82 ナイトメア
翌日も、その翌日も、休日を挟んで週が明けても、東屋にディアナが姿を見せることはなかった。
授業にはきちんと出席している。けれど、終業の鐘が鳴るや否や、彼女は誰よりも早く教室を飛び出してしまう。まるで私から逃げるように。
避けられている。
その事実が、胸の奥に重く沈んでいく。
やっぱり嫌われてしまったのだろうか。
あのとき、触れようとしたのがいけなかった?
踏み込みすぎた? 余計なお節介だった?
あの場所は彼女にとって大切な場所で、拠り所だったに違いない。誰にも邪魔されず、静かに息をつける唯一の居場所に、私は無神経に踏み込んでしまった?
関わるべきではなかったの??
落ち込む。後悔と自己嫌悪が頭の中で堂々巡りする。
「あ~~っ、もう!」
私は廊下で立ち止まり、自分の頬をぱちんと両手で叩いた。
うじうじ考えていても仕方ないじゃん! このままでいいはずがないの。多少強引でも、ちゃんと話をしなきゃ!
と、意気込んでみたものの。
東屋に来なくなってからディアナがどこで過ごしているのか知らない。彼女が寮に戻るのはいつも門限ギリギリで、寮で過ごす時間を極力少なくしているようだったから、学園のどこかにいるはず。
同じ部屋の子と上手くいっていないのかな……。いや、それは違う。そうじゃなくて関わらないようにしている、ただ、それだけ。
彼女が人を避けているのは間違いない。けど、孤独を望んでいるとも思えない。だって私と小鳥に餌をあげていたときは楽しそうだったし、私を拒絶したときの彼女はとても辛そうだった。
本当の彼女はとても優しくて、動物が好きで、誰かと触れ合いたいと望んでいるのだ。
放課後、私は広大な学園を走り回った。
ナイトメアを探しているおかげと言っていいのか微妙だけど、人気がない場所は把握している。思い当たる場所を順番に回っていき、そして彼女を見つけたときには、すっかり日が落ちて暗くなっていた。
校舎裏の非常階段、冷たい風が吹き抜ける暗い場所でディアナは小さく身体を丸めて座っている。膝の上には灰色の猫が乗っていて彼女自身も、そのまま眠ってしまっていた。
私が静かに近づくと猫の耳がぴくりと立ち、大きな金色の瞳がじっとこちらを見つめる。
「ディアナ、こんなところで寝てたら風邪ひくよ」
私は彼女の肩に触れながら声を掛ける。
「……ん、ぅ……」
ゆっくりと瞼が開き、焦点の合わない目がやがて私を映す。その瞬間、彼女は息を呑んだ。
「……先生……? どうして……」
私は微笑む。
「ねぇ、ディアナ。私と友達になってほしいの」
同情だとか、打算だとか、点数稼ぎなんだろうとか、なんて思われても構わない。私は彼女と友達になりたい。もっと彼女のことを知りたい。ただ本心からそう思っている。だから一切の形容詞や副詞を排してストレートに告げた。
自信を持って話しかけろ、逃げ出そうとするなら捕まえろ! 拒絶されても、元から強くないメンタルが悲鳴を上げても、それでも食い下がるんだ!
「ダメだよ……」
ディアナの表情と声が暗く沈む。
「先生とは……友達になれない……。その、先生だからじゃなくて、誰とも……」
「どうして?」
「私は……みんなを不幸にするから……。幸せになっちゃいけないから……」
か細く震える声は、まるで絶望の淵にあって、生きることを諦めているような声だった。
彼女はこんな小さな身体で、いったいどれほどのものを背負っていると言うのだろう。
「そんなことないよ」
私は彼女の手を握った。
「は、離して……」
ディアナは抵抗する。けれど私は離さなかった。ここで手を放してしまったら彼女を見捨てることになってしまう。
「私の目を見て、ディアナ」
私は彼女の瞳を真っすぐ見つめた。
「私はあなたの心に聞いてるの。あなたは本当はどうしたいの?」
「わたしは……」
唇が震える。
「……なりたい……。先生と、友達に……。だけど……わたしは……」
声が尻すぼみに小さくなって途切れた。
私は彼女を抱き寄せる。
「聞いて。幸せになっちゃいけない人なんて、この世界にはいない」
ディアナは私の胸の中で何度も首を振った。
「お願い……。これ以上、わたしに優しくしないで……」
「そんなこと言わないで。あなたは幸せになれる。あなたは幸せになっていいんだよ」
彼女が何を恐れているのかは分からない。
だけど、確かなことがある。
今日まで彼女がどれほど孤独だったのかということ。
ずっと、ずっと彼女は孤独だった。
誰にも触れられず、誰にも頼れず、たった一人で耐えてきた。
それでも本当は誰かと触れ合いたいと願い、温もりを求めていた。
だって、私を拒絶する言葉とは裏腹に、ディアナの腕が震えながら私の背中へ回されたのだから。それが何よりの答え。
「先生……ごめんなさい……」
「どうして謝るの?」
「……私が、兵器だから……」
「兵器?」
「……あったかい……」
まるで生まれて初めて人の温もりに触れたみたいな声だった。
ディアナの目じりから零れ落ちた涙が頬を伝い、私の頬を濡らしたその刹那。
――こぽっ。
水が湧き出す音が響く。
足元を見ると、石畳の隙間から水が溢れ出ていた。
雨なんて降っていない。さっきまで地面は乾いていたはずなのに、まるで泉が湧き出すみたいに、透明な水が次々と溢れ出て周囲を満たしていく。
「な、なにこれ……!?」
あっという間に足首から膝に、膝から腰へと、みるみるうちに身体を呑み込んでいく。
私はディアナを抱きしめたまま階段を昇ろうと足を踏み出した。けれど、その頃にはもう胸元まで水位が上がっていた。
「ディアナ!!」
彼女を強く抱き寄せたときには、水が全身を覆い尽くした。
息ができず、視界が歪み、足が地面から離れて意識が混濁していく。自分という存在が希釈されていくような感覚に襲われ――。
――んん……。
まぶたの裏に温かさを感じて目を覚ます。カーテン越しに差し込む朝日が部屋を優しく照らしていた。
もう朝か……。
ぼんやりとした意識のまま私はゆっくりと体を起こす。
ベッドの上にはクマのぬいぐるみが一体。小さなときからいつも一緒だったぬいぐるみは色がくすんでいて、耳の縫い目がほつれている。壁際の棚には、文庫本や漫画がぎっしりと並んでいて、机の上には開きっぱなしの参考書とノートとシャーペン。
私がいるのは自分の部屋であり、自分のベッドの上だ。
「千鳥、早く起きなさい。学校に遅れるわよ」
一階から母の声が響く。
「……夢?」
そう呟いて、私は額に手を当てた。
いつも読んでいただきたいありがとうございます堂道廻と申しますm(_ _)m
ここで【悪夢】前編が終わりになります。後編のプロットは決まっているのですが、どれくらいのボリュームになるのかまだなんとも言えません。なので、しばしお時間を頂戴し、二~三週間後から投稿できるよう頑張っていきたいと思います。
投稿再開の際は活動報告にてお知らせしますので、引き続き千鳥の応援をしていただけますと嬉しいです! よろしくお願いします!!




