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魔法学校の用務員リアラ  作者: エーカス
第2章
30/40

第30話 訓練(2)空き部屋

 自己魔力定常化の訓練は、その後も続いた。今日はいつもの訓練室が使えないため、代わりに第一研究棟にある使われていない研究室で訓練をすることになった。

 古くて重い扉を開けると、ほのかなカビの臭いと、ひんやりとした空気が流れ出てきた。

 普段の私は、魔力残滓の感知をしないように、自らの能力に「蓋」をしている。それなのに、この部屋に足を踏み入れた瞬間、強烈な魔力が肌を刺激してきた。

 能力の蓋を緩めた外した瞬間、その正体がわかった。部屋の一角に、濃いモヤのような魔力の澱みが漂っている。それは古くて色褪せているものの、まるで決して消えない傷痕のように、そこに刻みつけられていた。

 ハルヴィス先生が机の前に立ち、小箱から魔道具を取り出そうとしたとき、私の異変に気づいて声をかけてきた。

「どうした?」

「い、いえ……」

 私は言葉を濁した。ハルヴィス先生は訝しげな顔つきをしながら私を一瞥して、取り出した魔道具を机に置いた。感情を読めないその顔つきが、余計に恐ろしい。

 誰も使っていないはずのこの部屋は、訓練室よりもはるかに魔力の滞留が濃い。灰色の靄のような、重く沈んだ色の魔力。

 目を瞑り、浅い呼吸を整えようとしても、心拍が高まったまま落ち着かない。机の上に置かれた魔道具に手を伸ばし、それに触れた瞬間、大きな金属音が響き渡った。私は弾かれたように手を離す。

「まだ訓練は始まっていない。落ち着け」

 ハルヴィス先生が、鋭い目つきのまま私を射抜く。

「今日はずっと、ここで訓練をするんですか?」

「他に空いている部屋がない」

「一度、部屋を出てもいいですか? 呼吸を整えたくて」

 ハルヴィス先生は何も答えない。無造作な前髪を耳にかけ、ゆっくりと腕を組む。

 部屋から出てはいけないということ?

 こんな場所では、きっと今日は訓練にならない。部屋の隅から重苦しい魔力がじわりと這い出してくる。その存在の不穏さが、私の心拍を速めていく。

「君は何を気にしている? さっきから隅の方ばかり見ているようだが」

 ハルヴィス先生は私の様子をじっと眺めている。誤魔化さなければならないのに、言葉が何も出てこない。どうしようと焦れば焦るほど思考がかき乱されて、私はただ口を結んで立ち尽くすしかなかった。

「……もしかして君は、幽霊を信じているのか?」

 突拍子もない問いかけに、頭が真っ白になった。

 言葉通りに目を丸くして先生を見上げると、彼は何かに納得したように小さく頷いた。

「なるほど。この部屋の幽霊騒ぎの噂信じているわけか」

 そう言ったハルヴィス先生の表情が、わずかに緩んだ。子供じみた教え子を諭すような、慈悲深い大人の顔だった。

「幽霊など、いない」

 断言したその顔には苦い色が混じり、泳ぐ目線を隠すようにして続けた。

「幽霊の存在は、古代から文献の中でしばしば言及されてきた。魔力を用いてそれらと交信する研究も、幾度となく繰り返されされている。そのたびに成功したという論文が発表されるが、客観的にそれを再現できた事例は一度としてない。一度もだ。僕も……」

 ハッとしたように、そこで言葉が途切れた。いつになく饒舌だったのに。

「先生は、幽霊を研究したことがあるのですか?」

 答えは返ってこない。沈黙が重い。言いかけた言葉の続きが気になって、つい軽い気持ちで訊いてしまった。

 ハルヴィス先生は小さく咳払いをすると、窓の方へと歩いていった。彩度の低いロングコートと同色系のベストを着た背中が、この部屋に立ち込める霞に遮られ、どこか現実味を欠いて見える。

 ハルヴィス先生は魔法事象の理論研究の第一人者だ。その分野は古代から麺連と続く、魔術体系の根幹を成す最も重要な領域と言われている。

 魔法事象と幽霊にどのような関係があるのか、私にはわからない。なんとなく関係がありそうな気もする。部屋の隅から漂う不穏な魔力残滓こそが、幽霊の正体なのだろうか。あれはいったい何だろう。近づきたくないし、触れたくない。

 ふと、この第一研究等の空き部屋にまつわる噂を思い出した。ここは私の担当区域ではないから立ち入る機会はなかったけれど、同僚の用務員のひとりがこの部屋の掃除を露骨に嫌がり、当番の交代を申し出ているのを耳にしたことがあった。

「どうしてこの部屋に幽霊が出るという噂があるのですか? 私がここへ来た頃から話だけは聞いていましたけど、詳しくは知らなくて」

 重苦しい雰囲気を変えたくて、話題を振ってみた。

 少しの沈黙の後、ハルヴィス先生は「それは……」と声を出した。くぐもった声だった。

「それは、この部屋で、かつて事故があったからだ。君がこの学校に来たのはいつ頃だ?」

「三年前です」

 ハルヴィス先生がこちらを向き直った。その目は、うっすらと充血している。

「事故は八年前だ。君が来るより、ずっと前の話だな」

「どんな事故だったんですか?」

「詳しくは話せない。だが、実験中の凄惨な事故だった。学生二名が命を落とし、四名がまともな生活を送れなくなるほどの怪我を負い、学校から去った」

 想像を絶する大事故だった。何年も前の出来事の残滓が、未だに残り続けることがあるなんて考えたこともなかった。

 ハルヴィス先生は、パンッ、と一度手を叩き、いつもの無表情に戻って私に告げた。

「さて、おしゃべりはここまでだ。訓練をはじめよう」

 その日の訓練も、はじめのうちは失敗続きだった。けれど、事故の痕跡から放たれる不穏な魔力も、ハルヴィス先生と会話を交わしたせいか次第に慣れてきた。気にならないと言えば嘘になるけれど、こちらに害意がないと分かれば、意識を切り離すことはできた。

 皮肉なことに、事故の痕跡が放つ強烈な存在感が重石となり、他の微弱な魔力の揺らぎを塗りつぶしてくれた。

 そのおかげで、私は魔道具の扱いに集中することができて、長い時間、安定した音を出せるようになってきた。

「今日はここまで」

「ありがとうございました」

「ようやくコツを掴めてきたようだな。次もこの調子で頼む」

 私の指導にハルヴィス先生を指名したのはレティシア校長だった。ハルヴィス先生は初等の基礎講義を受け持つが、実技訓練の担当ではないはずだった。どうして私にこの先生がつけられたのか、ずっと不思議に思っていた。

 演習場で他の先生方が、ああしろこうしろと声を荒げて学生を指導する光景を見ていたから、私も同じように叱咤されるものだと覚悟していた。

 ところが、ハルヴィス先生は魔道具の基本的な扱い方を淡々と説明する以外、ほとんど口出しをしてこない。ただじっと魔道具の発する音を聴き、持続時間や波長、失敗時の様子や傾向を記録し続けている。それにどんな意味があるのかわからない。

 成功したときの感覚を忘れないように、私はその日、何度も訓練を反芻しながら、用務員の仕事をこなした。

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