103 ピコピコ
「そんな……」
存在そのものが消える。最初から存在せず誰の記憶にも記録にも残らない。それは〝生まれてこなかった〟のと同じだ。
想像しただけで恐ろしくなり、私は思わず体を震わせた。
『さっきも言ったッスけど、この夢の世界が司令の記憶をベースにしていることは間違いないッス。だとすれば――』
「……だとすれば?」
『司令はシュヴァルニ学園でナイトメアを見つけているはずッス。そして、何かをきっかけに発動してしまった』
「私が……見つけた……? ナイトメアを?」
『思い出してほしいッス。ナイトメアがなんだったのかを。それが、ここから脱出する糸口になるッスよ』
「そ、そう言われても……」
記憶を辿ろうとしてみる。けれど、頭の中に浮かぶのは断片ばかりだった。
シュヴァルニ学園に潜入捜査して、生徒たちに料理を教えて、それから……誰かと……、誰かと放課後を一緒に過ごして……。
確かに何かがあったのに、手を伸ばすほど霧が濃くなっていくような気がした。
『何か、この世界に強い違和感を覚えたものがあるはずッス』
「でも最近は、違和感ばかりだし……」
急に男子にモテたり化け物が現れたり、はっきり言って違和感しかない。
『とりあえず今日、自分も学校に連れて行ってほしいッス。手掛かりを一緒に探すッスよ』
「今日?」
その言葉に反応して窓へ目を向ける。いつの間にか窓の外が白み始めている。夜が終わろうとしていた。
「ねえ、キミの力であの怪異をやっつけたりできないの?」
期待を込めて尋ねてみる。けれど、くま太は首を横に振った。
そして、ぴょんとテーブルの上へ飛び乗り、『見てのとおり、今の自分には戦闘能力は皆無ッスね』とぬいぐるみの腕をパタパタと上下に振る。
「そう……」
『そこで、司令でも魔獣と戦える武器を用意してきたッス』
「武器?」
くま太が背中へ手を回す。
テッテレーという効果音こそ鳴らなかったけれど、まるで何かの秘密道具を披露するように取り出したものを見て、私は固まった。
ピンク色のピコピコハンマーだった。
「こ、これが武器なの?」
思わずまじまじと見つめる。どこから見ても玩具のまんまピコピコハンマーだ。私の視線を受けて、くま太はこくりと頷いた。
『もちろん、見た目どおりの玩具じゃないッスよ。強化魔術を施してあるから、破壊力はなかなかのもんッス』
「…………」
差し出されたピコピコハンマーを受け取る。
軽い。ものすごく軽い。やっぱり手にした感触も完全に玩具だ。こんなもので、あの黒い怪異と戦えるとは到底思えない。
「冗談はやめてよ。こんなんであの怪異を倒せるわけないじゃない」
半ば呆れながら、私はくま太の頭上へピコピコハンマーを振り下ろした。
『ぎゃーっ!?』
くま太が悲鳴を上げてテーブルから飛び降りる。
次の瞬間――。
ピコッとは鳴らなかった代わりに『ドゴンッ』という衝撃音が響き渡った。
「っ!?」
手に伝わった衝撃に私は目を見開いた。目の前のテーブルが真っ二つに割れている。
「…………」
『…………』
私とくま太は、しばらく無言で壊れたテーブルを見つめた。
『殺す気ッスか!』
「ご、ごめんね……」




