第四十五話「来訪者」
時はほんの数十分前へと遡る。
草木のが育ちにくい見晴らしの良い荒野の中、余程荷物が重いのか随分と遅い足取りで進む牛車が一つ。
「しっかし遅い。こっちの牛車は根性が足りなねぇな」
「この野牛もあなたにだけは言われたく無いでしょうね。どこからどう見ても貴方の重量のせいですよ」
狭くはない筈の牛車のスペースを一人で埋めながら文句を言う大男に対して、御者から冷たい声が返ってくる。
「別に俺は徒歩でも良かったんだぜ。それをお前が効率が悪いだのなんだ言うから、途中から掻っ攫って来たってのによ」
「それは感謝しています。ですが次やる時は事前に言ってください。できればもっと静かにバレない方法で。私の存在が割れるのは国家の損失ですよ?」
「はっ。それを自分で言うかねぇ」
「つきました。献身的な情報提供者によればここに勇者がいる筈です」
「情報提供?まさか、半殺しにして自白剤飲ませて情報吐き出させたあいつの事か?」
「それ以外に何があるんです?」
何の罪悪感も抱いてなさそうな顔に大男は思わず笑ってしまう。
痰が絡んだ豪快な笑い声が牛車の中でこだました。
それを不快そうに眉を歪めて御者が振り返る。
「うるさいですね。何か問題でも?」
「いやいや何も」
大男にとってこの連れと行動を共にした事は片手で数える程しかない。
とはいえ王宮で情報交換として会話することは珍しく無く、お互いの立場的には1番身近な存在と言える。
表と裏という違いはあれど役職的に国家を支える重要人物の一人だ。
人に化けた魔族が国家中枢に入り込んだ時や隣接諸国の奴隷横流し問題。いずれにせよ今までこの御者と行動を共にしたのは、国家存続の危機に陥る状況だ。
だから大男は今回招集を掛けられた目の前の人物を見た時は心底驚いた。自分が一切把握できていない国家の危機が迫っているのかと……。
「しっかし、またなんだぁ?手紙を渡してこいだなんて」
「場所が場所ですからね。直接誰かが届けに行くしか無いんですよ。あそこの村は最近できたばかりで他との交流も少ないようですし」
「本当にあんな所に勇者がいるのか?」
「わかりません。ですがいて貰わないと困ります。彼にはまだ舞台で踊り続ける義務がある」
「そいつは泣ける話だなぁ」
「もうそんなに涙腺が弱くなったので?年は取りたく無いものですね」
「俺はまだ三十代だ!」
「来月には四十でしょう?」
「なっ、何故知ってる……」
「国に提出されている記録ならだいたい覚えています」
大男は引き攣り顔で御者を見る。背中で表情は見えないが冗談抜き全てを把握していそうだ。
「お前は涙腺なんてもの無さそうだな」
「暗部に入った時に摘出されましたからね」
「……は?」
「何て顔してるんですか。冗談に決まってるでしょう?ほら行きますよ」
「冗談言うならもっとわかりやすくしやがれ!」
最初に異変に気がついたのは外で他の子供たちと一緒に遊んでるエノラだった。
周囲の子供たちは遠くからやってくる二人組を珍しそうにしながら声を上げて近づいていく。
「すげー!鎧だ、かっこいいー!」
「きれいな、おねーさん!お人形さんみたい!この服なーにー?」
おかしい。この村に人がやってくるなんて事なんて滅多にない。それに人間の人が来たのは初めてだ。
得体が知れない。こわい。けど、みんなが危ないかもしれない。
震える脚を無理矢理抑え付けみんなの元へ合流する。
「あの、何しに来たの?」
私に気づいて大きな鎧がこちらを覗き込んでくる。
「お?なんだよ、随分怖がられてんな」
