番外編:金融少年アークの事件簿―時魔法の罠
「おかしいわ」
そうつぶやいた職員の手が止まる。
「何度やっても計算が合わない。しかも家1軒分もよ?」
声がわずかに震えている。
彼女は困り果て、こめかみを押さえていた。
日が傾きメルナドの街が夕陽の色に染まっている。
畑で働く人々は道具を片付け、家路へと向かい始める時間だ。
商業ギルドの職員たちは、暗くなってきた部屋で、今日一日の仕事の締めに追われていた。
いつもと変わらない、一日の終わり――のはずだった。
石板に石筆で書き込んだ数字と、商業ギルドの残高に、大きな差がある。
請求額の合計は、金庫の中の金額をはるかに上回っていた。
そのまま支払いをしてしまえば、巨額の損失は避けられない。
「どうかしたんですか」
書類の整理をしていた少年アークが、そんな女性職員に声を掛けた。
締めが終わらなければ仕事も片付かず、彼も帰れない。協力をするのは自然な流れだ。
「ああ、アーク。あなたもちょっと手伝ってくれる? 今日処理した書類におかしな点がないか、調べて欲しいの」
「計算ミスの書類を探せばいいんですね?」
「そうね。机の上の三つの山が今日の分だから、あなたは右から調べてちょうだい」
「承知しました」
アークはかしこまった言葉で応えてから、書類を手に取った。
計算ミスというにはあまりにも額が大きい。今日一日の支払いよりも、差額の方が多かった。
まずざっと目を通し、金額の多いものを確認していく。それから石板を手元に置いて、一枚ずつ検算していった。
しかしおかしい。
全て合っている。
間違いは一件も見つからない。
部屋のざわめきに気づいて、主任も顔を出す。
彼も手分けをして再チェックを行ったけれど、原因となる書類は見つからないままだった。
アークは計算し終えた書類をまとめ、机の上でトントンと揃えた。そしておかしな点はないかと、パラパラとめくってみる。
(あれっ?)
数字とは別のところで、小さなひっかかりが生まれた。
何か、違和感がある。
もう一度、最初からめくるとはっきりとわかった。
――一枚だけ、紙の色が違っている。
紙は毎年まとめて購入している。同じ年度の他の契約書と、品質が異なることはあり得ない。
普段書類整理の仕事をしているからこそ気づいた違和感だった。
アークはその一枚を抜き出して、じっくりと眺めた。
妙に古ぼけている。紙の色が黄ばんでいる。
鼻を近づけて嗅いでみると、埃っぽいにおいがした。
「あの、これじゃないですか」
アークは手にしたその書類を主任に差し出す。彼も違和感に気づいたのか、受け取って、もう一度検算をした。
「ふむ。君たちももう一度ずつ計算をしてみてくれ」
はいと答え、再計算をしてみたが、結果は同じだ。担当の彼女も困惑した表情を見せていた。
――おかしい。
1ヶ月前に契約された世界分散~ワールド~の、投資の書類だ。開始時に1万Gが投資されていた。
それが今日解約され、支払い請求されている。
解約や取り崩し自体はよくあることだ。投資をしてみたものの、急にお金が必要になり、現金化することは珍しくない。
何度見ても計算は合っている。けれど金額が異様に大きい。
数字の異常さに、背筋が凍った。
「計算は、間違ってない。けど、正しくない。これは嘘だ」
アークはキッパリと言い切った。
主任は視線を外し、時間を確認する。
「よし。これはもう我々にできる範囲を超えている。代表に意見を仰ごう」
そう言って立ち上がった。
ひんやりとした空気が漂う階段を昇り、最上階の部屋の前に着いた。
主任は一度ためらうような仕草を見せたが、すぐに重厚なドアをトントンとノックする。
入りたまえという言葉を確認して、商業ギルド代表――クロードの執務室のドアを開けた。
「失礼します」
「何かあったようだな」
部屋を訪ねると、主任が先に連絡をしておいたのか、代表が待ち構えていた。
「はい。本日の締めの計算が合いません。調べたところ、不審な書類が見つかりました」
そう言って部屋の中を進んでいく。
担当職員とアークも一緒に部屋に入った。
代表の部屋は他と違って豪華な作りだ。
革張りのソファにどっしりとしたテーブル、それに外の音を遮る重厚なカーテン。
どれも貴族や大商人を迎え入れても失礼のないよう整えられている。
