86 光回線
「あ、あの先輩。実は大切な話が――」
ノエルくんが意を決したように口を開き、真剣な表情で私を見つめた。その碧い瞳には普段の人懐っこい笑顔とは違う、ある種の覚悟のようなものが宿っている。
これは……、来る! しかしその先を言わせてはないないの! なぜか分からないけれど私の中の何かがそう言っている!
私が思わず背筋を伸ばした、そのときだった。
「白城さん」
図書室の扉が開き、慣れた女子生徒の声が響く。
開け放たれたドアを方に顔を向けると、姿を消していた図書委員の彼女が、少しばかり息を弾ませながらこちらへ歩いてきていた。どこか落ち着かない様子でもじもじと握った手を動かして、視線もどことなく泳いでいる。
「スポーツ祭で使う用具を出すように、小宮先生から頼まれたんだけど……手伝ってくれない?」
「え? 今から?」
「う、うん。急でごめんね。一人だと運べそうになくて……」
申し訳なさそうに眉を下げる彼女を見てしまうと、断るという気持ちにはなれなかった。
「ううん、気にしないで。私も手伝うよ。一人じゃ大変だもんね」
彼女はほっと胸をなで下ろしたように笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「ノエルくん、ごめんね。ちょっとだけお留守番お願いしてもいい?」
そう声を掛けると、彼は一瞬だけ名残惜しそうな表情を浮かべたものの、すぐに笑顔を作って頷いた。
「ええ、大丈夫です」
「ありがとう。もし遅くなりそうだったら、先に帰ってもいいからね」
「……はい」
どこか歯切れが悪く答えるノエルくんに私は「それじゃあ、よろしくね」と軽く手を振って、図書委員の彼女と一緒に図書室を後にした。
◇◇◇
「スポーツ祭の準備って、体育倉庫でいいの?」
「うん」
階段を降りていくと、二階にある音楽室の方から吹奏楽部の演奏が聞こえてきた。その演奏はまばらで自由でとりとめがなく、一部の部員が居残り練習をしているのだろう。
昇降口を抜ける。グラウンドでは野球部がトンボを掛け、サッカー部や陸上部がクールダウンを始めていた。一人、また一人と徐々に生徒たちが姿を消していく光景は、一日の終わりが近付いていることを感じさせる。
校庭の隅に建つ体育倉庫へ近付くにつれ、人影はさらに少なくなっていく。校舎から離れているこの場所では、さっきまで聞こえていた喧騒も遠ざかり、吹き抜ける風が木々を揺らす音だけが耳に届いた。
倉庫の大きな鉄扉は半分ほど開いていて、中は薄暗い。
「あのハードルを出すのを手伝ってほしいんだけど……」
「うん、分かった」
彼女に言われるがまま倉庫に足を踏み入れた、その瞬間だった。
――ドンッ!
「きゃっ!」
突然、背中を勢いよく押された私は前につんのめる。危うく床へ倒れそうになりながらも足を踏み出して体勢を立て直した。
何が起きたのか理解するより早く背後で鉄扉が勢いよく閉まり、
ガラガラッ、カチャン――。
冷たく乾いた施錠音が、人気のない倉庫の中へ大きく響き渡った。
「ちょ、ちょっと!」
私は弾かれたように振り返り、慌てて扉を叩く。
「開けて! 開けてよ!」
しかし返事の代わりに扉の向こう側から聞こえてきたのは、くすくすと笑う少女たちの声だった。笑い合う声は一人分ではない。少なくとも三、四人くらいはいるだろうか。
背筋を冷たいものが這い上がった。これは事故なんかじゃない。私を陥れるための罠。一年生の頃に味わった苦い経験が蘇る。
ああ、また始まったのか……。だから会長と関わりたくなかったのに。会長のせいじゃないことくらい分かっている。むしろ被害者なのかもしれない。だけど、彼に近付けば朱雀同盟から標的にされてしまうのだから仕方ない。その結果がこれだ。
……それにしても早すぎない? 今さっきの出来事なのに、なんなのこの情報伝達と行動の速さは……。光回線並みの通信速度じゃないですか。
その行動力を他のことに使えばいいのにと心の底から思う。
やがて足音は遠ざかり、笑い声も聞こえなくなった。どうやら本当に私を閉じ込めたまま帰るつもりらしい。
私は拳を扉に打ちつけたまま、ずるずるとその場に座り込んだ。
「はぁ……」
くそぅ。漫画だと男女が狭い空間に閉じ込められて、肩が触れ合って、ドキドキして、距離が縮まるみたいなイベントってよくあるけど、まさか一人で閉じ込められるとは思わなかったよ。




