70 エリザ先生
応接室を出た私たちは、それぞれの持ち場に付くため解散した。
遠くからは生徒たちの話し声や笑い声がかすかに聞こえてくる。私はまだ自分の受け持つ授業まで時間があったため、下見も兼ねて校内をざっと見て回ることにした。
広大な学園の敷地の中にいくつも校舎が建っていて、運動場や闘技場があり、寮まで完備されている。
教室は階段状になっており、席は横に長いベンチタイプ。いわゆる黒板に向かって整然と机が並ぶ学校というよりは、講義形式の大学に近い造りだ。
魔導学園という名の通り、この学園に通う生徒は全員が魔力を持っている。貴族や富豪の子息令嬢ばかりとはいえ、厳しい入学試験でふるいに掛けられた選び抜かれた優秀な子供たちばかりだという。
さて、突然ですがここでクイズ。私も教師役として潜入しているわけだけど、何の教科の担当でしょうか?
はい正解! 答えは家庭科教師でした!
なんの因果か、家庭科教師を仰せつかったのである。
もちろんモニカ学園長には、私が元王宮料理人であることも、召喚された偽聖女であることも伏せてある。だから単なる偶然なのだ。
それとも体に染み付いた料理人の匂いが滲み出ているのだろうかと、私は自分の袖をくんくんと嗅いでみる。すると、ほのかにドレスに振りかけられた香水の香りがした。実はあの日以来、浮かれて毎日試着していたりして……。
さてさて!! そうこうしているうちに授業開始の時間が迫ってきているぞ!
私は慌てて調理実習室へと向かった。
新しい職場となる料理実習室は、想像していたよりも広く、天井も高い開放的な空間だった。班ごとに調理ができるようコンロと洗い場の付いた調理台が配置され、それぞれに調理器具が整然と並んでいる。設備の規模では王宮の厨房に敵わないけど、どれもピカピカで手入れが行き届いていて清潔に保たれている。
そして、教室を見回したところ生徒は三十人ほどで、男女の割合は四対六くらい。年齢的には中学生くらいの生意気盛りの子どもたちだ。この学園には中等部と高等部があって、年齢で学年が分かれているそうだから、私の受け持ちは中等部ということだ。ちなみにノエルくんは高等部の生徒だから、基本的に校内で会うことはないのかも。
さらに、事前に顔合わせを済ませておいた同じ家庭科教師のレベッカ先生の話によれば、家庭科の授業は選択制で必修ではないから、料理に興味がある生徒もいるけど、「とりあえず単位が取れればいい」という軽い理由で履修する生徒も多く、全体的なモチベーションはそこまで高くないそうだ。
それでもせっかくだから料理を好きになってもらいたい。そう思いながら、エプロンを腰に巻いて私は教壇に立った。
「はじめまして、今日からみんなに料理を教えることになったエリザです。よろしくね」
エリザという素敵な名前は、もちろん偽名である。
当然だけどみんなが教壇に立つ私を注視している。
物珍しそうに、品定めするような、値踏みするような、好意と興味、懐疑や猜疑がこもごもになった視線が集まる。
まるで動物園のパンダになった気分だ。まあ、パンダを懐疑の目で見る人はいないから、例えるなら深海魚なのかな。この国では私みたいな東方人は珍しいみたいだから。
「エリザ先生ー」
さっそく生徒のひとりが手を挙げた。
「先生」かぁ。本名じゃないけど先生なんて呼ばれると、なんとも面映ゆい気持ちになる。それにしても私が教師をやる日がくるなんて……。
「はい、なんですか?」
「先生って全然魔力感じないけど、魔術使えるの?」
え、そんなこと初めて言われたんだけど。へぇ、この世界の魔力を持った人たちは、そういうの感覚で分かるんだ。
「いえ、みんなと違って私は魔術は使えません」
「じゃあどうやって料理するの?」
「え? どうやってって……。具材を切って煮たり焼いたりだけど?」
「具材を切るのは風の魔術で、コンロに火を入れるのは火の魔術だよ。野菜を洗うのも魔術で出した水だし、冷蔵庫を冷やす氷は氷魔術で作るんだぜ」
そう言われてみれば、フライパンやヘラはあっても包丁がない。コンロはあるが薪や燃料がない。なるほど、さすが魔導学園、どんな授業も魔術が応用できるようになっているのか。
「そ、それじゃあ先生がお手本を見せるときは、みんなにお手伝いをお願いしようかしら。それに今日は切ったり焼いたりしなくてもいいプリンだから。じゃあ、さっそく作ってみましょう」
「えー、俺たちが作るの? 先生が作ってくれるんじゃないのかよ」
「当たり前でしょ。ここはレストランじゃありません」
即座に返すと、どっと笑いが起こる。
ふぅ、硬かった空気が少し緩んだかな。
「ちなみに、自分で料理をしたことがある人はいるかな?」
私が質問すると、ちらほらと手が挙がる。
おー、料理経験がある子がいるとは意外だ。
「じゃあ誰かが料理をしているところを見たことがある人は?」
この質問には半数以上の生徒が手を上げてくれた。幸いにも、このクラスは料理に興味を持っている生徒の方が多いようだ。
どうせなら教え甲斐があった方がいいよね。




