第11話 差し戻し
王子側の解消調書、全七葉。
監査室の机に広げられたそれを、私は職務として検めることになった。本来なら課の窓口の仕事だが、監査対象案件の書面は監査室が先に検める。つまり、回ってくる。私のところに。
運命というものがあるなら、ずいぶん書類仕事が好きらしい。
「所見を」
監査長が言った。私は一葉目から順に読み、気づいた箇所に付箋を挟んでいった。読み終えたとき、付箋は七枚になっていた。七葉に七枚。一葉あたり一枚の計算になるが、実際は三葉目に四枚挟まっている。
「第一葉、申請の主意。日付が宣言の夜より三日前になっています。宣言前に解消を申請したことになり、時系列が破綻しています。おそらく文官が下書きの日付を直し忘れたもの」
「続けて」
「第二葉、解消事由。罪状三件のうち、教科書の件と階段の件が、日付の欄ごと削除されています。残る一件は『被告は原告に対し不敬の言動があった』。日時、場所、行為の記載なし。事由として様式を満たしません」
二件消したのは、賢明な判断だと思う。在籍簿を照会されたら終わる罪状を、誰かが慌てて抜いたのだ。ただ、抜いた痕を埋める事実がなかった。嘘は、抜くと穴が残る。
「第三葉、証拠の目録。記載、白紙。第四葉、証人の氏名。二名の記載がありますが、うち一名の署名の筆圧が氏名の筆圧と一致しません。代筆の可能性。もう一名は――夜会の出席者名簿にない人物です」
「ほう」
監査長の相槌は短い。短いが、この人の「ほう」は付箋十枚分くらいの重さがある。最近わかってきた。
「第五葉、両家の合意確認欄。空欄。第六葉、違約条項の確認署名。空欄。第七葉」
私は最後の一葉を、机の中央に置いた。
「申請人署名。ジェラルド・エルデン殿下の直筆。……ここが、最大の瑕疵です」
「述べよ」
「この婚約は十年前、レンディッシュ伯爵家とエルデン王家の両家契約として締結されています。契約の当事者は家であって、個人ではありません。解消の申請資格を持つのは両家の家長のみ。レンディッシュ家側は父。そして王家側の家長は」
言葉を切る必要はなかったが、一拍だけ置いた。この一拍は、百を超える断罪を壁際で見てきた者の、ささやかな職業的満足として許してほしい。
「――国王陛下です。殿下は申請の主体たり得ません。加えて規程第四十四条、王族の婚約解消には国王印を要する。署名も、印も、資格も、この調書には三つながら欠けています」
あの夜、監査長が壇上に投げた一問を思い出す。陛下のご裁可は、いただいておいでですか。あれは質問ではなかったのだ。あの時点でこの人は、勝敗の在り処を正確に指していた。
「結論を」
「全七葉、いずれも受理要件を満たしません。差し戻し相当です」
「理由書を書け。今述べた通りに、全部だ」
監査長は七葉を私の側へ押し返した。
「手加減の必要はない。だが、事実以外も要らない。君の欄外のように書け。――それが一番、痛い」
私は頷いて、ペンを取った。母の形見の、飴色のペンを。
理由書は七項目、三葉に及んだ。書き上がった最後の行を、私は声に出さずに読み返す。
『以上の瑕疵により、本調書は受理できない。なお、申請人は本件申請の資格を有しない』
なお書き一行で人が詰む書類を、私は生まれて初めて書いた。
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