第4章6 嵐の会議と世界分散
石造りの壁に囲まれた会議室は、ピリピリとした緊張感に包まれている。
私はその隅の椅子に腰掛けていた。
「なぜ止めなかったんだ!」
誰かが机に拳を叩きつける音がした。
「アイリス商会が抜ければ、うちの店は終わりだ!」
「お前が担当だろう。この責任をどう取るつもりだ」
男性たちの怒号が飛び交い、空気が震えていた。
でっぷりと太った商人が頭を抱え、
「ああもうおしまいだ……」と机に突っ伏した。
売り上げの三割を占めていたアイリス商会がなくなれば、店は立ちゆかなくなる。
従業員を抱えきれず、解雇せざるを得ない。
その先に待つのは、一家離散の運命だ。
商人は、顔を上げることもできずにいた。
会議室は、まるで嵐のただ中のようだった。
この街でも有数の大商会、アイリスが去る。行き先は王都ラディアだ。
その一報が告げられたのはほんの数時間前だった。予想もしなかった事態に、商人や貴族までもが難しい顔をしている。
その時、耳にバンッという重量感を含んだ音が響いた。クロードが壇上に立ち、一枚の石板を机に叩きつけたのだ。
「お静かに願おう」
低い、腹の底から響くような、しかしよく通る声が漏れた。
「諸君。我々は今回の事態で、大いなる教訓を学んだ」
クロードはゆっくりと、人々を射貫くような視線を巡らせる。
その目に貫かれ、覚悟の深さに心臓が縮む。
「ひとつの商会の動向に街の命運を預ける、その危うさに」
ざわり、と空気が揺れ、人々は互いを見回している。
「その判断は誤りだった。構造そのものが間違っていた」
クロードは右手の拳を握りしめ、振り下ろした。
「これは悲劇ではない。リスクが表に現れただけだ。集中して投資をする、その危険を、我々に示してくれた」
反論するものは誰もいない。
まさにひとつの商会に頼ることが愚かなことだと、誰もが実感していた。
「愚かだったのは我々だ。農業、運輸、飲食業、鉱山に工房、芸術――世界に無数にある産業を顧みなかった」
彼は会議室用の大きな石板を取り上げ、壁に立て掛ける。
「方針を変える。メルナドの街にだけ頼るのを止める。――世界そのものを、我々の金庫とする!」
どよめきが走った。
「世界を――だと? 彼は一体何のことを言っているんだ」
人々は互いに顔を見合わせ、不安を表す言葉を口にする。
「王都ラディア、武器防具の製造、香辛料の貿易に、建築技術、酒の製造」
クロードは次々と産業を挙げる。
「たとえメルナドを離れても、アイリス商会が王都で稼げば稼ぐほど、その利益の一部は我々に戻る」
沈黙が走った。
「彼らはもはや離反者ではない。――王都で汗を流し、利益を運んできてくれる、糧だ」
「そして世界に広く分散投資し、その上澄みをいただく。もちろんアイリス商会も含めてだ」
クロードは斜めに上る一本の直線を描いた。
その次に、ゆるやかに、天へと向かう優雅な曲線。
「こちらが世界分散と、複利だ」
数字が次々と書き込まれる。年、金額、積み重なる利益――誰もが息をのんだ。
会議室は、しんと静まり返った。誰もがその線から目を離すことができない。
「三十年後」
クロードはバンと机を叩いた。
「我々は、この街を買い取れるほどの富を得ているだろう」
手のひらを天に向け腕を大きく広げ、そして力強く握った。
世界分散~ワールド~が、人々の前に現れた瞬間だった。
涙で顔をくしゃくしゃにしていた太った商人が、呆けたように顔を上げる。
石板を凝視したまま動かない。
「本当にそうなのか?」
誰かが疑惑を口にする。
しかしメモ用の石板を手にしたひとりが素早く計算し直し、叫んだ。
「合っている! 彼の意見は正しい。――我々に、未来を示してくれているんだ」
「本当だ! これなら売り上げに穴が空いても――耐えきれる」
疑惑が確信に変わっていく。
その熱はまるで波紋のように広がり、そこにいる人々を飲み込んでいった。
「異議なし!」
「賛成だ」
人々は次々と立ち上がり、賛同の言葉を唱える。
会議室が熱狂の渦に包み込まれている中、私はそっと席を立ち、部屋を後にした。
そこにあるのはもう恐怖でも混乱でもない、喜びに満ちた顔だった。
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