97 崩壊
「行くぞ!」
ハヤテくんが私の腕を掴んだ。
「でも、会長が!」
「全員やられたら終わりだ! 今は逃げて立て直す!」
引きずられるように走り出す。校門を目指してグラウンドを横切る。その間にも黒い影は次々と増えていく。クラスメイトが、先生たちが化け物へと姿を変えていく。
怪異たちを搔い潜り走る。ピロティーを駆け抜けようとしたそのとき、ハヤテくんが急停止した。
「ッ!」
目の前に黒い影が現れた。まるで私たちを逃がすまいと、行く手を塞ぐように何体もの怪異が蠢いている。
「僕が引きつけます!」
ノエルくんが前へ出る。そしてピロティーを迂回するように走り出した。引き付けられるように怪異たちが一斉に彼を追い始める。
「ノエルくん!?」
「その隙に逃げてください!」
「無茶よ!」
彼は振り返らなかった。止める間もなく、私たちから離れていく。その隙にハヤテくんが私の腕を引いて再び走り出す。息が苦しい。足がもつれそうになる。それでも必死に走った。
「もうすぐだ!」
桜並木を駆け抜け、校門が見えてきた。外の景色が見える。長くて緩い坂道、その先に見えるのは私が生まれ育った街。向こう側の世界は色付いて見える。理由は分からない。だけど、安全なのだと直感した。
あと少し!
そのとき、足がもつれて転びそうになった。姿勢を崩した拍子に、思わずハヤテくんの手を引いてしまう。咄嗟に振り返った彼は、身体を使って私を受け止めてくれた。
私の肩を掴んだ彼は、安堵したように表情を緩める。けれど、その視線が私の背後へと向けられた瞬間、彼の顔から血の気が引いた。
「危ない!」
「え?」
背後に黒い影が迫っていた。私が振り返るより早く、ハヤテくんが身体を翻す。
「ハヤテくん!?」
私と怪異の間に、彼の身体が割り込む。
「走れ!」
黒い靄が彼の身体へ絡みついた。
「ハヤテくん!」
「外まで行け! 振り返るな!」
「でも!」
「走れ! お前なら出来る! みんなを救ってくれ!!」
その声に背中を押されるように私は駆け出した。校門を抜けると同時に世界が弾け、灰色だった景色が、一気に色を取り戻していく。
青い空と白い雲、そして、グラウンドから聞こえてくる歓声。
「……戻った?」
私は肩で息をしながら振り返った。黒い怪異の姿は消えている。学校はいつも通りだった。まるで、さっきまでの出来事など最初から存在しなかったかのように、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
呆然と立ち尽くしていると、不意に肩へ手が触れた。
「ひっ!」
身体が跳ねる。反射的に振り返ると、そこにいたのは――。
「なっちん!?」
「ど、どうしたの? そんなに驚いて……」
「無事でよかった……!」
息を付いた私は彼女の手を強く握りしめた。
「え? 無事って??」
なっちんは不思議そうに首を傾げる。
「分からないならいいの! でも、なんでこんなところにいるの?」
「あー……えっと、実はそのね……。ちょっと寝坊しちゃって今登校したんだ、あはは。お母さんに車で送ってもらったところでさ」
「え?」
「あっ! でも別にスポーツ祭をサボろうとしたわけじゃないんだよ、ホントだよ!」
彼女は慌てたように両手を振って弁解する。
「そう……、だったんだ……」
ほっとした私だったが、すぐに彼女がここにいることに違和感を覚えた。
「……あれ? なっちん……今朝、私と一緒に登校しなかったっけ?」
「ん?」
なっちんがきょとんとする。
「昨日と思い違いじゃない? それよりそんな血相変えてどうしたの? まさかクラス対抗リレーが嫌で逃げてきたとか? ちゃんと走らないと体育の成績に響くよ、って遅刻してきた私が言えた義理じゃないけどね。さ、一緒に行こうよ」
「待って!」
校門をくぐろうとするなっちんの腕を私は掴んだ。
「入っちゃダメ!」
「え?」
「この学校には怪物がいるの!」
「怪物……って? あはっ、なんかさっきから変だよ、ちーちゃん」
なっちんは困ったように私を見る。
「本当なの! みんな怪物に襲われて! 朱雀会長もノエルくんもハヤテくんも……!」
「ちょ、ちょっと。ちーちゃん、少し落ち着いて……ね? それに朱雀会長って?」
「生徒会長だよ!」
「……うーん、ごめん。誰、その人?」
背筋に冷たいものが走り、胸の奥が凍りついた気がした。
「え……?」
「それにハヤテくんとノエルくんって人も、この学校の人?」
そう告げた彼女が、冗談を言っているようにはとても見えなかった。
「そんな……知らないはずないよ! 会長も、ハヤテくんも、ノエルくんも、この学校では有名なんだから……!」
なっちんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「うん、分かったよ。朱雀会長にハヤテくんにノエルくんね、私が忘れているだけかも。とりあえず一緒にグラウンドに行こ?」
そして、彼女は私の手を引いた。
呆然としたまま足を動かし、思考が停止しかけようとしていた私は悟る。
――彼らの存在が消えてしまったことを。
抵抗する力を失った私は、再び校門をくぐって桜並木を歩き出す。




