珈琲味の
僕は歩いている。手を口元に当て息を当てながら。
吐き出した息が白く残って、憂鬱そうに消えた。
まるで僕の心の中のもやもやの様だ、そう思った。
二年生の時習った台風の構造を思い出す。心の中の「なぜ」が渦巻いている。
なぜ、なぜ、なぜ。
「おい、梅。今日はえらい寒いもんやな。」
なぜ隣にボブさんがいる?心の中で叫ぶ。
僕は、確か、本屋を出て公園を通って帰宅していたはずだ。
手には待ち望んだ漫画の新刊を持って、さあいつ読もうか、どんな展開になるのだろう、なんて期待に胸を躍らせながら。
ちょうど、公園を出ようとした時だったか、後ろから肩を掴まれたんだ。
手の主は「よぉ。確か…梅崎。よう、梅。」と言った。
「ああ、ボ…じゃなくて、ホベさん、こんにちは。いい天気ですねぇ。こんな日に漫画なんて馬鹿みたいですよね。」そう僕が言う前に「まあ、来いや。」彼の、有無を言わせない太い声が僕の胸を躍らせた。BGMは……そうだな、「ジョーズ」だ。
僕はボブさんの大きな背中を追って歩いていく。もちろん腕を掴まれては、いるんだけど。公園を抜けて、商店街を抜けて、コンビニの前で座っている中学生も、スーパーのセールに向かう主婦の波もすり抜けて、駐車場の側の裏道を曲がった。
予想通りの展開に少し慄きつつも彼についていく。可能ならば逃げたいが、生憎腕はレスラーばりの力で掴まれているし、前のことを思えばしょうがない気がする。全ては康生のせいなんだが。
あの後何もなかったのが嘘みたいだ。ただ、なぜ、僕が。
つい一週間ばかり前のことを思い出す。BGMが変わる…いや、変わらないか…
ボブさんの手が康生の肩を掴んで、「ひっ」と康生が声を出して、僕は少し後ろで「あぁ」と言った。
「やあやあ、中坊たち。何かましとんや?」僕たちは呆気なく捕まった。とある駐車場の自販機の前でのことだ。
「あ、すいません。反射的に逃げてしまいました。」と僕は言う。「ほら、お前も謝れよ」的な視線を康生に注いで。
だが僕の期待を裏切って、というか大方予想通りなのだが、彼は「わかってるよ」的なウインクをして、「さっきは謝ったんだからよ、もうほっといてくれよ。」と力強く言った。僕は隣で震えた。
「さっきはさっき、今は今。俺には嫌いな物が3つあるんや。でかい猫と、下手なロックと、粋がった中坊や。」小柄で、歯の出た男の方が3本指を立ててそう言った。
「そうですよねぇ。粋がった中坊は僕も嫌い…」中坊のくせに言ってみた。
「何言ってんだ。元中坊のくせに。」ぶっきらぼうに康生が言うと、彼は「何やて?俺らはもう2年前には中坊卒業したわ!ねぇ穂部さん。」と、ボブの方に同意を求める。
丁度僕の方は彼のあだ名を考えていて、ジェリーかな、と収まったが「もういい、音済。」ボブの方は低く大きい声でネタバラシした。
あぁ、ネズミさんでしたか。僕がそう思う前に「おお!さすがボブさん!」康生が嬉しそうに声を出した。しかし、「いや、許すとは言ってない。」迫力のある声で言われて
康生と目を合わせる。
「ぼ、僕は良いですよね。ちょっと塾があるので失礼します。じゃあな、康生。」
「おまっ、逃げんのか!?てかそんな、友達を見捨てるような奴だったのか!?」
僕は心の中で返事をした「逃げるは恥だが役に立つ。」
「いや、両方だ。」
「いや、受験生なもんで…」
「おい、小ちゃいの、名前は?」
少しの希望が弾け飛んでかなりの絶望が生まれる中で僕は「ぼ…僕は梅崎和也です…。年は彼と、田中康生と同じです。」
「そうか…。なあ、音済。喉乾かないか?」
