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最果ての地に追放されて七年、そこが神々の聖域だったと都の人間たちが気づいた時、私はもう帰る気はなかった  作者: 空乃ゆきこ


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第11話: 冬の沈黙

 薪を割る手を、いつもより強く振り下ろした。


 乾いた音がして、木が二つに割れる。息を吐くと、白く固まってすぐに消えた。「役に立たなくても、いい」——数日前、シアがそう言った言葉が、まだ耳の奥に残っている。意味は、まだうまく飲み込めていない。


 役に立つこと以外の理由で、ここにいていいと言われたのは、初めてだった。その意味を、まだうまく掴めずにいる。けれど、拒む気持ちも湧かなかった。


 わたしは薪を積みながら、それを考えるのをやめて、目の前の冬に集中することにした。


 夏は数えきれないほどいた光が、冬になると数えるくらいに減る。シアは比較的よく来る方だが、それでも夏の半分くらいの頻度になる。カルは火の傍にしかいなくなるし、ソルは土の中で眠ってしまう。


 エルだけは、いつも変わらず気配がある。木の精霊は、他の精霊のように眠ったり縮んだりしないらしい。夏も冬も同じ深さで、庭の隅にただ在り続ける。長老格だと聞かされているのは、たぶんその佇まいのせいだ。


 外の庭は、霧が濃くなっていた。木々は葉を落として、眠っているように静かだった。獣の足跡も、雪の上に時々見つかるだけになる。遠くの茂みで、何かが身じろぎする気配が一度だけあって、すぐに消えた。庭全体が、息をひそめているようだった。


 七年前、最初の冬は、これが恐ろしかった。光が減ることが、見捨てられたような感覚に近かった。今は、それが季節の一部だとわかっている。冬の精霊は眠るか、休むか、薄くなる。それだけのことだ。


 小屋の中で、炉の火を見ながら過ごす時間が増えた。この小屋は、二年目の終わりに、自分の手だけで組み上げたものだった。七年かけて継ぎ足した壁の隙間は、去年よりも少しだけ狭くなっている。




 昼過ぎ、井戸端の菜園を見て回った。


 ソルの気配は、土の奥に沈んだまま動かない。声をかけても、返事はなかった。


「ソル、聞こえてる?」


 返事はない。土の中で眠っているのだと、これまでの冬でわかっている。それでも、毎年一度は声をかけずにいられなかった。


 菜園の脇にある大木の根元に立つと、少しだけ空気が変わった。エルの気配だった。


「エル、寒くない?」


 しばらく、返事はなかった。エルはいつも、返事までの間が長い。


「木は、そう簡単には、凍えない」


「また来年も、そこにいる?」


「木は、動かない」


 低く、乾いた声だった。それだけ言うと、気配はまた静かになった。何を考えているのか、七年経ってもまだよくわからない相手だった。それでも、この気配がそこにあるというだけで、冬の庭が完全な無人ではないことを思い出させてくれた。


 炉の焚き口には、カルの気配があった。夏よりずっと小さく、揺らめく程度の光だった。


「カル、元気?」


「うるさい。見りゃわかるだろ」


 ぶっきらぼうな返事に、少しだけ安心した。カルがまだそこにいる、というだけで、冬の静けさが少しやわらぐ。


「薪、足りてる?」


「足りてる。……余計な世話焼くな」


 そう言いながらも、カルの気配は、いつもより長くその場に留まっていた。


 日が落ちるのは早い。菜園から小屋に戻る頃には、もう空が赤紫に沈み始めていた。息を吐くたびに、白い塊がその色を横切っていく。今日も、誰かと言葉を交わせた。それだけで、冬の一日は十分だった。




 ある夜、シアが珍しく長く話しかけてきた。


「リナ、寒くない?」


「平気」


「シアは、冬は苦手」


「うん。知ってる」


 水の精霊は、冬になると凍えるような感覚があるらしい。シアの話し方が、夏よりも少しゆっくりだった。


「でも、来てくれた」


「リナが、一人だと思うから」


 その言葉に、何も返せなかった。……喉の奥が詰まって、視線を炉の火に逃がした。一人だと思うから、わざわざ苦手な季節に来てくれている。それを意識すると、胸の奥が少し詰まった。感謝とも違う、もっと近い場所にある感覚だった。