「ここに勇者がいると聞いて訪ねて来たんです。大人の方を呼んできていただけますか?」
人形のようだと呼ばれていた女性が随分と丁寧な口調で問いかけてくる。
どうしよう。一番近いのはシルフィアおばちゃんだ。けどこの人たちはもしかしたら危ない人かもしれない。
衛兵の人を呼んできたいけど、自分の足では少し時間がかかってしまう。
あまり時間を掛けないほうが良い気がした。
「どうされました?早く呼んで来ていただけると——おや?」
「どちら様ですか?」
しかし、迷っているうちに人形から追撃が飛んでくる。すると今度は後ろから安心する声が聞こえてきた。
「シルフィアおばちゃん!?」
今日みんなで遊んでいたのは家の近くだ。子供たちの遊び声が遠くなったのを聞いて様子を見に来たのだろう。
「どうも。俺たちは簡単に言えば王国に仕えてる立場のもんだ。今日は勇者の野郎に用事があってな。いるんだろここに」
「勇者様は今出掛けております。しばらく戻る事は無いので一旦お引き取りを」
いつもより声も顔色も硬い。自分と同じでこの人たちが危ないときっと気づいているのだ。
鎧が肩すくめて人形へ向き直る。
「だとよ。どうする」
「嘘をつかれてる可能性が高いでしょう。匿うように指示されているのかもしれませんから」
「なるほど、それは面倒だな」
「そうでもありませんよ。とりあえず一人殺してください」
人形のあまりにも自然に流れでた殺意の言葉は咀嚼するのに時間が必要だった。一緒に来ていた鎧さえこの時ばかりは仲間なのかと勘違いしそうなほどの沈黙を見せる。
しばらくして、鎧が大げさに驚いたように手をあげてみせる。
「マジかよ、仕方ねーな。わりーな嬢ちゃん。ちょっとどいててくれ」
大きな手甲に包まれた手が私の頭を軽く撫でながら押しのける。こわい。脚がすくんで私は何も出来ない。声が出ない。
髪を上げられたことによって耳が露わになる。
「お?なんだ獣人だったのか」
「いえ、魔族の灰狼種ですよ。珍しい、この子にしましょう。こういったレアモノは個人の財を豊かにしますが、制御が効かないので国にとっては毒でしかありません」
「流石は暗部様。俺もあまり人の事言えたもんじゃ無いが、人の心が無さすぎる」
「あなた、そこの女性を殺そうとしましたよね。この中で一番ありえない選択肢です。大人と子供なら殺すべきは子供です。復讐心とは面倒なんですよ。子供特有の成長期は厄介で復讐心を糧にありえないほど大きく成長してしまうものです」
「その為に俺がいるんだろう?まあ、いい。暗部の判断は国の判断ってのは昔から言われてきたことだ。従ってやるよ」
話が終わったのか鎧が自分のもとまで歩みよってくる。難しい話はわからなかったが自分が狙われていることだけは分かった。
「ところで一人で良かったよな?」
「ええ、十分です」
良かった。誰かが傷つくよりずっといい。誰かを襲うより誰かに襲われるほうがずっと気持ちが楽だった事に気づいた。
あの日子供にも狩りを教えるためだと言われた。怯えた人々の顔も覚えている。その中に私にとって今は大切な家族となった人の事も。
ちゃんと覚えている。
視界いっぱいに広がった鎧が、その背丈ほどもある大剣を背中から外し振りかぶる。
随分と遅く見える。恐怖で足に力が入らない。立っているのがやっとだった。
「ダメ!!!」
ナニカの重たい音とともに力強い声が一瞬で自分を現実へと引き戻す。
そうだ。逃げなくては。みんなで逃げないと。
雰囲気に完全に呑まれていた自分がようやく我を取り戻した時、辺りには真っ赤な海が広がっていた。
赤い。赤い、い赤い赤赤い赤いあかい、アカイ?