僕たちの方を見てボブさんは言った。「そっすね〜」ニヤニヤしてジェリーも言った。
「コーラです?それともコーヒーです?」僕は言って康生を肘でつつく。
「俺は、コーヒー。ブラックだ。」
「俺はファンタグレープやな。」
「穂部さん、コーヒーブラックで飲むんですか?大人ですねぇー。」
言われたボブさんはまんざらでもなさそうだ。
「音済さんは、ファンタとは王道ですね。」
言われたジェリーはそっぽを向いたはずだ。大人と言って欲しかったのか、まさか。
小銭を入れようと挙げた手を途中で掴まれた。誰にって、康生だった。
「ここは俺が払うから。さすがに、な。」
僕は精一杯の「感激」だとか「惚れた」という気持ちで彼を見た。
こっちを見て笑う彼の口元にはコロッケの衣が付いていたのをよく覚えている。感激80%offの笑顔だ。
その後「後はよろしくな。」と言って僕を幻滅させたのにはかなり失望した。
ファンタを飲みながら、「さてさて奢ってもらっちゃったけどどうしようか。」と言ったジェリーの声が「もう帰れるかな」薄々思っていた僕たちを奈落へと突き落とした時、
丁度僕らの吐いた二酸化炭素が温室効果ガスとして大気中へ溶け出してった時、フェンスの後ろの方から聞き慣れた声が聞こえた。
「あっ!ボブっちに、ジェリーさん!」陽気かつ、品のある声が。
その声に、僕らは振り向く。
「松野さん…?」
「おお、まいか。」
「やあ、まいさん。」
「おお!松野さんじゃん。」
四人の声を同時に聞いて、驚いたかぐるりと周りを見て
「あっ、梅崎君に、田中君!なんでボブっち達といるの?」と彼女は言った。
「いや、まあ色々あったんだよ。和也がさ、おれを誘惑したり、連れ出したり、奢らせたり、遂には裏切られたりね…。」もごもご口を動かす僕の代わりに康生が言った。
「えっ…まさか、そっち系?」彼女は笑って言ってから「ボブっち達はどうして一緒に?」と言った。
「つい先日彼らを助けてあげたんやけど、そのお礼にって奢ってくれたんよ。」答えに詰まったボブさんの代わりにジェリーが言った。
「また何か悪いことしてたんでしょう?中学生まで巻き添えにして…。康生君、梅崎君、ごめんね。ボブっち達悪い人じゃないんだけど、血の気が多くって。」彼女は伏し目がちに言った。
「ぜ、全然大丈夫だよ。ところ…「オッケー、オッケーありがとうね松野さん!」
康生の声のタイミングを無視した侵略により重要なことを聞き出せなかった僕はうなだれた。
「ほら、ちゃんと仲直りしなよ。ほら。」
彼女に促されて僕と、ボブさんは向かい合う。
「悪かったな、梅。」
「こちらこそ、彼が…いや、すみませんでした。」
そう言って僕はボブさんと握手した。ボブさんの手は大きくて、ごつくて、からりと日にやけていた。
その手に、そっと白い手が添えられた。細くてひんやりとした指が僕の手に触れる。
「これで、仲直り!」無邪気に笑って言った彼女は「さぁ、帰ろうか。もう4時過ぎだしね。」
とボブさんの手を引いた。
「じゃあね、梅崎君、田中君。また明日。」立ち去る彼女を見送って、自分の手を眺めていた。彼女の手が触れたところがほんのりと暖かく感じた。彼女の肌が、ひんやり冷たかったせいだろうか。ほんのり暖かかったからだろうか。
僕は左手を眺める。君の手の感覚が少しでも残っているような気がした。
ボブさんはずんずん進む。何も言わず、何も語らず。
階段を登って少し進んだばかりの所が少し開けていて、ベンチが置いてある。
そこは少し高台にあって、柵越しに見おろすと駅が見えた。丁度5時過ぎ、帰宅する学生や帰社するサラリーマンであふれている。