アークは少し臆しながらも、クロードの前に立つ主任に続いた。
「こちらになります」
テーブルの上に黄ばんだ書類が差し出される。
担当職員が最初に計算した用紙と、主任が検算した石板も一緒に置かれた。
紙質こそ古びているが、記載内容は他の契約書と変わりなかった。
おかしな記述があるわけでも、特別な内容の覚書が添えられているわけでもない。
それが、かえって不気味だった。
クロードは手に取り、その書類をじっと見る。
おもむろに手をかざし、『鑑定』とつぶやいた。
書類がゆらりと波打って、魔法の光に包まれる。そして淡く光り宙に浮いた。
「これは……」
緊迫したつぶやきが、彼の口から漏れたのを、アークは聞き逃さなかった。
「代表?」
「――時魔法が、施されている」
「なんですって?」
三人が同時に声を発した。
彼はこのギルドただ一人の貴族で、魔法を使うことができる。
ものの価値を計るための『経験による鑑定』と、『鑑定魔法』は全く別物だ。
予想外の答えに主任は言葉を失っている。
契約書に魔法が掛けられるなど、前代未聞のことだった。
「だ……だから、計算が合わないのですか。しかし、これは――」
「ああ、これはゆゆしき事態だ。我が商業ギルドの信用そのものに刃を向ける行為だ」
これは犯罪だ。通常の盗難事件と同じく、ギルドのお金を盗み出す行為に等しい。
「もしこの支払いが通ってしまえば、世界分散~ワールド~は崩壊し、我々が積み上げてきた信用は二度と取り戻せない」
クロードは語気を強めた。
「そんな――そんなことがあるだなんて。魔法による契約書の改ざんなんて、聞いたことがありません」
担当職員も狼狽している。
こんなことが起こっては、ギルドの仕事が根底から覆されてしまうだろう。
「ど――どうすればよろしいのですか。計算が間違っていると証明できなければ、商業ギルドの信用に関わります」
単に魔法が掛けられているから無効だと、切り捨てることはできない。商売は信用の上に成り立っているのだから。
クロードは契約書を机の上に戻し、ゆっくりと言った。
「まず、この契約書は――『50年が経過する時魔法』が掛けられている。その結果この『世界分散~ワールド~』は巨額の支払いとなっているのだ」
「ご、50年」
アークはゴクリと唾を飲み込んだ。
ワールドは利回りが年々積み上がっていく商品だ。50年という歳月が流れているなら、その分莫大な金額になっていく。
「でも、そんな!」
いくら時魔法が掛けられ時間が経過していると言っても、ギルドの支払いが行われるのは近日中だ。
残高が合わないのは当然のことだった。
「――そうだな」
クロードは独り言のようにつぶやいて、立ち上がった。
そしてクルリと向きを変え歩き出し、控えの部屋へ入っていく。
「代表?」
主任が呼び掛けたが、彼はすぐに戻って来た。手にひとつの箱を持って。
「これを見たまえ」
机の上に、布に包まれた箱が置かれた。三人は机に近づき、それを注意深く見つめた。クロードが包みを解くと、ヒヤリとした空気が頬を撫でる。
箱には、三年前の日付が書かれていた。
「代表、これは――?」
契約書とこの箱の関連性がわからない。
アークは困惑しながらクロードの顔を見つめた。
彼は白い手袋をはめ、そっと蓋を開ける。
中身はカチカチに凍り付き、白い霜で覆われていた。
「つまり――こういうことだ。『氷結解除』」
呪文を唱えると光が弾け、途端、鮮やかな色が現れる。オレンジに緑、それに茶色。どれも艶やかで瑞々しい。
凍らされ、時を止めていたものが、今鮮やかに蘇った。
「この箱は、三年前のもの。それが全く同じ状態で保たれていた――んですか?」
「そうだアーク。そしてこちらの書類は50年の時が流れている」
「し、しかし代表、契約書は莫大な金額になっています」
女性職員が悲鳴のような声を上げる。
「そうだ。そこが罠だ。この書類には『時間加速の魔法』が掛けられている。つまり実質的に、50年分の利回りが『いまの支払い』として計算されているのだ」
三人は押し黙った。
そもそも『世界分散~ワールド~』は、短期で儲けるための商品じゃない。
それを――こんなやり方で使うなんて。
アークの胸に、言葉にならない怒りが湧いた。
これは、人の生活を支えるための仕組みだ。商業ギルドに来て、それを知った。
