94 難聴系になってみたりして
ノエルくんに護衛してもらいながら、私は帰路を歩いている。
街灯が等間隔に道路を照らしていて、家々の窓から漏れる明かりがある。そんな当たり前のことが、とてもありがたく思えて、すごく安心する。普段ならそんなこと考えたこともなかったのに。
ノエルくんは終始真剣な表情で私の少し前を歩いていた。時折、周囲を警戒するような仕草が頼もしく感じられる。
普段は年下らしい可愛らしさの方が目立つのに、こうして夜道を歩いていると、彼もちゃんと男の子なんだなと感じる。それにしても、昨日はハヤテくんに送ってもらって、今日はノエルくんに守ってもらっているなんて……。
おぅ……、まるで恋愛シミュレーションゲームのようではないですか。キラキラしたアオハルとは無縁だった私の人生が大きく転換しようとしている?? それにしても、さっきまでのホラー体験との落差がすごい。
そんなことを考えているうちに、ノエルくんがふいに足を止めた。私もつられて立ち止まると、彼は何かを決心したような顔で振り返り、まっすぐ私を見つめてくる。
「先輩」
「な、なに?」
「昨日、図書室で言いかけたことなんですけど……。その、大事な話があって……」
彼の金色の髪が夜風に揺れている。碧い瞳がいつになく真剣で、私は思わず息を呑んだ。
「わ……、わーっ。そ、そそそ、そうだ、ノエルくん、今日はノエルくんが来てくれて助かったよ! ありがとう! とってもかっこ良かったっていうかなんていうかぁ」
自分でも分かる。これは露骨な話題転換だ。けれど、そんなことを気にしている余裕なんてなかった。ノエルくんが何を言おうとしているのか、いくら鈍感な私でも分かってしまう。しかし言わせてはいけない気がしてならぬのだ!
「いえ……その……」
「それに会長もハヤテくんも! うん、三人ともすごかったよね! 私なんてもう何が何だか分からなくて――」
「先輩!」
「はいっ!」
名前を呼ばれてチラリと彼の方を見ると、困ったように眉を下げて私を見つめていた。その表情に胸の奥の〝なにか〟がキュっとなる。
「……先輩、僕が何を言おうとしたか分かってますよね?」
「…………」
分かっています。ものすごく分かっているのよ。でもね、それを聴いたらダメな気がするの! なぜでしょう! 自分でも分からないの!! なんて彼に言えるはずがない……。
「えーっと……なんのことかな?」
なので、シラを切るしかない。
「先輩」
「はい」
「目が泳いでます」
「泳いでません」
「泳いでます」
「泳いでないってば!」
思わず声が大きくなり、私は慌てて口元を押さえた。夜の住宅街に私の声が響いて途端に恥ずかしくなる。ノエルくんは呆れたような、少し寂しそうな顔をしていた。
「困らせるようなことを言ってすみませんでした。でも、いつか……」
「え?」
「いつかあなたに見合う男になってみせます。そのときは僕の話を最後まで、聞いてください」
その真摯なセリフに喉が詰まり、胸は熱く、心音が速くなっていく。返す言葉が見つからない。けれど彼の瞳から目を逸らせない。
彼の気持ちは嬉しい。それどころか、そういう関係になれたらどれほど嬉しいだろうかと思う気持ちがある。けれど、分からない。頭の中がごちゃごちゃする。
「うん……」
私はただ、そう答えることしかできなかった。
◇◇◇
それから私たちは無言で歩いて、無事に家にたどり着くことができた。手を振って別れた後、彼の背中を見送る私の胸の鼓動が、また速くなった。
「ふぅ」
部屋に入った私は心を落ち着かせる。ドアを閉めた直後、張り詰めていたものがようやく切れたような気がした。強く握りしめていた自分の手をゆっくりと開いてみると、手のひらには爪が食い込んだ跡が残っている。どうやら私は、無意識のうちに手に力を込めていたらしい。
「……疲れたぁ」
ドアに背中を預けたまま、ずるずると腰が落ちていく。そのまま床にへたり込み、膝を抱えた。
私はたいしたことをしていない。怪異と直接戦ったわけでもないし、誰かを助けたわけでもない。ただ、みんなに安全な場所から光を当てていただけ。それなのに、身体の芯まで疲れ切っている。実際に怪異と戦ったハヤテくんや、会長やノエルくんはどれほど消耗しているのだろう。そんな中、彼らは私を家まで送ろうとしてくれた。
けれど私は、私たちは、本当にこの異常な現象を終わらせることができるのだろうか……。
私は膝に額を乗せながら考える。
灰色に染まった世界の中で、なぜ私たちだけが普通に動くことができたのか。ノエルくんが言っていた共通点と、ハヤテくんが覚えた奇妙な既視感。その二つと何か繋がりがある。
「……ナイトメア」
また、その言葉が口から零れた。なんでそんな単語が口から出たのか分からない。
頭の奥に何かが引っかかっている。手を伸ばせば届きそうなのに、指先があと少しのところで届かない。記憶の向こう側に何か重要なものが眠っていて、それを思い出そうとすると、霧の中へ逃げてしまうような感覚だった。
「ナイトメア……悪夢……夢……」
そこまで呟いて、私は顔を上げた。
「私が見た変なあの夢……。あれが関係しているの? みんなに話した方がいいかな?」
答えてくれる人はいない。
「いや……、言えるわけないでしょ……。あんな恥ずかしい妄想を詰め込んだような夢なんて……」
しばらく部屋の静けさに耳を澄ませていたけれど、もちろん何かが分かるわけでもなかった。
「でも、たぶんもう出ないよね……」
自分自身に言い聞かせるように呟く。
「あんな化け物がポンポン出てきてたまるものですか」
そう、明日からはまた何事もなく、平凡な日常が続くにきまっている――。




