105 戦うっきゃない
私に〝なっちん〟なんて幼なじみはいないの――。
そう告げた直後、なっちんの瞳が大きく揺れた。
彼女の顔がみるみる紅潮していく。唇がかすかに震え、何かを言おうとしても言葉にならない。その表情は、怒りや驚きというよりも、隠していた秘密を暴かれた少女の顔だった。
その反応が私の胸に突き刺さる。羞恥や哀しみ、恐怖、そして諦めにも似た感情が入り混じる彼女の表情に、ずきんと鈍い痛みが走る。
やっぱり、そうなんだ。私が感じていた違和感は間違っていなかった。彼女の反応が肯定している。今見ているものが夢で、夢だと思っていたものが現実であったことを示している。
突き付けられた真実に、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。
私は知っている。教室の隅で、いつもうつむいていた少女を。自分から近づくことをせず周囲から距離を取っていた少女を。それが誰だったのか。その名前を思い出した瞬間、頭の中にかかっていた霧が一気に晴れていった。忘れていた記憶が、堰を切ったように蘇ってきた。
私は女子高生じゃない……。本当の私は、アルゼリオン王国騎士団戦術騎士隊アルタイルの司令官、チドリ=シラジロ。そして、目の前にいる彼女の本当の名前は――。
「ディアナなんでしょ?」
「……」
なっちん――、ディアナは答えなかった。
ただ一歩、後ろへ下がった。さらにもう一歩。逃げようとしている。
「逃げないで」
私は慌てて声をかけた。
「怒ったりしないから」
その呼びかけにディアナは足を止めた。それでも顔を上げようとはしない。肩を震わせながら俯いたまま、しばらく黙り込んでいた。
「ごめんなさい……」
やがて、絞り出すような声が聞こえた。
「友達がほしかったんです。普通の人として生きて、普通の生徒として学校に通ってみたかった……」と声を震わせる。
彼女を見てきた私には分かる。
彼女には一人でいなければいけない事情があった。孤独でいる必要があった。それはきっとナイトメアが関係していて、彼女は必死で私たちを守るために一人でいた。
ナイトメアが発動したそのきっかけを作ったのは、おそらく私だ。拒否する彼女の手を掴んで、抱きしめた。それがトリガーになった。
だから彼女一人の責任ではない。本当に責められるのは私の方だ。
「分かっているから、謝らないで」
私は首を横に振るディアナの肩に、そっと手を触れた。
「教えて。あなたのことを。ナイトメアのことを」
「……私は……」
ディアナは言葉を詰まらせながら口を開く。
「私は孤児でした……。孤児院の前に捨てられていたそうです。なので親が誰だか知りません。私が物心ついて間もない頃に、ペルギルス王国の騎士が孤児院にやってきました。彼らは孤児を何人か引き取りたいって言って、私と年齢が近かった子と一緒にお城に連れて行かれたのを覚えています……。それから私はお城の地下牢で暮らして……、ナイトメアになりました……」
「まさか……あなたと同じ子どもが他にもいるの?」
「一緒に連れて来られた子たちとは離れ離れになってしまったから分からないけれど、たぶん……。でも、『何人かは不適合で死亡した』って……私のお世話をしてくれた魔術士の人が言っていました……」
「そんな……」
言葉を失った。ナイトメアが他にも存在するという事実以上に、彼女と同じような犠牲者がいるなんて。
「ナイトメアになってからは、さらに隔離されました。中からも外からも見えないように鉄の壁に四方を覆われた牢屋に入れられて、誰とも会わず、会話もせず、外と通じているのは食事を受け取るための最低限の小窓だけ。食事を運んでくれた人に私が話しかけても応えてくれることはありませんでした……。そこで何年か暮らした後、私はシュヴァルニ学園に生徒として通うことになりました。与えられた命令は、『たくさん友達を作ること』だけ」
ディアナはそこで一度、言葉を切った。
「外に出れて嬉しかった……、本当に嬉しいかった。でも……私には、それがいけないことだって分かっていた。自分が存在していはいけないって知っていた。だって、私が誰かと仲良くなって、心を開いてしまったら……」
「その結果、生まれたのがこの世界なのね?」
「はい……」
彼女は力なく頷いた。
この小さな少女の体に、どれほどの苦悩を抱えていたのかを想像すると、胸が張り裂けそうになる。
「この世界がナイトメアのせいだってことはなんとなく分かる。けど、ナイトメアって一体なんなの? あの黒い怪異に襲われたらみんな消えちゃうの? お願い、知っているなら教えて」
「……黒い、怪異?」
ディアナがきょとんとした顔を上げる。
「生徒たちを呑み込んだ黒い影みたいな化け物よ」
彼女は「分からない……」と首を横に振った。
「本当に知らないんです」
嘘をついているようには見えない。その瞳には困惑が浮かんでいる。
だったら、あれは何だっていうの?
その答えを考えるより早く、周囲の空気が変わった。
空を覆うように灰色の膜が広がり、世界から色が抜け落ちていく。木々が、家が、街が、すべてが灰色へと染まっていった。
時間そのものが引き伸ばされたようなあの不気味な感覚に、背筋を冷たいものが走る。
次の瞬間、今まで存在しなかった影が突如出現して地面を塗りつぶす。影は不自然に膨らんでいき、這い上がり、湧き出して人の形を取り始めた。
腕。
脚。
頭。
顔だけがない。その輪郭は黒い霧に滲み、全身から絶え間なく黒い粒子がこぼれ落ちている。
「そんな!? また学校の敷地に入ってないのに、どうして!!」
一体、二体、三体。黒い怪異が地面から次々と姿を現していく。気づけば後ろにも、左右にもいる。逃げ道を塞ぐように、ゆっくりと私たちを取り囲んでいく。
「せ、先生……」
ディアナが私の袖を掴んだ。指先が震えている。
私は怯える彼女を庇うように前へ出た。
「あなたの命令で、彼らを遠ざけることはできないの!?」
「分からない……本当に分からないの!」
ディアナは必死に首を振る。
「この真っ黒な人たちのことは、何も知らない!」
黒い怪異が、一歩ずつ近づいてくる。靴音はない。滑るように霧の塊が、じわじわとこちらへ迫ってくる。前後左右から迫ってくる。逃げ場はない。
私は無意識に拳を握りしめていた。
こんにちは、いつも自転車操業の堂道です!
いつも拙作を読んで下さりありがとうございます!!
今月テストがあるので更新が遅くなります。ご了承くださいm(_ _)m