妹が将来困らないように、オレが初めてこの街に来た時みたいに、土の寝床で寝て、食べる物にも事欠く生活にならないよう、コツコツと積み立ててもいる。
それを踏みにじろうとするヤツは、――許さない。
――こんなインチキが成立するなら、オレの知っている正しさは、意味を失ってしまう。
アークはするりと手を伸ばし、箱の中身を指先でつまんだ。そしてそれを口の中に放り込む。
その様子を見て主任が慌てたが、アークは全く気にしない。
「……うん、新鮮でおいしい。これは向かいのレストランの炙り肉だ。一度だけ連れて行ってもらったことがある。全く味が落ちてない! そしてこっち、石板のこの計算部分」
アークは指先についたタレをペロリと舐めてから、ある一点を押さえた。
「50年間複利の利回りが全て7%で計算されてる!」
主任と女性職員は身を乗り出し、あっと口を押さえる。
元手の30倍、――30万G近い金額に膨れ上がっていた。
「年によっていいときも悪いときもあるのに、こんなことはあり得ない!」
アークは拳を握りしめた。
アイリス商会の移転、岩塩坑の魔物事件、そしてオルグレン穀物地帯の壊滅……。
最近ですらそれだけ大きな値動きの要因があった。
利回りはそれに釣られて上下する。7%は今年の数字だ。
しかし毎年同じ利回りになど、なるはずがなかった。
途端、ガラスが割れるようなパリンとした音を立てて、書類から光が飛び散った。
同時に黒いもやのようなものが立ち昇り、消えていく。
「再計算します!」
主任が石筆を手に取り、カツカツと音を立てて計算した。
答えは――1ヶ月前に契約された1万Gから手数料が引かれた額だ。一年も経っていないので利回りは入らない。
「あっ私も同じになりました、代表!」
担当者も同じく計算し、今まで何度やっても莫大な金額になっていた計算が、主任とピッタリ同じになる。
「よかった――。まさか、こんな罠が仕掛けられていただなんて」
女性職員はほっと胸をなで下ろした。
自分の担当業務でこんなことが起こったのだから、無理もない。
そして、ありがとうございますと言って頭を下げた。
「代表。今後についてはどう致しましょう。また同じ魔法が掛けられないとも限りません」
主任がクロードに向き直り、対策について口にする。
「そうだな。――魔法には魔法だ。魔法インクの仕様を改め、魔道具担当に即刻対応させろ。それから、契約者である男爵家の令息について、身辺と資金の流れを洗え」
「はっ、かしこまりました」
主任は直立不動の姿勢を取り、頭を下げる。その様子を見ていたアークは同じようお辞儀をする。
そして素早い行動に感心していた。
どんな犯罪も、対策を練ることで事前に防ぐことができる。
仕組みが正しければ、不正は必ず表に出る。
こうして人々の生活は守られ、世界は正しく動いていくんだ。
それを確かめることができたのが、大きな収穫だった。
「ところで代表――」
横から、女性職員の声が掛かった。
彼女は一瞬言うべきか迷ったようだが、顔を上げてはっきりと言った。
「お弁当を、三年も放置するのは、お止めください」
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「――ってことが、商業ギルドであったんだってさ。アークが教えてくれたよ。しかし時魔法を使って大金をかすめ取ろうとするだなんてねぇ。悪いことを考えるヤツもいるもんさ」
ある日の昼下がり、とまり木亭の食堂でお茶を飲んでいると、サラがそんな話をしてくれた。
魔法の犯罪が身近で起こるなんて、しかも私の作った世界分散~ワールド~が被害に遭いそうになるとは、思いも寄らないことだった。
「怖いですね」
そう言いながら、香織は考えていた。
――クロードの氷属性魔法を使った冷凍弁当か。
早く、冷蔵庫ができないかな――と。
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※このあとにも他の番外編があります。よろしければ続きもどうぞ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
このあとにも他の番外編がありますので、読んでいただけると嬉しいです。




