第4章3 地図の上の銅貨
部屋に沈黙が広がっていた。
太陽はすっかり高く昇り、窓からは昼の日差しが落ちている。私はふと視線を外し、壁に立て掛けられているものに目を留めた。
「クロードさま。あちらをお借りしてもよろしいでしょうか」
それは、地図だった。エアルゼルト大陸が一枚の板に彫られ、芸術品のように壁を飾っている。
とまり木亭にあった簡素なものとは別格だ。絵画のように彩られ、ニスで美しくコーティングされていた。
「どうぞご自由に。実務に使うものでございますから、遠慮は不要です」
私は立ち上がり、地図を持ち上げようとした。その板が、フッと軽く宙に浮く。
「ご婦人の手を煩わせるなどとんでもございません。こちらでよろしいですか」
そう言って、慣れた手つきでテーブルに置いた。
「ありがとうございます」
私は礼を言い、再びテーブルに座った。バッグから自作の小さな巾着を取り出す。
今日のためにコツコツと集めた硬貨を出して、机の上に積み上げる。
そして、クロードに向き直った。
「クロードさま!」
その時ドアが乱暴に開けられ、髪を乱した若い男性が飛び込んできた。
「何事だ。今は来客中だ。要点だけ述べなさい」
「し、失礼しました。しかし至急判断を仰ぎたいことがございます」
男性は頭を下げるがその場から離れない。
「どうぞ。部下のお話を優先させてください」
「かたじけない。――話しなさい」
「アイリス商会との取引が打ち切られました。王都へ移転されると」
「そうか」
クロードは短く言った。
「アイリスが動いたか。規模、時期、理由は?」
その商会は、私も名前を聞いたことがある。この街でも五本の指に入る大きさだ。その資金が引き揚げられるとなると、大変なことだろう。
街で回るお金が減ってしまう。
「――いや、今はいい。お客さまの前だ」
男性に顔を向けたまま指示を出す。
「夕刻より緊急会議を開く。主要商会、金融担当、倉庫管理者を呼べ。資料をまとめておけ」
男性はお辞儀をすると、ドアがバタリと閉められた。
「大変お待たせしました。失礼をお許しください」
クロードは、まるで何事もなかったかのように平静を保っている。
「いえ、大きな商会が移転ともなれば、手続きなども大変でしょう」
私は淡々と言葉を紡ぐ。そして、大きく息を吸った。
「さて、先ほどの投資のお話ですけど」
私は改めて小銅貨の山を手に取った。
「ここ、メルナドの街ではたくさんの取引が行われています」
「ええ。この街は流通と信用で成り立っています」
クロードが言葉を返す。
私は小銅貨をひとつ取り、地図のメルナドの上にパチリと置いた。
「一枚一枚が、街や産業への小さな投資だと思ってください」
そのための、表現としての小銅貨だ。
「もちろん王都ラディアでも活発に行われています」
そう言って、ラディアの上にも小銅貨を置く。
「一方北のフロスケイルでは、良質な鉱石が採れる鉱山があり、武器防具製作も盛んだとか」
ここにも一枚置く。
クロードはじっと私の指先を見つめている。
「南のオルグレインは穀物地帯。この大陸の食料庫です」
硬貨の山から一枚を取り、メルナドの斜め下にそっと添えた。
「なるほど。視野が街に留まっていない。国へ、大陸へと広がっている。――西のルリアは海洋貿易、物流と情報の要だ」
クロードは自ら硬貨をつまみ、地図の上に載せる。
「そして中央のセリオン。学問と芸術――すなわち、次の価値を生む人材の供給地だ」
さらに一枚、中央に置いた。
「さきほどの男性がおっしゃっていた商会の移転――それが、この街から消えてしまう。この街の経済には大変な打撃です。けれど――」
私はメルナドの上の小銅貨をつまみ上げた。
「大陸全体にある全ての資産から見れば、6枚の小銅貨が5枚になったに過ぎません」
昔、チャートを見ていた時、滝のように下がったことがある。
暴落のめまいに襲われながらも、私はしっかりと掴んで離さなかった。
クロードは何も言わず、地図の上の小銅貨を見つめている。
廊下からバタバタと会議の準備に追われる足音がしていた。
嵐の前触れのようだった。
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