第50話 エマの行方(6)学務事務室
学務事務室の混乱は、想像を絶するものだった。
終業時刻はとうに過ぎているというのに、室内には怒号に近い指示が飛び交い、積み上げられた書類の山を抱えた職員たちが、まさに文字通り右往左往していた。
私と仲の良いマルグリットの姿はない。彼女は家庭の用事があり、定時で退勤する契約になっている。
誰も私に気づかない。いや、あまりの忙しさに、視界に入っても、見ないふりをしている。こんな時間に用務員が訪ねてくるのは、間違いなく新たな面倒事を持ち込んできたと察しているからだろう。
「すみません! 緊急の伝言です!」
声の限り叫んだ。数人の職員が一瞬だけ私に顔を向け、すぐに各々の作業に戻ってしまった。
受付で立ち尽くす私を見かねたのか、一人の女性がこちらへ歩いてきた。
ヴェロニカ副室長だ。
前室長が解任された今、この事務室の実質的な最高責任者。やや長身で、黒髪をきっちりとまとめ、紺色のジャケットを纏っている。
「用件を言いなさい。用務員のリアラさん」
ヴェロニカ副室長は私の前で足を止め、まるで検分するかのように、切れ長の瞳が私を見据えている。
「えっと……守衛所のヴァルターとケミルからの伝言です。エマの外出票が、校門に提出されていませんでした」
「どういうことですか。順を追う必要はありません。結論を」
苛立ちではなく、私の伝え方の非合理さを叱るような、冷静な口調だった。
「エマさんは校外へ出ていません。今も、この校内のどこかにいます!」
ヴェロニカ副室長の眉が、ピクリと動いた。
「伝言は承りました。……ですが、ひとつだけ。どうして門番から直接、学務事務室に使いが来たのですか? しかも正規の経路ではなく、用務員であるあなたが」
私は答えに詰まり、黙り込んでしまった。
当然の疑問だ。門番、つまり「軍」からの連絡を学務事務に、用務員である私が持ってきた。これが正しい手順であるはずがない。
誰が、いつ、どのような手順で、この種の連絡を受けるべきか、私は知らない。
「……いいでしょう。今は時を急ぎます。人命が最優先です」
ヴェロニカ副室長はくるりと踵を返し、混沌とした事務所の中心へと一歩踏み出した。
「全員、手を止めなさい!」
凛とした、よく通る声。事務室の空気が、一瞬にして凍りついた。
「行方不明のエマさんですが、校内に留まっている可能性が極めて高いとの連絡を受けました。これより軍と連携し、捜索範囲を校内に限定して再編します。各自、あらゆる要請に即応できるよう、直ちに準備を整えなさい」
職員たちが弾かれたように動き出す。ヴェロニカ副室長は再び私に向き直った。
「リアラさん。あなたは私と一緒に来なさい」
「えっ……どこへ?」
「校長室です。レティシア校長に直接報告します。その後、直ちに会議が招集されるでしょう。詳細な状況を説明できるのは、現場で話を聞いたあなただけですから」
有無を言わせぬ口調だった。
私は、ヴェロニカ副室長の後について、校長室へと急いだ。
すでに取り返しのつかない事態になっていることを、ようやく私は自覚した。
エマの髪留めを見つけ、衝動的に守衛所へと走り、門番から情報を引き出した。ヴァルターから指摘されたように、職員が門番に問い合わせるのは規則違反だ。いずれその報いを受けなければならない。
だから、せめて、この校内のどこかにいるエマだけでも救いたい。
私はポケットの中にある、エマの純白の髪留めを握りしめ、彼女の無事を祈った。