ボブさんはそこで止まった。
「そこで、ちょっと待っとけ。」そう言い残してどこかへ行ってしまった。
仕方なく僕は雑多な人の流れを眺める。
時計をチラチラと見ながら急ぎ足で駅へと向かうサラリーマン、数人で談笑しながらバスへ乗り込むおばさま達、馬鹿笑いして改札から出てきた学生たち、
パンパンに膨らんだ紙袋を幸せそうに運ぶ女性……
一人一人の顔を僕は眺めていく。
見るからに不機嫌な男性、
高い声で笑う女子高生、
黒いスーツに身を包んだOL
街に出てきたか煌びやかな格好の若い女性…
気が付けば松野さんを探している僕がいた。
人混みの中に君を、あの品のある笑顔を探していた。
「ほらよ。」声がして、振り向く。
「ほら、前奢らせただろ?これでチャラだ。」ボブさんはそう言って缶コーヒーを差し出した。
「いや、別に、こっちが悪かったんで…」
「まいに言われたんだよ。お返ししなさい、ってな。」
「まったく、お節介な奴だ。」
「そう、ですか。」そう言って缶コーヒーを受け取る。
あの日、ボブさんたちを連れて帰っていく時に松野さんが
「ボブっち、コーヒー一口ちょうだい。」って言っていたのを思い出した。
ほらよ、と言って差し出したコーヒーをためらうこともなく口をつけ、飲んだのも。
「ぼ…穂部さんは松野さんと、その、どういう関係なんですか?」彼女自身に聞きたかったけれど、この際ぶつけてみる。
「ボブで良い。まいもそう呼んでるしな。若干こじつけもいいところだが。」ボブさんは笑って言った。
「俺とまいは幼馴染だ。年は2つ上だがな。家が隣で、まいが5つの時から知ってるよ。」
そう言って彼はコーヒーを一口飲んだ。
「あ…、そうなんですね。」安堵と羨望の混じった声で僕は言う。
手に持った缶コーヒーが暖かい。
「前は、まあ悪かったな。謝っときたかったんだ。」
「こちらこそ、すみませんでした。でも、康生は良いですか?」
「ああ、梅…お前と話したかったんだよ。」そう言われて僕は戸惑った。
「ど、どうしてです?」ちょっと声が裏返ってしまったが、ボブさんはそんな事気に留めないで「お前の目、が違ってたからな。」と、そう言った。
僕はさらに戸惑う。「目、ですか?」臓器移植した覚えは無いんだけど。僕は思う。
「ああ。お前のまいを見る目が、な。俺と一緒な気がした。」
そう言って彼はまたコーヒーをすすった。
「………ボブさんも、彼女…まいさんが好きなんですか…?」
「そうだな。好きだ。不思議なもんだな。あいつの色んなこと知ってるのに。」
満足そうに頷いて彼は言った。そしてBGMは…back numberが流れてきた気がしてくる。
「そう、ですね。」僕は言う。僕はほとんど知らない。
「風呂も一緒に入ったこともあるんだがな…。」
「え」
「俺が7才の時だな。他にもあるぞ、聞きたいか?」笑って言われる。
「い…羨ましいです。前も間接キスしてましたしね…。」
「直接もあるな。あれがファーストキスだったか。」
「えぇ……本当に…羨ましいです。」先ほどの安堵は消え去った。
「8つの時だった。」心なしか声は沈んで聞こえた。
「恋愛、とは違うんだよ。仲は良いし、お泊まりだって、しょっちゅうだった。でも…それだけだ。恋愛、とは違うんだ。」ミシ、と音がなってボブさんの持っている缶が凹んだ。
それでも、僕は、羨ましいと思った。
「いや、でも僕はもっと……。」
「最近はな、あいつも俺と距離を取っている気がするんだ…。やっぱり、十五だもんな。盗んだバイクで走り出すんだもんな…。」
「いや、僕も十五ですし、彼女誕生日2月じゃありませんでしたっけ?」
