第6章2 オルグレンの危機
「大変ダ!」
とまり木亭の宿泊客が血相を変えて戻って来た。
彼は商隊の仲間数名とここに泊まり、所用で冒険者ギルドを訪れていた。
「ど、どうしたんだ」
仲間が驚いて顔を見合わせる。
昨日この街に着いた旅の疲れを、昼下がりのお茶で癒やしていたところだった。
「オルグレンに魔物が出タ! かなり被害が出ているらしイ」
「なにっ? あそこは穀物地帯だぞ。何の魔物だ」
「それがまだ、正体はわからないらしイ。なんでも畑に火が燃え広がっているとのことダ。穀物は燃えやすい上に今は乾期、火の海になってしまうゾ」
少し聞き取りにくいのは、他の国の人だからなのだろう。同じ大陸ではあるけれど、方言のように言葉が少しずつ違う。
食堂にいた他の客や、宿の主人のダンも難しい顔で食堂に集まってくる。
「まずいな……今は刈り入れ前の大切な時期だ。それが被害を受けたとなると」
ダンが腕を組んで唸っている。
「もう少し詳しい情報はないのか」
「まだ第一報ダ。他の冒険者が戻って来れば、わかることもあるだろウ」
「あの、そんな魔物がいるんですか」
私はそっとダンに尋ねる。
「ああ。有名なのは炎を吐くドラゴンだ。他にも火の馬や、火ネズミなどもいる。しかし――」
「怖いねぇ。そんなものにやられたら、うちの宿なんて燃えちまうよ」
サラも片付け物を放り出してやってきた。
「とりあえず、できるのは情報収集ぐらいか」
「商売にどう影響が出るのか、調べないト……」
「お皿、洗っておいたよ」
「お茶のおかわりもあります」
不穏な空気を察して、こどもたちがけなげに明るく振る舞っている。
とまり木亭は、何が起こっているのかわからない、黒い雲に包まれたような不安に覆われていた。
ポツポツと窓に雨が当たっている。まるで嵐の前兆のような嫌な雰囲気だ。
私は藁のベッドの中で、眠れぬ夜を過ごしていた。
隣国の危機――。
先日の壊れた橋――。
「!」
布団を跳ね返し、ガバリと起き上がった。
これは、もしや。
この大陸の食糧庫とまで言われているオルグレンで、原因不明の火災が起きた。
それは、食べ物が届かなくなるということだ。
翌朝、まだ夜が明けきらぬ内に、私はサラたちを叩き起こした。
「サラさん、ダンさん、起きてください。市場が開く前にお金を下ろして、小麦や豆を買いましょう」
必死の形相の私に二人は驚く。
「ど、どうしたんだい、かおり。そんなに慌てて」
「いくらオルグレンで魔物の被害があったからと言っても、即メルナドに出没するとも思えないが」
「いえ、私がいたところでは、災害がよく起こっていたんです。次の日には、遠く離れた街でも品物が店頭から消えてしまった」
私は泣きそうな顔をした。
お米もパンも何もない。スーパーの食料品の棚は全て空だ。
粉ミルクが手に入らず、立ち尽くしていた若い母親の顔が忘れられない。
水も――。
サラとダンは顔を見合わせている。
「どうしたの」と言って、シドまで起き出してくる。
「わかった」
ダンは一言、鋭く発した。
「サラ、商業ギルドへ行って来い。シドと荷車を持って市場へ行くから、そこで落ち合おう」
そう言ってリサも起こして来いと指示を出した。
「おはようございます」
商業ギルドの扉が開く前から、建物の前で待っていた。
鍵を開けに来た当番の男性が、こんな朝早くにもういらしたんですかと驚いている。
受付を通らず、サラはそのまま小部屋のブースに向かう。
まだ受付準備中だった担当の前に座って、魔法カードを取り出した。
「5000Gの引き出しをお願いします」
「どうかされたんですか。そんな大金を」
普段コツコツと、日々の売り上げを預けている女主人の行動に、担当者は不審の目を向ける。
「いえ、宿の傷んでいる部分を直そうかと。水回りも増やしたいですしね」
きちんとした言葉遣いでホホホと笑っている。
しかしいつもの雰囲気とは違う、緊張感が走っていた。
「――こちらになります。くれぐれも、お気をつけください」
「はい、確かに」
サラは上着の下にひそませていた、ペタンとしたショルダーバッグの中に半分のお金を入れる。もう半分は反対側のベルトポーチの中だ。どちらも上着の下に隠れてしまう。
魔法カードはいつものリュックに入れて、こちらは赤ん坊を抱くように前に持った。
「ありがとうございました」
そう言って、私たちは席を立った。
「あっ、かおり」
「アーク、久しぶりね。仕事は順調?」
「オレは大丈夫――なんだけど」
辺りを素早く見渡して、私を壁際まで引っ張っていく。
「様子がおかしい。今日の商隊の到着が延期になった。アイリス商会の移転の仕事も進まなくて、どうやら護衛の冒険者がいないらしい」
「冒険者?」
冒険者が集められている? だから商隊が動けない? でも、何のために。
ここは冒険者ギルドではないため、詳しい事情がわからない。
「城へ行く。ついて来い。領主殿と話をつける」
鋭い声が聞こえてきた。
それはよく聞き慣れた――クロードだ。しかし、そんな氷のように冷徹な声は、今まで一度も耳にしたことがない。
すれ違いざまに側近の「……レン騎士団が、魔物の鎮圧に向かったそうです」という言葉がフッと耳に届く。
事態はただならぬ方向へと動いているようだった。
「かおり、行くよ」
サラの声に我に返り、足早に商業ギルドを後にした。
「お母さん、こっちー!」
市場へ行くと、シドではなくリサがダンと共にいる。宿にひとり彼女を残すのは問題だと踏んだのだろう。
「おじさん、さっき話してた小麦をお願いします。たくさん買うからオマケしてね!」
キュートな笑顔で交渉する彼女からは、緊迫した様子など微塵も感じ取れない。
「あ、あっちでお芋と根野菜も買ってこよう。畑に埋めておけば保つんじゃない?」
わずかな期間で随分としっかりしてきた。
あちこちの店でも少女の年齢を存分に生かした交渉で、お得に食料を買い込んでいく。
夜中からグズグズとした天気だったが、とうとう降り出した。
草で編んだ覆いを被せ、ダンとサラが重くなった荷車を押していく。
背後では多くなってきた人々が、オルグレンの火災について話している。どうやら本格的に危ないらしい。
まだ昼にもなっていない時間にも関わらず、市場を後にする頃にはあちこちで品切れの札が立て掛けてあった。
さらに、倍以上の値札がついている店もある。それももう品薄だ。
間に合ってよかった――と、ほっとする一方で、これは始まりに過ぎない――という暗雲が、胸にどす黒く立ち込めていた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よろしければ、続きを読んでいただけると嬉しいです。




