88 下手な嘘
私が小さくうなずくと、彼は呆れたようにため息をついた。
「……どうして、私がここにいるって分かったの?」
「別にあんたを探していたわけじゃない」とぶっきらぼうに言って彼は続ける。
「運動部でもない女子たちが楽しそうに笑いながら倉庫の方から歩いてくるのを見かけた。なにかあると思って来てみれば、あんたが閉じ込められていた」
そうだとしても、わざわざ気になって見に来てくれたという事実が嬉しく思えた。
「助けてくれて、本当にありがとう」
立ち止まって頭を下げると、彼は「別に」とでも言いたげに小さく首を振る。
「行くぞ」
踵を返した彼の背中を私は追った。
◇◇◇
校舎は一階にある職員室以外は灯りが消えていた。他の教室も床も真っ暗で人影がないのに、なぜか誰かに見られている気がする。
たった一人で歩いていたら、きっと怖くて足早になっていただろう。けれど今は不思議と安心できた。隣を歩く彼とは友達でも知り合いでもないただの同級生、会話もロクにしたことないのに、不思議とその存在に心細さが薄れていく。
校門を出ると住宅街へ続く夜道には人通りがほとんどなかった。田んぼの方から虫の音が響き、電灯の切れかけた街灯が私たちの影を小刻みに地面に落とす。
私たちの間に会話はなく、肩を並べて歩き続ける。
あれ……、そういえばハヤテくんと帰る方向って私と一緒だったんだ。でも通学路で会ったことは一度もないし、家が近所という話も聞いた覚えがない。
「イジめられてるのか?」
唐突に飛んできた質問に、私は困ったように笑った。
「イジメというか……嫌がらせ、かな。たぶん」
そう答えると彼は前を向いたまま「オレには違いが分からない。どっちも同じだろ」と言った。
「あー……、そうだよね」
返す言葉が見つからずに思わず苦笑が漏れた。
呼び方なんて関係なくて、あれはイジメなのだ。単なる嫌がらせじゃない、明確な悪意によって生じた行為。ただ私が〝自分はイジメられていない〟と思いたいから、嫌がらせという言葉を選んだに過ぎない。
糸が切れるように張りつめていた気持ちがぷつりと切れて、体が震え始める。一人きりで暗い倉庫に閉じ込められた恐怖が、今になって一気に押し寄せてきた。急激に指先が冷たくなっていく。
私が手を握りしめようとしたそのとき、不意に彼の手と私の手が触れた。そのまま自然と彼の指が私の手を包み込み、そして重なり合う。硬い指の感触と伝わってくる体温に、私は思わず息をのむ。
ハヤテくんと手を繋いでいる。突然の出来事に頭の中が真っ白になった。
え、え、え……ええっ!? ど、どどどどっ、どうして!?
次第に熱を帯びていく顔、速く鳴っていく鼓動、心臓が耳元で鳴っているみたいで、目の前がぐるぐると回りはじめる。
平衡感覚を失って今にも倒れてしまいそうな私とは対照的に、彼は何事もないような顔で前を向いたまま歩いている。
「この暗さだ。誰かに見られても、はっきりと分からないだろう」
彼の声が夜風になびく。
いや、そういう問題なの?? 違う気がするけど頭が回らない??? うう……、緊張で手が汗ばんできた。離した方がいいかな?? でも私ごときが先に離すのなんて失礼かな??
ふと気付く。
頭の中がドキドキでいっぱいになっているうちに震えは完全に止まっていた。怖かった気持ちや負の感情が、最初からなかったみたいにキレイに消えている。
彼は「元気を出せ」とか「気にするな」とか、そんな言葉を口にしない。ただ黙って隣を歩き、手を繋いでくれる。不器用な優しさが伝わってくる。
家が見えてきた。安堵すると同時に、もうすぐこの時間が終わってしまうと思うと名残惜しく思えてしまう。
「あ、ありがとう。もうすぐ家だから、もう大丈夫だから」
そう告げると、私の手を離した彼は「じゃあな」と言って踵を返した。
「あれ? こっちじゃないの?」
私が指さした方向と反対、歩いてきた道を引き返そうとしている。
「……道を間違えた」ハヤテくんは言った。
私は理解する。
同じ方向だったわけじゃない。私を送るために、ここまで一緒に来てくれたんだ。道を間違えたなんてすぐバレる嘘を付いてしまったのは、彼の性格からして嘘を付くのが苦手なのだろう。
「もし何かあればオレに言え。力になってやる」
「どうしてそこまでしてくれるの?」
思わず問い返すと、彼は夜空を見上げるように視線を上げた。
「……分からない」
「え?」
「理由は分からない」
少しだけ困ったように笑った気がした。
「ただ……あんたを守らなきゃいけない。そう思ったんだ」
胸が大きく高鳴る。
「……それって、どういう意味?」
問いかけても彼は首を軽く振り、歩いてきた道を再び歩き出す。遠ざかっていくその背中を、私は見えなくなるまで見送っていた。
無事に家へ帰り、お風呂に入って布団に入ってからも、いつまでも寝付けずにいた。天井を見つめながら、何度も今日の出来事を思い浮かべては繰り返す。
あんたを守らなきゃいけない、そう思ったんだ――。
夢の中でも彼は私を守ってくれた。彼だけじゃない、ノエルくんもそうだ。みんな命を賭して私を守ってくれた。まるで夢みたいなイケメンに囲まれる聖女ライフだった。
まあ……、夢なんだけどね。
私は枕に顔を埋めてくすりと笑う。




