していたディリンは思わず顔を上げた。
(三日……?いくらなんでも無理ではないのか?)
彼の感覚では、急げば五日。動き慣れたエルフでも四日ほどの距離である。だが、もちろん口を挟むことはしない。何より、残りの二人の長老はそれに疑問を持っていない様子だった。
「ディリン。準備を」
クーラマフはそう言うと、振り返らずに場を出ていった。
残った二人は彼の背中を見送り、そのまま目を閉じた。そして、何も言わなかった。
引き止める理由も、問いただす理由も――もうなかった。




