60 はりぼて
タリスマンの鳴動――、それはすべての準備が整ったことを告げる合図。
間に合わなかったらどうしようと胸の奥で燻っていた不安が、ようやくほどける。張り詰めていた糸が一気に緩み、私は思わず深く息を吐いていた。
画面越しとはいえ、いつ爆発してもおかしくない密室を見続けるのは想像以上に消耗する。肩の力が抜け、どっと疲労が押し寄せてくる。けれど、あの部屋にいるクラウディオの緊張と負荷は、こんなものではないはずだ。
フェルさんが調整したガス検知タリスマンには〝ある条件〟を満たすと鳴動するよう設定されている。
これこそが私の考えた作戦、〝毒を以て毒を制す〟の核なのだ。
『なんだよ? なんだよこの音は!?』
男が取り乱し、タクトをぶんぶんと振り回す。焦点の定まらない眼がさらに揺れ、唇の端から泡が飛び散った。
『この音か? お前をブン殴る準備が出来たって合図だ……』
クラウディオは言い放ち、ぽきぽきと首を鳴らしながら歩き出す。確実に男との距離を詰めていく。
『近づくな! 火を付けるぞ!』
男の叫びは悲鳴に近い。脅しではない、本気だ。
クラウディオは教室の中央でぴたりと足を止めると、挑発するように両手を広げてみせた。
『昔から一度は言ってみたかったんだよな。「やれるもんならやってみろ」って』
『うわぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁっ!』
発狂したような絶叫。
男は呪文を唱え、風を裂くようにタクトを振るう。
シュッと音が鳴り、タクトの先端に炎が灯った。
だが、それだけだった。
爆発は起きない。空気は揺れず、衝撃もない。ただ、炎だけが揺れている。
しん、と不気味な静寂が室内を支配した。
『なんでだよっ!? なんで爆発しない!』
男は何度もタクトを振るう。焦りと恐怖に顔を歪め、やがて背後のボンベへと飛びついた。次々と栓を開き、ガスをさらに放出する。シューッという音がいくつも重なる。
『無駄だ。それじゃあ逆効果だな』クラウディオが言った。
『……なに?』
男が目を見開いて振り返る。クラウディオのメガネを通して、私と男の目が合った気がした。
『この鈴の音は爆発上限界を超えた音だ』
男の片眉がぴくりと吊り上がる。
わざわざタネ明かしをする必要はないのだけど、まだ男の注意を引く必要がある。クラウディオもそれを理解している。
『可燃性のガスには爆発範囲ってのがあってな』
クラウディオは両手を上下に動かし、範囲を示す。まるで講義でもするかのような口調だ。
『薄すぎても濃すぎても爆発しないんだ。閉鎖空間で濃度を下げるのは難しい――、だから逆に濃くすることにした。今頃、オレの仲間が魔素兵器で空調の配管からガスを送り込んでいる。つまり、残念ながら今のお前はタクトを握りしめた、ただのロリコン野郎ってことだ』
男の顔から血の気が引き、愕然としたまま固まる。
『ち、畜生ォォォォッォオッ!』
叫び声とともに男はタクトを投げ捨てた。隠し持っていたナイフを抜き、奇声を上げてクラウディオに突進する。
「今です!!」
私はチョーカーに触れて声を張り上げた。
ガシャァンッ!!
窓ガラスが粉々に砕け散り、夕陽の逆光を背負った影が室内へと飛び込む。ノエルだ。飛び込んだ勢いのまま男に体当たりする。弾き飛ばされた男の体がピアノに衝突、鈍い音を立てて床に転がる。間髪入れず、ノエルが覆いかぶさる。男の背中を押さえつけ、腕を捩じり上げた。
『ホークよりスワン、制圧完了』
少しだけ乱れた呼吸でノエルが告げる。
「りょ、了解……。直ちに少女を保護して現場からた、退避してくだしゃい」
『了解』
肝心なところで噛んでしまった。それでも上出来だ。かなり司令官ぽかったかも?