 一人じゃない、と思っている自分に、今更気づいた。


「シア、寒い?」


「少し。でも、平気」


「無理しないで」


「無理してない。リナといると、シアは、平気になる」


 それは、これまで聞いた中で、一番飾らない言い方だった。飾らない分だけ、まっすぐ刺さった。


「……それは、ずるい」


「ずるくない。ほんとのこと」


「じゃあ、また来て」


「うん。また来る」


 その約束に、特別な言葉は要らなかった。シアはいつも、そうやって当たり前のように戻ってくる。当たり前だと思えることが、七年前には想像もできなかった。


 シアは、それ以上を説明しなかった。ただ、いつもより長く、傍にいた。


「ありがとう」


「うん」


 短い会話だった。それ以上、何を話せばいいかわからなかった。でも、何も話さなくても、シアがそこにいることが、十分な答えになっていた。




 夜が深くなって、シアの気配が薄くなっていった。


 温度が少しずつ下がっていくのがわかった。炉のそばにあるはずの淡い光が、まばたきのたびに薄れていく。壁際に立てかけた鍬の影が、心なしか長く伸びて見えた。部屋の中の音が、いつもより遠く聞こえる。眠るのだろう、と思った。引き止めることはしなかった。


 気配が完全に消える直前、ほんの一瞬だけ、胸の奥が冷えた。……たぶん、まだ少しだけ、寂しい。


 その感覚に、すぐに蓋をして、毛布を引き寄せた。


 一人になった小屋の中で、七年前のことを思い出した。


 最初の冬、誰もいなかった。火を熾すこともできなくて、岩陰で震えていた。薪の組み方も知らなかった。濡れた枝をいくら擦り合わせても、火花にすらならなかった。腹の底から込み上げる震えを堪えながら、朝が来るのをただ待つしかなかった夜が、何度もあった。


 乾いた苔を見つけて、その日だけの暖を取れたときは、涙が出そうになったのを覚えている。吐く息はすぐに白く固まり、指の感覚はいつの間にかなくなっていた。音という音がなくて、自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえていた。風が枯れ枝を鳴らす音さえ、あの頃は恐ろしかった。今はもう、ただの音だ。あのときの静寂は、今の静けさとは別のものだった。あのときは、誰かが来てくれることなど、考えもしなかった。


 今は違う。誰もいない時間があっても、それが永遠じゃないことを知っている。シアが来て、また去って、また来る。その繰り返しの中に、確かな何かがある。


 去年の冬も、同じように一人になった夜があった。あのときは怖くなかった。窓の外を見ながら、次にシアが来る日を数えていた自分に気づいて、少し笑った。それが、孤独ではないということなのだと、今なら思う。


 一人でいることと、孤独であることは、違う言葉なのだと、七年かけて少しずつわかってきた気がする。


 炉の火をもう一度確認して、毛布を被った。窓のない壁の隙間から、冷たい空気が少し入ってきた。それでも、寒いとは思わなかった。慣れた、というより、それを越えた何かがあった。




 朝、目を覚ますと、霜が小屋の周りに薄く積もっていた。


 外に出て、息を白くしながら、霜の音を聞いた。踏むたびに、細かいガラスを砕くような、乾いた音がした。一年目には気づかなかった音だ。今は、その音が春の合図だとわかる。冬の沈黙の中にも、確かに次の季節への準備が進んでいる。草の葉先には、霜が白い縁取りを作っていた。朝日が差し込むと、それが一瞬だけ、きらきらと光って溶けた。


 桶を持って沢へ向かった。水は凍るほどではなかったが、いつもより冷たかった。岸辺の岩には薄い氷の膜が張っていて、朝日を受けて白く光っていた。氷柱が、木の枝先からいくつも垂れ下がっていた。


「おはよう」


 声がした。シアだった。


「おはよう、シア」


「冬、もう少し」


「うん。もう少し」


「ソルは、まだ寝てる」


「うん。もうすぐ、起きる」


 その短い言葉の中に、七年分の確かさがあった。冬は越せる。春はまた来る。そう信じられる気がした、今のわたしには。


 桶を満たして小屋へ戻る途中、風が一瞬だけ、いつもと違う匂いを運んできた。湿った、重たい匂いだった。足を止めて空を見上げたが、雲はまだ、いつも通りの冬の色をしていた。


 気のせいかもしれない、と思いながら、桶を抱え直して歩き出した。


 小屋に戻り、桶の水を甕に移した。窓の外では、エルの立つ大木が、霧の中でぼんやりと輪郭を保っていた。都にいた頃は、こんな景色を美しいと思う余裕すらなかった。今は、それを見るためだけに、少し足を止められる。


 冬は、まだしばらく続く。それでも、今日という一日は、確かに越えられた。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


第11話をお届けしました。


冬の静けさを、寂しさではなく「確かな繰り返し」として書きたかった話です。「一人でいることと、孤独であることは、違う言葉なのだと、七年かけて少しずつわかってきた気がする」という一文は、この話のために最初に決めていた言葉でした。


シアが冬でも来てくれる、という小さな出来事が、リナにとってどれほど大きな意味を持つか。台詞は控えめですが、その分だけ重さを込めたつもりです。カルとのぶっきらぼうなやりとりも、冬の静けさの中に差し込む、小さな温度として書きました。


次の話では、大嵐の夜を描きます。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


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