痛くないのにあかい。なんで、なんで大好きになった人が倒れている。なんで、わたしの事を想ってくれた人が倒れている。
焦点が再びぶれ始め、めまいと吐き気で立っていられなくなる。べちゃりと水気を含んだ不快な音と、嗅いだ事のある異臭が鼻を刺激する。
知ってる。自分はこれを知っている。
「シルフィアおばちゃん……?」
返事はない。分かっている。
「どうして……、どうして、なんで!!……お母さん!!」
この匂いがした時はいつも自分は一人なのだ。
「あちゃー、別のやつ切っちまったー。でも一人死んだしこれでいいかー」
やけに棒読みな声があたりに響く。
「将軍、あなたその人が庇いに来るとわかっていて切りましたね」
人形が渋い顔をしながら問いかける。
「いやいや、そんなまさかー?」
「苦しまないよう一撃で死んでいる。彼女が庇いに来ると分かっていなければ出来ない芸当です。その娘に情でも湧きましたか?」
「そうだなぁ」
噛み締めるような声が響いた。
鎧にとって何がそんなに満足したのか清々しそうに天見上げいる。
「お母さん、か。やっぱ他所の子の面倒見てたって訳じゃ無さそうだな。そんな気はしたけどよ」
何がそんなに嬉しかったのか、口角が上がったような喋りはとても不快だ。
「なあ嬢ちゃん、俺は帝国にいる【将軍】グレイスってんだ。俺を殺すにはとんでもなく強くならなきゃならねぇ。灰狼種で良かったな、かなり強くなれるぜ」
次いで天を仰いだのは人形だ。額に手を当て頭痛を抑えるようにさすっている。
「バカな事は知っていました。が、あなたは本物の大バカです。まさか、強いやつと戦いたい。それだけの理由で?」
「バカにすんな、とは言わねぇよ。けど、理由はそれで十分だろ。こいつほ未来への投資だ」
鎧が笑う度ガチャガチャと揺れる金属音がなる。
「はぁ、その獣人も殺して下さい」
「嫌だね。一人で十分つったろ?俺はこれ以上の殺しをするつもりは無え」
「なら私が殺します」
「ハッ、なら俺とやり合うか?いいぜ!俺はお前ともやってみたかったからな!」
「あなたは本当に馬鹿ですね。初めて私と会った時自分で言ったことを覚えてないんですか?」
「あ?」
「私とやっても面白くなさそうだと。その通りですよ。私が磨いてきた事は戦う為の物じゃない。ただ殺す為だけの力です」
いきなり息ができなくなった。
大好きになったお義母さんが一気遠くなってしまう。何が起きたのか理解できぬまま脚をジタバタと動かすが空を切るばかりで何の解決にもならない。苦しさと悲しさでぐちゃぐちゃになった視界の下、自分の何倍も大きいと思っていた鎧の大男が呆気に取られたように下からこちらを見上げている。
憎い。あいつが。私が強ければ。
いつか強くなれればなんて間違いだ。
今強く無ければなかったのだ。
「良い目だ。けど悪いな嬢ちゃん、助けられそうにない」
鎧へとめいいっぱい手を伸ばす。
出ろ。なんだって良い。何が出ても良い。今はただ力が必要なのだ。炎でも見えない潰す攻撃でも。
「れっ…ろ!」
声がろくに出せないまま掠れた声で必死に叫ぶ。
瞬間、鎧の足元から噴出するように炎が溢れ出した。次いで一気に周辺の温度が下がり霜があたりにでき始める。
人形の指からでた一本のきらきらと光る線が、頭上の木の枝を介して自身の首元へと繋がっているのが見えた。
景色が切り替わるようにして彼は一瞬にして現れる。
顕になった線を短剣で切り、突如の事態に反応の遅れた人形の腹へ回し蹴りが叩き込まれた。見た目通りの軽さだったのだろう。勢い良く飛んでいった人形は無人の納屋にぶつかり派手な音立ててようやく止まった。
息苦しさが消え自由落下するかと思えば、ふわふわと空を漂い優しくお義母さんの近くへ降ろされる。
何が起きたのか必死に頭を働かせようとするが、視界は俯いたまま顔を上げる気力が湧いてこない。
見えるモノは変わらず、絶望が頭をただひたすらにノックする。
頭が重い。痛い。
「やだよ。もう一人にしないで……」
悲しくて悔しくて仕方がない。
無意味に流れ出る涙にさえ怒りが湧いてくる。
必死にしがみついた服の裾は、赤い水気を多分に含んでおりグショリと鈍い音がなった。




