65 ちょっと待ったというヤツでしょうか
「つ、ついでにドレスも買ってしまいましょう。母や姉が利用している馴染みのブティックがありますので、ご案内します」
「あー、うん、そうだね。歌劇場ってドレスコードあるんだもんね」
「ええ。それに司令官なら貴族主催の晩餐会に呼ばれる可能性もゼロではありませんから」
晩餐会? 見知らぬ貴族や偉い人たちに堅苦しい挨拶をしてにこやかに談笑してダンスしたりするアレのこと? 絶対、気疲れするやつじゃん……。
ムリムリムリ! よし、今のうちに欠席する言い訳を考えておこう!
そんな現実逃避じみたことを考えているうちに、気づけば私たちは街の一角へと足を運んでいた。
足を止めた先にあったのは、大きなガラス張りの店。陽の光を受けてきらめくショーウィンドウの中には、色とりどりのドレスが美しく華やかに並べられている。
うわわわわ……。
思わず息を呑んだ私は周囲に目を配る。
さっきいた場所とは、まるで空気が違う。行き交う人々もだ。ここだけ切り取られたように別世界みたい。それもそのはず、ここは高級店が立ち並ぶエリア、通称〝薔薇の気品〟と呼ばれるローゼンハイトなのだ。
こんな安っぽい服装の私は完全に場違いで、かなり浮いている。正直言ってノエルくんの着ている服も私と大差ないけど、彼には生まれ持った気品が備わっているような気がする。
うう……、これが鬼畜補佐官ディビットが語っていた『滲み出るノーブル感』というヤツなのか。
「さあ、入りましょう」
萎縮する私をよそに彼は迷いなくガラス扉へ手をかけた。
軽やかなベルの音が鳴る。店内に一歩足を踏み入れると、ふわりと上品な香りが漂う。磨き上げられた大理石の床に、きらびやかな照明。静かで落ち着いた空間には、独特の緊張感を帯びている。
はうッ!? 場違い感がすごい!
「これはこれは、アクセルホーク辺境伯のノエル様」
すぐに従業員の女性が私たちの前に現れ、優雅に一礼した。
「夫人には、いつもご贔屓にしていただきありがとうございます」
流れるような上品な所作に、思わず圧倒される。
おお……、VIPなんだ。やっぱり辺境伯ってすごい貴族なんだ。
隣に立つ彼をちらりと見ると、慣れた様子で従業員に会釈し、「この方のドレスを見繕っていただけますか」と私を示した。
「もちろんでございます。さあ、こちらへ」
促されるまま店の奥へ。
並べられたドレスの間を歩きながら、私は何度も視線を彷徨わせた。高級な生地に繊細な刺繍、どれもがため息が出るほど美しく、まるで美術館にいるみたい。眩しくて目が回りそうになる。
ほんとに私、こんな綺麗なドレスをこれから着るのかな……。
「気に入った物はございましたか?」
「いえ……、そ、その……」
しどろもどろになる私に従業員の女性が微笑む。
「よろしければ私の方で選ばせていただきますが」
「よろしくお願いいたします!」
「かしこまりました。それではフィッティングルームでお待ちください」
そして、不安が八割、高揚が二割ほど入り混じる中、試着の準備が進んでいった。
私が住んでいた宿舎の部屋より広いフィッティングルームで、三人の従業員に囲まれながら着せ替え人形になった気分でドレスに袖を通す。
布地はしっかりしているのに驚くほど軽く、肌に触れる感触はなめらかで滑るようにサラサラしている。
髪を軽く整えられた後、「いかがでしょうか」と促された私は立ち上がる。
大きな姿見鏡に映った自分に思わず息を呑む。お姫様みたいなドレスに身を包む〝彼女〟は、まるで自分とは別人に見えた。
ぽーっと呆けていると、
「ノエル様、お連れ様の準備が整いました」
心の準備が出来る前に両開きの扉が開いていく。
扉の外で待っていたノエルくんと目が合った瞬間、彼は目を見開き息を呑んだ。そしてゆっくりと微笑む。
「とてもよく似合っています。本当に綺麗です、僕がこれまで出会った誰よりも……。このまま実家に連れて行って家族に紹介したいくらいです」
さらっとすごいことを言われた気がして、顔が沸騰するように熱くなる。
「あ、あわわ……」
なんて返事していいか分からなくて、私は咄嗟に両手で自分の顔を覆っていた。
真っ赤になった顔を見られたくなかったから。きっと耳まで赤くなっているから。
「こ、これを……、いただきましゅ……」
顔を両手で隠したままそう言った。
もうこれ以上試着するのは精神的に限界だ。早く決めてしまわないと倒れてしまう。
「それではドレスはレオンハルトさんの家に配送するよう手配しておきます」
「え、あ、うん。でもちょっと待って。一応値段を確認させて」
私がそう言うと、隣にいた従業員さんが「もう頂いております」とにこやかに微笑んだ。
「え?」
まさかと思いながらノエルくんを見ると、彼は小さく頷いてみせた。
「気にしないでください」
「気にするよ!?」
思わず声が大きくなる。
「だってすごく高価な物でしょ!」
「貴族は名誉を気にするものです。アクセルホークの者が同伴のご婦人に支払わせたと噂が立てば名折れだと、父に叱られてしまいますので」
「で、でも……」
「どうしても引け目を感じるのであれば、ひとつお願いがあります」
「お願い?」
彼は静かに私の前へ出た。そして洗練された動作ですっと片膝を床に付ける。
「来月、僕の誕生パーティーが実家で催されます。そこでそのドレスを着て、僕と踊っていただけますか?」
左手を胸に当て、右手を私に差し出した。
それはまるで映画のワンシーンのよう。
以前もこんなことがあったけど、あの時とは雰囲気が違う。
これはもっと真剣で、真摯で……。
私がその手を取ろうとした、そのとき、勢いよく店の扉が開いた。来店者を知らせるベルの音が鋭く鳴り響く。
「チドリ司令!」
私はその声に反射的に振り返る。
入口に立っていたのは――、隊長のエドガーだった。




