第32話 導魔
「もうやめて! 凪人くん」
彼女の一言が止めた。
もし、あの一言がなければ感情に全てを任せ捕食を続け、完全な悪意を持った導魔となってしまうところだった。
呼び戻してくれたのは、引き止めてくれたのはあの日命を賭して助けた、失いかけてた日常の温度。
絶望と憎しみが絡んだ黒波導が閉じていく。
「邪魔をするで無いっ! 人間」
「なんで、なんで止めるんだ静香!」
「なんでって! わかってるでしょ?」
「それ以上、凪人くん人間じゃなくなる」
「そんなの覚悟の上に決まってるだろ」
「じゃあ、凪人くん」
「言うでない! 人間!! それを知ってしまって我が主人様に得はないじゃろう!!」
「何を言ってるんだよ、二人とも」
「わかってるでしょ凪人くん! 誤魔化さないで。どうしてシオンさんは私たちをあの時殺さなかったの? 本当に気まぐれ? 違うでしょ? そして今日出てきたのも意味があるよね?」
橘静香。そういえばこいつはこんな子だった。ただの優等生だと思えば、勘が鋭く、命があることを自覚しているかすらもわからない度胸の大きさ。
「何を言っているかわからんな、小娘。わしは回復のために契約のために助けた。何かおかしな点でもあるか?」
「気まぐれじゃ、ないじゃない。なんで最初の質問で誤魔化したの?」
「そこまでにしておけよ小娘。死にたいのか? それを知って我が主人様がわしを殺せるかと思うのか?」
「もういいよ!!! なんで、なんでなんだよ!」
「俺は、俺はどうすればいいんだよ」
「黙ってそのままわしを喰え! わしを喰えば、元の生活に戻れるじゃろ」
シオンが、血を吐くような声で俺に向かって叫んだ。
その顔は、痛みによるものではない、ひどく絶望したような表情だった。
「何を言ってんだよ、本当に。俺は俺は、お前を殺すことなんて」
俺の声は、情けないほど震えていた。
口の中にはまだ、シオンの血肉の生温かさと、強烈な冷たさが残っている。
「何を言っておるのはお前様の方じゃ、じゃからうぬは所詮口だけの男じゃ。わしを攻撃したのも、そして今わしを殺さないのも所詮、何の覚悟もない証拠。その程度の覚悟でなぜ生きようと、人間よ!」
ドサッ
俺は血だまりの中に、膝から崩れ落ちた。
もう立つことすらできねーや、痛みも疲れも全部。
「俺はもう、人間じゃねーよ。もうお前を半分も喰ってしまったんだ」
手についた嫌な血。
生暖かいな。シオンの血なのか俺の血なのかわかんないや。
「そして俺はもうお前を喰えないし殺せない」
ぽつりとこぼれ落ちたその言葉が、俺の本当の限界だった。
静香を護るため。シオンの責任を取るため。
そんな大義名分を並べて、化け物になる覚悟を決めたつもりでいた。
だが、全部嘘だ。勘違いだ。
「俺の覚悟は結局、他人の命の上でしか無かった。誰かの死を、導魔の死も俺は受け入れられない。生きるために食べることを否定しないのはただ、死というものから逃げたかっただけなんだ」
誰かが死ぬのが怖い。
自分が死ぬのが怖い。
それをごまかすために、力に酔って、覚悟を決めたふりをしていただけだ
「それを他人にも勝手に押し付けた。だから今俺はここでただ立つだけの男だよ……」
立ててすらもねーけどな。
「そうやって、お前たち人間はいつも。なぜなんじゃ、なぜ皆わしを。あやつだってそうじゃった」
「わしは何がダメじゃった? 何のために、わしは……」
「……」
しばらく沈黙が続いた。
広がる赤い血の上に立ち尽くす俺達3人とそれを外からみている佳紬由さん。
「佳紬由さん、俺はどうしたらいい? 俺は今こんな状況でもみんなを救いたいと思っているよ」
佳紬由さんは、俺達を静かに見つめ続けていた。
「そうね、凪人くんそのみんなの中に自分は入っている?」
「え……?」
「あなたの中で護りたいものの中に自分が入っているのかってこと」
「まあそれはいいわ。あなたは誰も救えない。それはあなた自身も含めてね」
「なんでですか? お願いしますなんでもしますから」
「なら一つ選択を与えるわ」
「凪人くんは今までと同じように女王と過ごす」
「……!」
その場の全員が目を見開いた。
「それだけでいいのですか?」
「いいわよ、それだけで。凪人くんはもう二度と人間に戻れない、シオンちゃんは二度と女王に戻れず凪人くんが生きる限り死ねない」
「そして私たちはいつ暴走するかわからない爆弾を二つ抱える」
「あなたたち二人は永遠を享受して、私たちは明日来るかもしれない終わりを享受する」
「そんなこと、でも今までと変わらないじゃないですか? 根本的な解決にはならない」
「シオンちゃんは凪人くんの身体しか食べれないほどに弱体化させるの」
「方法は簡単。凪人くんはシオンちゃんが死ぬギリギリまで捕食を続ける」
「そして、シオンちゃんは人間もどきの導魔もどきに、凪人くんは導魔もどきの人間もどきになる」
「そういう不安定な存在で生き続ける。もちろん、お互いが存在しないとあなたたちは生きていけない。生きるためにお互いを喰らい続けないといけない」
「嫌じゃ!! わしはそうまでして生きとうない!」
シオンが子どもの様に叫ぶ。
「殺してくれ! 我が主人様」
「なあ、シオン。俺はお前を食べる。そして生かす」
逃げない。もう、嘘の覚悟はしない。
「その前に教えてくれよ、なんで俺を生かしてそして今死にたがっている?」
数秒の沈黙の後、あきらめたようにつぶやいた。
俺に殺してもらうためか、それとも最後に話したくなったのか。
どちらにせよ俺はこいつを生かす。殺さない。
「……わしはずっと退屈じゃった。1000年という永劫の世界は退屈で仕方なかったんじゃ」
血塗られた波導の女王は、静かにその凄惨な過去の扉を開いた。




