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魔法学校の用務員リアラ  作者: エーカス
第2章
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第49話 エマの行方(5)闇の中、走る

 冬が近づき、日の入りが目に見えて早くなった。窓の外はすでに暗くなっていた。

 吐き出す息は真っ白な塊となって後ろへ流れ、頬や鼻先は刺すような寒さにピリピリと痺れていた。私は星明かりの下、ただ無我夢中で走り続けた。

 あの日、私は()()に触れてしまった。

 すべてを飲み込むようにどろどろとした、漆黒の魔力。そこに絡みつく、凍りつくような恐怖と絶望。そして、助けを求める、か細い声。

 恐ろしかった。ただ、ひたすらに。

 魔力感知に蓋をするのと同じように、私はあの時に感じた恐怖にも蓋をして、見なかったことにして逃げ出そうとしていた。

 荒い呼吸と共に現場へたどり着くと、薄暗い闇の中でも()()の異様さは際立っていた。

 空間そのものが濁って歪むほどの、真っ黒な魔力の澱み。それは獲物を待つ獣のように、じっとりと蠢いている。

 震える手で、光砂灯を点けた。

 頼りない光が、石造りの倉庫の壁をぼんやりと照らし出す。

 私は目の前の凶悪な魔力残滓を刺激しないように、一歩一歩、慎重に、足元を凝視して歩いた。

 その時だった。

 何かに、あるいは誰かの意志に呼応するように、首から下げた魔道具が青く明滅した。

 私はその場に膝をつけてかがみ込み、目を凝らした。

 黒い澱みから少し離れた路肩の草陰に、場違いなほど清廉な、白い髪留めが落ちていた。

 エマがいつも身につけていた、細くて、真っ白な髪留め。それは彼女が故郷ドゥバーンから持ってきた、唯一の大切な宝物だった。

 私が何気なく「綺麗な髪留めだね」と言ったとき、彼女は少し恥ずかしそうに笑った。あの温かみのある、はにかんだ顔が鮮明に脳裏をよぎる。

 やっぱり、そうだった。あの時、助けを求めていたのは――!

 その確信が私の胸を強く締め付ける。

 私はその髪留めを、そっと手に取った。

 何も感じない。魔力も、感情も。ただ冷たい貝殻の感触が手に伝わるだけ。

 暴れ狂う魔力の痕跡から察するに、エマは間違いなくここで一度、何者かに襲われている。

 その後、彼女はどうなっただろうか。

 もし私が彼女なら、助けを求めて近くの詰所に駆け込む。ここから一番近い詰所は倉庫群エリアの詰所だけど、あそこはあまりに人通りが少ない。助けを求めるなら、より人目に付きやすく、学校外への逃げ道でもある校門を目指すのが自然に思える。

 私は、エマの髪留めを強く握りしめて、校門へ続く道を走り出した。


 やがて、校門の守衛所から漏れる明かりが見えてきた。

 いかつい体躯を揺らし、紫煙をくゆらせているのはヴァルターだ。夜に溶け込むような、近寄りがたい威圧感を放っている。その傍らで、眼鏡の縁を光らせて淡々と作業しているのは、相棒のケミルに違いない。

 門番は軍の管轄であり、私たち学校職員にとって彼らは「身内」ではない。学校と外界を隔てる、冷徹で強固な壁そのものだ。

 走って近づく私に気がつき、ヴァルターは紙たばこを足で踏み消した。短い黒髪の下から、鋭い眼光で私を射抜く。

「何だ? 急用か?」

「……夜分に……すみません」

 荒い息のせいで、すぐに言葉がでてこない。ヴァルターは無言で私を見下ろしている。

 私は、エマの髪留めを作業着のポケットの奥深くへと押し込み、呼吸を無理やり整えて顔を上げた。

「……もう、大丈夫、です」

「それで、どうした? 何かあったか?」

 身内ではない門番たちから不審に思われないように、情報を引き出さなければならない。

 私は嘘が得意ではない。できるだけ嘘にならないように、慎重に言葉を選ぶ。

「行方不明になっているエマについて、急ぎの確認がありまして」

「学校側を通して話を持って来い。職員が直接我々に問い合わせるのは規則違反だ」

 にべもなく、吐き捨てるような答えが返ってきた。

 予想通りではあったけれど、ここで諦めるわけにはいかない。何としてもエマに繋がる手掛かりがほしい。

「行方不明になっている、エマさんのことですか?」

 音もなく移動してきたケミルが、私の顔を覗き込んだ。眼鏡の奥の目は、眠たげに半分閉じられている。軍人というより研究者のような風貌だが、その視線は私のわずかな動揺さえ見透かすような、妙な鋭さがあった。

「そうです。彼女が最後にここを通ったときに、何か変わった様子はなかったですか?」

「どういうことだ?」

 睨めつけるようにヴァルターが私を見下ろす。

「彼女が()()()()()()()、何か事件に巻き込まれていたという情報があって。それを今、確認中なのですけど」

 ヴァルターは、私の言葉を鼻で笑った。

「あいにくだが、覚えてないな。……おい、ケミル。お前も何かわかるか?」

「……いや。そもそも、エマが最後に外出したのは、この時間ではないですね」

 ケミルは前髪を指で払いながら、こともなげに答える。

「あん? 何を言ってる。あいつが外出するのは、いつも休校日前の夜だろうが」

 ヴァルターが不機嫌そうに太い腕を組む。ケミルは軽く肩をすくめ、守衛所の外に置かれた簡素な机に、重厚な紙束を運んできた。

 どしん、と鈍い音がして、机が大きく揺れる。ケミルは細い指で、その紙束を流れるように捲りはじめた。

「……やっぱり、エマの外出票は、受領してません」

 ケミルの淡々とした声が響く。

「ああ? だったら、他のやつのときだろう」

「いえ、前日の分も、その前日にもありません」

「そんなわけがあるか!」

 ヴァルターが怒鳴るように足音を立てて机へと歩み寄り、太い指で紙束を捲りはじめた。ケミルは私の様子を横目でちらりとみたが、特に何を言うでもなく、気だるげに視線を外した。

 沈黙が流れる。

 吹き抜ける夜風が、私の頬や指先を凍らせていく。

「……ない。どこにも、ないな」

 ヴァルターの声から苛立ちが消え、困惑気味につぶやいた。

「でしょう?」

 二人は顔を見合わせ、小声で言葉を交わした。やがてケミルが短く頷くと、彼は軍の駐留所がある方向へと足早に消えていった。

「おい、リアラ」

 ヴァルターが、見たこともないほど険しい表情で私を呼んだ。

「いいか。ここに外出票が届いていないということは、エマは一度も、この門を跨いでいないってことだ。このことを、今すぐ学務に伝えてこい」

 戦慄が走った。

 魔法学校は壁で囲まれていて、外への抜け道はない。校内から外へ出るには、表側の校門を通るか、山に抜ける裏門しかない。裏門も軍によって固められていて、貯水槽の整備といった特別な業務の場合のみ通行が許可される。山には危険な野生動物が出没することや、道を間違えれば急峻な斜面に滑落して無事には済まないことから、軍または担当の警備員が随行することになっていて、裏門から職員が外へ出て行方不明になっていたら、もっと別の騒ぎになっている。

 つまり、校門を通っていないということは、エマが今も広大な校内のどこかにいることを意味していた。

 背後から「軍の捜索も、ぜんぶやり直しだな」というヴァルターの重苦しいため息が聞こえた。

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