第10章 エピローグ
火トカゲ事件から一年ほどが過ぎた。
崩れた街は直され、あの壊れた小屋も取り壊されて、新しく建て直されている。
一時期食料危機に陥ったけれど、オルグレンの穀物も回復し、今年は豊作だとのもっぱらの噂だ。
街には食べ物があふれていた。
ずらりと並ぶ露店では、人々がどれにしようかと見比べながら、料理を選んでいる。
最近名物になった焼き魚から漂う香ばしいにおいに「それを一本くれ」「あいよ」とやりとりする姿も見かけられた。
「本当に出ていくのかい? 寂しくなるねぇ」
とまり木亭の部屋で身の回りの物をまとめていると、サラたちが様子を見にやってきた。
ベッドの上に広げた荷物は、服が何枚かとわずかな小物。それだけだ。
「行っちゃ嫌だ」
リサは私に抱きついて、体をぎゅうと抱きしめてくる。
もう少女だというのに、こどものように可愛らしい。頭を撫でてやると少し落ち着く。
「かおりがいなくなったら、畑の朝の水やりや、外回りの掃除もしなくちゃならないし、宿帳の帳簿付けや商業ギルド提出用の計算なんて、あたしわからない」
そういって助けを求めるように私を見る。
「お前、現金だな」
シドが頭を突つくと、やだ、お兄ちゃん、痛いよ! と私の後ろに隠れた。
笑い声が響き、空気が少し和らいだ。
出て行くとは言っても、とまり木亭で働くことに変わりはない。週三回はここに来る。
ただ、寝る場所が変わるだけ。
それだけのことなのに、自分で選べるようになっていた。
私は畳んだ服をバッグに入れる。
高台にある、小さな部屋を借りることにした。
家賃については、世界分散~ワールド~で積み立てていた分が大きく育ち、支えてくれるようになったからできたことだ。
狭いけれど、庭が付いているのが気に入った。
それに一人暮らしなら、そのくらいがちょうどいい。
「じゃあ、行ってきます」
そう言って、晴れ渡った空の下、私はとまり木亭を後にする。
ほんの少しの荷物だけを持って、これからの暮らしが待つ、私の城へと歩いて行った。
「こちらが鍵になります」
家主から受け取った魔法鍵は、簡単には侵入できないセキュリティ付きのものだ。
魔法インクのように守られて、契約者しかこのドアを開けることはできない。
鍵穴に差し込みクルリと回す。
七色の光がはじけ飛び、カチャリと音がした。
部屋に足を踏み入れると、入口側のキッチンにはテーブルと椅子。奥にベッドとクローゼットがあるだけの、シンプルな部屋だ。
正面は大きな窓で、陽の光が差し込んでいた。
庭に出ると遠く街を見渡せる。
石造りの家々が積み木のように並ぶその向こうに、白いお城が霞んでいた。
私は火起こし器でパチリと火を点け、湯を沸かした。
庭の隅に生えている、ベルガモットの木から果実をひとつ取り、ナイフで薄く切ってティーカップにそっと落とす。
街で奮発して買った紅茶をポットに入れて、熱い湯を注ぎ、少し蒸らしてからカップに注いだ。
アールグレイの香りが部屋中を満たし、私の体を包み込む。
柔らかな陽の光を浴びながら、ひとくち含んだ。
派遣社員時代には、高くて手の出なかったフレッシュ・アールグレイ。
柑橘系の爽やかな香りで、体中のこわばりが溶けていく。
この世界にたどり着いてから、今までのことが思い起こされる。
初めて見た白い花、心配そうなサラの声。
様々なことが頭の中を巡り、胸の奥まで温かくなった。
安いティーパックのアールグレイもおいしかったけれど、本物の果実を使った味は格別だった。
私はほうっと息を吐いた。
ゆったりとした、私だけの時間。青空に浮かぶ雲のように、時が優しく流れていく。
現実では、どんなに手を伸ばしても届かなかった、穏やかな時間がここにある。
生きていくということを、ようやく選べた気がした。
午後は運輸ギルドの見学に出掛ける予定だ。
クロードが帰り道は湖畔にも寄ると言ってくれたので、想像するだけで気持ちが弾む。
さらに週一回の商業ギルドの事務手伝いでは、アークと顔を合わせるのも楽しみだ。
私は空を見上げた。
白く輝くドラゴンが、長い体をくねらせながら高く高く昇っていく。
――ここに、いたんだ。
一粒だけ残した真珠。
ずっと私を守ってくれていた珊瑚の数珠。
そして――世界を超えて支えてくれる、ドラゴンのチャート。
左腕に着けている数珠がほのかにあたたかい。
淡く光ってとてもきれいだ。
私は腕を持ち上げて、数珠にそっとキスをした。
ありがとう、という言葉を添えて。
----------
※このあと番外編があります。よろしければ続きもどうぞ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
このあとに番外編がありますので、読んでいただけると嬉しいです。




