87 イベントは発生しない?
雨の日の放課後、埃っぽい体育倉庫に閉じ込められた男女、いがみ合っていたあいつが見せた意外な優しさに彼女の心は揺れる。不意に互いの肩が触れて、見つめ合う。そして二人は――。
ふふっ。
ところがどっこい、閉じ込められているのは私ひとり。恋愛イベントどころか事件発生だ。
「まさか彼女たちがここまでするなんて……」
私の声は倉庫に虚しく木霊す。
「はぁ、まったく……。こんなことをして何になるのよ」
ため息を吐いた私は文明の利器、スマートフォンという最強の味方を制服のポケットから取り出した。なっちんに電話して助けに来てもらおう、たぶんまだ校内に残っているはず。
スマホの電源ボタンを押す。明るく点灯した画面をスワイプしようとした瞬間、私は固まった。
「はへ……?」
アンテナが一本も立っていない。
「……圏外?」
何度見直しても表示は変わらない。電波を探して壁際まで歩いてみる。スマホを高く掲げたり、向きを変えてみたりしたけれど、電波状況はまったく変わらなかった。
コンクリートの壁と鉄の扉に囲まれたここは電波を遮断してしまうようだ。
「うそでしょ〜」
肩を落とした私の口から嘆き声が漏れる。最後の切り札は、あっけなく消滅した。こうなった以上、私の内に眠る隠されたパワーに期待するしかない。
むん、と貧相な体に気合を入れて扉を押してみる。まるでびくともしない。それならばと助走を付けて体当たりしてみるも、あえなく弾き飛ばされた。
その後も、扉を蹴ったり取っ手を力任せに引いたりしたけれど、鍵が壊れる様子はない。
「……万策尽きたな」と肩で息をしながら私は吐き捨てる。
これ以上やっても体力を消耗するだけだ。
諦めた私は額の汗を拭い、倉庫の隅に積み重ねられている体育マットの上へ腰を下ろした。使い古されたマットは少し湿気を吸っていて、生乾き臭と埃っぽい匂いがする。
とりあえず、いったん冷静になって現在の状況について考えよう。
ここで一晩過ごすことになるけれど、命に関わる状況ではない。スポーツ大会の準備が始まっているのは本当だし、体育の授業もあるし、明日になれば誰か開けてくれるだろう。
「ご飯は我慢できるとしても……トイレ、どうしよう……。ああもう、最悪すぎ!」
私は体育マットに大の字に倒れ込み、天井を見上げた。
無機質なコンクリートの天井には蛍光灯、壁の高い位置には小窓がある。そこから差し込む日の光も少しずつ色を失っていく。
倉庫にある備品を足場にすれば小窓に届くけれど、なんと窓にはご丁寧に鉄の格子が……。
「こんなところに盗みに入る人なんていないのにね、笑える」
時間が経つにつれ、倉庫の中はゆっくりと闇に包まれていった。扉の隙間から漏れていた細い光も、やがて完全に消える。
蛍光灯のスイッチを入れる気にもなれず、私は大の字のままぼんやりと天井を見上げる。
さっきまで微かに聞こえていた吹奏楽部や軽音楽部の演奏も完全に消え去り、完全な静寂が訪れる。暗闘に体と心が溶けていくような感覚の中、やがて耳鳴りが聞こえ始めた。
まるで世界から切り離されてしまったかのよう。
「……」
一晩くらい平気だと思っていたのに真っ暗な空間で一人でいると、途端に不安が胸の奥から体を蝕み始める。
もし明日になっても誰も来なかったら。誰にも気付いてもらえなかったらと不安がよぎる。
水がなくて生きていられるのは三日間だっけ……。こんなところで死にたくないよ。
ネガティブな思考が止まらなくなり、怖くなった私は起き上がってマットの上で膝を抱えた。
――カチャ。
と、小さな金属音が響いたのは、そのときだった。
固く閉ざされていた鉄扉が、ゆっくりと軋む音を立てながら開いていく。細い隙間から月明かりが一本の帯となって倉庫に差し込み、暗闇を少しずつ押しのけていった。
月光を背に受けて一人の生徒が立っている。影になって輪郭しか見えなかったが、その声には聞き覚えがあった。
「閉じ込められたのか?」
「ハヤテ……くん?」




