第44話 エマの行方
事務員のエマが行方不明になり、私たちは彼女が使っていた寮の一室の片付けを命じられた。
その名前を聞いた瞬間、私は驚きと同時に悲しみを覚えた。特別に親しかったわけではない。水場で会えば言葉を交わす程度。けれど彼女は、私が職員寮に来たばかりの時に案内役を務めてくれた人だった。
人当たりがよく、誰からも好かれている人だった。週末には街に住む恋人と過ごすのだと、幸せそうに話していた彼女の姿が目に浮かぶ。順風満帆な日々を過ごしていると信じて疑わなかったのに、彼女は火災のあった前日から外出したまま忽然と姿を消してしまった。
事件か、事故か、あるいは自らの意志による失踪か。どのような事情であっても、長期の無断欠勤からの復職は絶望的だ。
用務員の仕事として部屋を片付けならないのは理解していても、どうしても足取りが重かった。
今日の作業は、同僚のミーナと一緒だった。
「ねえねえ、リアラ。今日の昼ごはん、どうする?」
私の落ち込みを察したのだろう。ミーナが明るい声で顔を覗き込んできた。
「……食堂、一緒に行く?」
「よし決まり!」
ミーナは私より少しだけ年上で、いつも明るい。複数人での作業のときには彼女と組むことが多く、仕事仲間として良好な関係を築いている。
エマの部屋に到着し、鍵を開けて先に足を踏み入れたミーナが、息を呑むような声を漏らした。
「えっ……何これ」
視界に飛び込んできたのは、無惨に荒らされた部屋だった。ロッカーの扉や机の引き出しは乱暴に引き抜かれ、ベッドのシーツは剥ぎ取られて裏返っている。
「通報したほうがいいかも」
「そうしよっか。ちょっと待ってて!」
ミーナが弾かれたように部屋を飛び出していき、私は一人、静まり返った部屋に残された。
魔力感知の蓋を外してみても、特に異変はない。ただ部屋が散らかっているだけ。
エマは几帳面な性格だった。いつも身なりを整え、肌の手入れも行き届いていて、水場を使った後は必ず隅々まで掃除を欠かさない。洗濯物も溜め込まず、一枚ずつ丁寧に皺を伸ばして干す彼女の姿に、私には到底真似できないといつも感心していた。
そんな彼女の部屋が、こんなに荒れているのはあまりに不自然だった。行方をくらます前に、取り乱すようなことがあったのだろうか。部屋で暴れ狂っている彼女を想像できないけど。
ミーナを待つ間、クローゼットの近くの床に散乱していた服を畳みはじめた。
エマは、港町ドゥヴァーンの孤児院の出身だと聞いていた。身寄りのない彼女の持ち物は、いずれすべて処分される運命にある。わざわざ畳む必要なんてないのかもしれない。そうだったとしても、雑に箱へ詰め込むことだけは、どうしてもできなかった。
一通りの服を片付け終えた頃、廊下から言い合うような声が近づいてきた。
「なんで俺なんだよ。非番だって言っただろうが」
「人手が足りないんだから仕方ないでしょ。文句言わないの!」
「うるせえな、お前らの尻拭いばっかじゃねえか。こっちはやっとの休みだったんだ」
ミーナの甲高い声と、がらがらとした低い男性の声。苛立った舌打ちと、重い軍靴の音がドアの前で止まった。
「ここだよ」
ミーナが話していた相手は、長身で無精髭を生やした警備員だった。威嚇するように鋭い目つきで部屋の奥を睨みつけている。その視線が私を捉えると、虚を突かれたように表情を強張らせ、ふいと顔を背けた。
左腕の鈍い光を放つ義手が目を引く。名前はガルド。いつも不機嫌な顔をしていて、私にとっては怖い存在だ。
「……あの、非番なのに、すみません」
私がそう言うと、ガルドは顔を引き攣せ、ぎこちない笑顔を見せた。
「お、おう。リアラか。……いや、別に怒ってたわけじゃねえぞ」
「さっきまで怒鳴ってたくせに」
ミーナが隙を与えずに切り込む。
「うるせえ。……まあ、気にすんな。お前らのせいじゃねえからな」
ガルドは短く刈り込んだ黒髪を荒々しく掻き回した。
「で、どうなってんだ? 随分と派手にやられたな」
「不審な時は警備員を呼べって規則だから来てもらったけど……。ねえ、リアラ。何か変なもの、見つけた?」
「特には……部屋が荒れていること以外は」
私たちが首を傾げた、その時だった。
いつの間にか音もなく窓際まで移動していたガルドが、鋭い動きで私たちに手を向け、警戒の合図をした。
「……待て。窓の鍵。こじ開けられてる。……外側からだ」
先ほどまでの粗野な態度は消え、声には緊迫した響きが宿っていた。
「えっ、泥棒ってこと?」
ミーナの問いに答えず、ガルドは慎重に窓を開けた。身体を晒さないように角度を細かく変えながら、外の様子を探っている。その無駄のない所作には、かつて戦場を渡り歩いた軍人としての、冷徹なまでの慎重さが滲み出ていた。
「靴の跡がある。何者かが侵入した形跡だ。……安全が確認できるまで、お前らの作業は中止だ。さっさと出ろ」
有無を言わせぬガルドの命令に従い、ミーナと私は用務員の待機所へと引き返すことになった。




