第25話: 都の目で見る庭
朝から、ダグラスは帳面を手放さなかった。
畑の広さを歩数で測り、沢の水量を器に汲んで確かめ、木々の樹齢らしきものを幹の太さから見積もっていた。すべてに数字がついていった。柵の外に張った縄の内側を、几帳面な足取りで往復していた。
「土壌の栄養価が異常に高い。植生の密度も、王都近郊の三倍以上だ」
独り言のように呟きながら、帳面に書きつけていく。誰かに向けた言葉ではなかった。
その様子を、少し離れたところから眺めていた。数字にされていく庭を見るのは、初めての経験だった。
「この花、なんという種か、ご存知か」
ダグラスが、初めてこちらに向けて質問した。庭の隅に群生する、淡い青の花を指していた。
「名前はありません。ここにしか咲かない花です」
「ここにしか、と断言できる根拠は」
「七年、この庭以外を見ていません」
その返答に、ダグラスは何かを書き留めた。満足したのか、不満なのか、表情からは読み取れなかった。
「この花の抽出物には、薬効がある可能性が高い。持ち帰って調べる必要がある」
持ち帰る、という言葉に、体の芯が強張った。
「その花には、名前がついています」
「名前?」
「精霊が、そう呼んでいます」
ダグラスが、怪訝そうな顔をした。理解できない、というより、理解する必要を感じていない顔だった。
「精霊の話は、報告書には書けない。この花の成分を分析し、有用性を確認するのが、我々の仕事だ」
「持ち出せば、効力が薄まります」
「根拠は」
「七年、見てきた結果です」
ダグラスは、しばらく黙っていた。信じていないのか、判断を保留しているのか、どちらとも取れる沈黙だった。
「とにかく、サンプルは必要だ。手続きに従ってもらう」
その言葉に、水路の陰で、シアの光が急に強く揺れた。
花に向かって伸びかけたダグラスの手が、一瞬止まった。何かを感じ取ったのかもしれない。だが、彼にはシアの姿が見えていないはずだった。ただの風か、気のせいだと思ったのだろう、手はまた花へと近づいていった。
「待ってください」
思わず、声が出た。
「なぜ止める」
「今は、まだ、駄目です」
理由をうまく説明できなかった。だが、シアの警戒が、何かを教えていた。手を伸ばした先で、何が起きるか、まだわからなかった。
「あの、すみません」
割り込んできたのは、ミラだった。
「先に、この場所全体をちゃんと見てからでもいいんじゃないですか。ダグラスさん、いつも急ぎすぎです」
「調査には期限がある」
「わかってますけど。こんな場所、他にないですよ。ちょっとくらい、じっくり見たって」
ミラは、帳面ではなく、自分の目で庭を見ていた。花の色、葉の形、蝶の飛び方。数値ではなく、そのものの姿を追う視線だった。
「あなたは、何のためにここへ?」
思わず尋ねた。
「わたしも調査員ですけど……単純に、こんな景色、初めて見たので。感動してます」
その答えは、ダグラスのものとは、まったく違う響きを持っていた。
結局その日、花には触れられなかった。
ダグラスは、日が傾く前に測定を切り上げ、記録をまとめる作業に移った。花の周りには、まだシアの気配が濃く残っていた。
テントの張られた野営地から少し離れて、庭を見渡した。数字にされ、価値を測られようとしているこの場所は、それでも七年前と変わらず、そこにあった。
「守れる?」
シアの声が、小さく聞こえた。
「守る」
短く、答えた。ダグラスの帳面に書き込まれていく数字と、この庭が持つ本当の意味との間に、これから何度も対立が起きるだろうことを、その日、はっきりと予感していた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第25話をお届けしました。ダグラスというキャラクターを通して、「都の論理」を数字と効率という形で具体化してみました。悪意があるわけではなく、ただそういう物差ししか持っていない——という描き方をしたかったです。
一方でミラは、同じ調査員でありながら、数字ではなく自分の目でこの庭を見ている。この二人の対比が、これから調査団側の内部でも少しずつ揺れを生んでいく予定です。
次の話では、実際にサンプル採取をめぐって、精霊たちが人間を拒む場面が描かれます。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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