「お前、盗んだバイクで走り出さなかったのか?」とぼける様に言ってからまたコーヒーを口に含んで
ハァ、と彼は息を吐く。それは白く残って、やがて消えて静寂が訪れる。
「大丈夫ですよ。いつかはきっと男として見てくれますって。」
きっと、きっと振り向いてくれる筈だ。静寂に耐えかねて僕は言う。
が、「今、あいつ好きな奴がいるらしいぞ。」予想外の返事に驚く。
「最近よくそいつらしき話をする。」優しいとか親切だ、とか…
ボブさんの声が彼方に聞こえる様な気がして手に力を込めた。
それは僕かもしれない、きっとそうだ……なんて、あるわけないか。 いや、きっとある…筈。
「お前、告るのか?」少し間が空いて彼は尋ねた。
「まだ予定はないですが…いちおうは。」あんなこと聞かされて告白できるか、と言われればできないけど。出し掛けた言葉を冷たい空気と一緒に呑み込んだ。
「いちおうでもしておくべきだ。あいつ、結構ロマンチストだからな。ある程度の好意さえあればころっといくかもしれない。」
「そうなんですか…?」頭のノートにメモしよう。でも、
「でも、なんでボブさんがそんなアドバイスを…」ボブさんも彼女のことが…
「ああ。なんせ、俺は可能性が低そうだからな。お前にやるよ。」
明るく言ったつもりなのだろうがその声には少しの悲しみが含まれていた。
「いえ…いや、よろしくお願いします。」断ったら失礼だろうか。この際、彼のモノのではないことは、ひとまず置いといて。
「でも、僕、彼女と仲良くはないですよ?そりゃ、気を引こうと気遣ってるつもりですけど…」
「あとな、あいつ優しい奴好きっぽいぞ。ほら、あのドラマのみたいな」ボブさんは今流行りの俳優を挙げる。
「ぐ…イケメンじゃないですか、彼…」
「大丈夫だ。俺が全面的にサポートしてやるよ。」どんと来い彼は言った。いまいちピンとはこなかったが、頼もしく感じる。
「そうそう、あと、あの映画好きだぞ、あれ。君の名は?」
「梅崎です」
「ちょっと選択間違えちったか…。とにかくサポートだ。」
少しずつ親近感を覚えてきて、やっと場を和ませようとしたが、彼は笑わなかった。僕に絶望的に笑いのセンスがないことを、嘆いているのか、首をかしげていた。
しかし、僕は思う。
ボブさんは本当に彼女が好きなんだなと。
自分から身を引くなんて、なんて漢なんだろう!漫画にできそうだ。でも…
「でも、彼女が、穂部さんを好きな可能性は…」
「いや、だからボブでいい。あいつが始まりだぞ?ありがたく呼べ。」笑ってボブさんは言った。
「そういや、コーヒー飲まないのか?ブラックはダメなお子さまか?」
そう言われて手に持ったコーヒーに目を向ける。まだ少しあったかい。
気がつけば人混みはほとんど無くなって、スーツを着た会社員がちらほら歩いていた。彼らの顔はみな疲れが滲んでいる。
プルトップに手をかけ、力をかける。街の鬱屈を払うかのように「プシュッ」と音がなってコーヒーの匂いが漂った。
「大丈夫ですよ。」本当は飲めないけど。まずは大人に近づこう。そう思って、言う。
出来ればボブさんみたいなかっこいい漢に。そう思って口を付けて、ぐっと喉に流し込んだ。 生暖かくさらりとした感触が喉を伝い、コーヒーの香りが口に広がる。
慣れないブラックのコーヒーは苦くて、酸っぱくて、ほんの少し甘いような気がした。
「苦いですね…。」僕は言う。
苦くて、酸っぱくて…
「恋の味がします。」そこまでは口に出来なかった。
「ああ、好きなんだよ。」
ボブさんはそれだけ言って空き缶を投げ捨てた。




