第6話 公爵令嬢は図書館を訪れる
クラリッサの家庭教師としての仕事は順調……とは言い難い。
礼法の授業は問題ない。
淑女の嗜みである刺繍や、花の扱い、絵画や文学への知識なども、訊かれたことによどみなく答えられている。
帝国語も、たまに指導の仕方に悩むことはあっても、問題なく教えることができている。
問題は、基礎課程である。
数学は確実にソフィア様の方が上である。だが、これはソフィア様自身があまり気にされていない。
――わたくし、これなら独学で行けそうですわ
と、教本と問題集をもとに自主学習にやる気を見せている。
ソフィア様の数学のノートを覗かせて頂くと、アリスさんの筆跡が見受けられて、ちょっとだけクラリッサはショックを受けている。
それ以外の、地理、歴史、基礎政治学がクラリッサを苦しませる。
そもそもの発端は。
――新聞などからも知識を得ることは大事です
これはお母様とイヴリン先生からの受け売りだった。
そして、二人が大事だというのだから大事なのだろうと、クラリッサはそれをソフィア様にも伝えた。
だが、クラリッサは大きな勘違いをしていた。
新聞は、いや、すべてのものは、読んで終わりではなかったのだ。
ソフィア様は、それを体現される方だった。
――キングスフォード大橋が完成すると、どうなりますの?
授業の合間に、ソフィア様が質問された。
ソフィア様の手元には新聞があり、同じものをクラリッサもすでに読んでいた。
だから。
――キングスフォード大橋が開通すると、北部と王都の移動が容易になりますわね
――それは新聞を読めば分かりますわ
クラリッサは目からうろこが落ちた。
新聞を読んでも分からないこと。ソフィア様は、そこを考えている。
――移動が容易になると、どのような効果があるんですの?
クラリッサは焦った。
だが、目の前の瞳はキラキラとしている。
先生として、クラリッサは答えなくてはならない。
――ら、来週までお時間いただけます?
――はい! もちろんです
ソフィア様の琥珀色の瞳は、曇ることなく美しかった。
* * *
家に帰り、クラリッサは改めて新聞を読んだ。
北部のキングスフォード大橋の開通は、大きな見出しで書かれている。
それだけ重要な話なのだ。
キングスフォード大橋は、ハイアム地方とキングスフォードの街の間にある大河アルダー川に架けられる橋だ。ハイアム地方は特産品が多く、小麦、羊毛、乳製品、木材など国の経済に大きな影響を与えている。その地方と他の地域が繋がれば、それはいいことである、というのはクラリッサにも分かる。
(……この回答でいいのかしら)
新聞を読み、家にある資料から考え抜いた結論だ。
(ダメだわ)
自分でもまだ納得ができていないのに、これを最終回答としてソフィア様に伝えるのは違う。
(きちんと、この問題について考えなくては)
クラリッサは明日図書館に行くことを決め、手帳を閉じた。
* * *
「お兄さま、今度はここを教えて?」
ソフィアは数学が好きなのか、夕食後に必ずアリステアのところに解けなかった数学の問題を持ってくる。
何故アリステアに訊くのか?と最初は拒否しようとしたのだが、アリステアは思い出したのだ。ソフィアの先生である公爵令嬢の、数学の成績を。致命的なまでに数学との相性が悪かった。
仕方なく、アリステアはソフィアに数学を教えていた。
「どれだ?」
「これですわ」
(……絶対に彼女には無理だな)
簡単な問題をソフィアは悩むことなく解いている様子だ。いつも躓くのは、かなり面倒な応用問題だけ。それだって、少しの助言でスラスラと解いていく。
「……そう言えば、この間先生がお兄さまの字に気づいてましたわ」
「……」
「ふふ、悔しそうな顔を一瞬されて」
(……うちの妹は悪魔か)
「とっても可愛かったですわ」
これは確実にアリステアに対する煽りだ。
なにやら期待をしているようだが、その期待にアリステアは応えるつもりはない。
「それは良かったな」
「……お兄さまは全然可愛くないですわ」
煽りに乗らないアリステアを詰まらないと感じているのだろう。本当に生意気な妹だ。
「それはいいが、お前あんまり先生を困らせるな」
「……お兄さま、今のはとっても可愛かったですわ」
つい付け加えてしまった一言に、ソフィアが満足そうに笑ったので、アリステアはその鼻をむぎゅっとつまんでやった。
* * *
ソフィア様から質問を受けた翌日。
「二人ともここで待っていて」
クラリッサは図書館に来ていた。
入り口近くにある『控室』に侍女と護衛騎士を置いていくつもりで、二人にそう声を掛けた。
しかし、護衛騎士は頷いたのだが、侍女のイーディスは頭を左右に振った。
そもそもイーディスはお母様の侍女なのに、図書館に行くとお母様に伝えたら、クラリッサの侍女のマリアではなくイーディスを連れて行くように言われたのだ。
「お嬢さま、わたくしは付いてきますので」
「でも、かなりウロウロすることになるかもしれないのよ?」
目的の本がどれなのかも分からない、そんな状況ではどのくらいの時間を図書館で過ごすことになるのか。イーディスをそれに付き合わせるのは違うと思ったのだが。
「何かあっては困りますから」
そう言ったイーディスに、なぜか護衛騎士も頷き、
「私はこちらで控えさせていただきますが、侍女はお連れ下さい」
と続けた。
そこまで言われればクラリッサとて反対することはできない。
護衛騎士を控室で待たせ、イーディスを伴って図書館の奥へと進んだ。
* * *
クラリッサは予想通り図書館内をウロウロしていた。
王宮の大ホール以上に広い館内。
天井は高く、大きな窓は琥珀色を基調としたステンドグラスとなっていて、外からの光をやわらかに館内へと届けている。
書架は等間隔で配置され、人が通る通路は広めにとられていた。
平日の昼ということもあり、さして人は多くない。その中で、侍女を連れて館内を迷うように歩いているクラリッサの姿は、本人は気づいていないが、かなり目立っていた。
(最新グランデルウッド王国地理、これは間違いないと思うの)
クラリッサは既に一冊の本を腕に抱えていた。
かなり分厚いが、その分だけ色んなことが書かれていそうである。
(……王国街道及び河川航路図、こんなのもあるのね)
グランデルウッド王国地理のすぐ近くにあり、目について軽くペラペラとめくった。なんとなく関連性があるかもと、そのまま手に取った。
(あとは……なにが必要なのかしら?)
書架に並ぶ本の書名を見れば、ピンとくるものがあるかもしれないと、ずーっとウロウロしているが、これ以上のものが見つからない。というか、もう本当に分からない。先ほどからイーディスが何度か声を掛けてくるが、それに返す声も段々と投げやりになってしまう。
――分からない時は、司書に訊けば教えてくれる
学園の夏休み前、試験勉強をしていた時に、アリスさんはそう言った。
それは学園の図書室の話ではあったが、でも、図書館だって同じはず。
受付カウンターには司書らしき人の姿があった。
「よし!!」
「お嬢さま?」
「行きますわよ!」
クラリッサは気合を入れてカウンターへと向かった。




