第4章7 番外編:夕暮れの迷子
クロードが煩雑な世界分散~ワールド~の設立や、アイリス商会の件で頭を抱えていた頃、私はとても困っていた。
空はあかね色に染まり夕闇が迫る。けれど周囲には覚えのある建物がひとつもなく、私は立ちすくんでいた。
商業ギルドの帰り道、お腹が空いていることに気がついて、寄り道をした。肉の焼けるいいにおいが漂っている。反対側はあたたかなスープのにおいであふれていた。
「しまった……!」
ついフラフラと近づいて、串焼きとスープを買っていた。
腰を下ろして頬張った後ひと息ついて、ようやく帰り道がわからなくなっていることに気がついた。
「え……と、そんなに外れてないわよね」
辺りを眺め、路地に入ってみても、わからない。
店を閉めている従業員に尋ねたけれど、とまり木亭の場所は知らなかった。
不意に私は思い出す。
以前住んでいた場所でも、自宅近くのホテルなど全くわからない。それはそうだ。泊まる必要がないのだから。
「あの、すみません」
家路を急ぐ女性に声を掛けてみたが、首を横に振るだけだった。
「どうしよう」
歩き回るのはよくないだろう。さらに迷路に入り込んでしまう。
そうして私は噴水の縁石に腰掛けた。
「失礼、お嬢さん。お困りかな」
不意に頭の上から低い声が掛かる。
見上げると、商人風の出で立ちをした、壮年の男性が帽子を脱いで立っていた。
お、お嬢さん?
黄昏時で、今がいちばんものを見分けにくい時間帯だ。交通事故もこの時間帯が最も多いと聞いたことがある。若い女性と勘違いしたのだろう。
「お疲れのようですが、よろしければ私とあちらのお店にでも」
そう言って、白い建物に目を向ける。小綺麗な作りだけれど、違和感があった。
――ドアが、妙に低い。
辺りを見渡すと、ポツリポツリと人が立っている。
指に長い髪を絡め、道行く人に妖しい笑みを投げかけていた。
「! わ、私、急いでいるので、――失礼します」
私は慌ててその場から逃げ出した。夜の女性と間違えられた。
キリリと引いたリップが災いした!
あまりの恥ずかしさに、後ろも見ずに走り出す。
道を一本駆け抜けて、別の通りに出た。
壁に手を当て喘いでいると、覚えのある声が掛けられる。
「かおり、さま?」
ああ、この女性は確か、商業ギルドにいた人だ。今日も私を案内してくれた。
「こ、こんばんは。あの――」
「どうされたのですか。そんなに慌てて」
「私、道に迷ってしまって、それで」
ああ、というように彼女は私の姿を見た。
息を切らし髪も乱れ、困り顔で立っている。
「この通り、わかりにくいですからね」
なにも気づかなかったというように、柔らかに笑う。
「とまり木亭の場所はわかりませんが、大通りならこちらです」
私の息が整うのを待って、歩き出す。
助かった!
あのままだったら夜の闇の中、呆然としていただろう。
ここには警察も観光案内所もない。それに地図すら持っていなかった。
「あの、こんな時間までお仕事を?」
私はごまかすように話しかける。
いい大人なのに恥ずかしい。照れくささが先に立つ。
「ええ、でも日が暮れればおしまいです。夜仕事をすると、油代もバカになりませんから」
この世界では、朝日とともに活動を始め、夜には寝てしまう。
それがいちばん経済的だ。明かりを無理に使ってまで働く必要はない。
今日はアイリス商会のことで緊急事態ではあるけれど、意思決定がされなければ彼女たちも動けないため、帰ってもいいという判断なのだろう。
「だけど最近仕事が溜まって」
彼女は少し愚痴めいたことを口にした。
「大変なんですか」
「読み書き計算ができる者は少ないのです。たいていの人は農業をするか、冒険者になるか。商売をするにしても簡単な計算だけで、複雑な帳簿計算や先を見通せる者などほとんどいない。だから、商業ギルドで雇える人の数は限られているのです」
この世界では、学校のような教育機関も少ないのだろう。シドもリサも宿を手伝っている。
「貴族なら学院に通いますが、魔法が使えるので騎士を目指すのが一般的ですね。勉強のできる方も、領主さまや貴族に仕えてしまう」
彼女はそこで足を止めた。
「あらすみません。愚痴を聞いてもらってしまって。こちらはおわかりになりますか」
見覚えのある店がある。商業ギルドからの帰り道だ。
「とんでもない。本当にありがとうございました。なんとか帰れそうです」
「お気をつけて。足元も暗くなっています」
「重ね重ねありがとう。また商業ギルドでよろしくお願いします」
「では、ごきげんよう」
そう言って、元来た道を戻って行った。
今度ギルドを訪ねるときは、彼女にも手土産を用意しよう――。
そう思った。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よろしければ、続きを読んでいただけると嬉しいです。




