第5話 公爵令嬢は久しぶりに『先生』に会う
今日は、公爵令嬢とサロンで会う日。
学園卒業前に『必ず二週に一回会う』という約束をさせられた。
「……お兄さま、まさかその格好でクラリッサ先生に会うつもりですの?」
家を出る前にソフィアに捕まった。
(……何故知っている)
誰にも告げていない。こっそりと行く予定だったのだ。
「クラリッサ先生はお兄さまに会うのをとても楽しみにしていますのに」
当の本人がバラしていた。
(まぁ……向こうは俺と二人で会うことにどんな意味もないからな。ただ学生時代の延長というだけだ)
ソフィアを無視してそのまま家を出ようとしたのだが、がっつりとロングコートを掴まれた。
「おい」
「髪がそんなんなんですから、せめて身だしなみぐらい気をつけてください」
強く引っ張られて、自室へと戻される。
だが。
「……お、お兄さま!! まともな服が一着もないじゃありませんか」
「別に人に会うのには困らない」
「信じられませんわ!! 淑女に、それもクラリッサ先生のような極上のご令嬢に会うのに、そんな……そんな格好で!!」
一人打ちのめされているソフィアを今度こそ置いて、アリステアは家を出た。
* * *
クラリッサは部屋の鏡の前で、服装のチェックをする。
「お嬢さま、他の外出用のドレスもございますのに、そちらでよろしいのですか?」
侍女のマリアがクローゼットから何着か取り出して、ベッドの上に並べていく。
けれどクラリッサは頭を横に振った。
「ふふ、アリスさんに家庭教師のお洋服を見ていただくの」
前回は淡い青の服を見てもらったので、今日は二番目にお気に入りの薄紫色の服。
「そうですか……あ、髪飾りはどうされますか?」
マリアが小物入れを持って来たが、クラリッサはその中を見ることもしなかった。
「今日はいいわ。纏めたり結ったりせず、このままで行くから」
「え?」
「だから綺麗に梳いてちょうだい」
マリアは何故かとても不満そうだったが、クラリッサの髪を梳かす手はいつも通り丁寧だった。
* * *
「アリスさん」
アリステアを呼ぶ声は変わらないはずだ。
それが久しぶりだからか、妙に胸に響く。
しかも。
(……なんでそんなに無防備なんだよ)
彼女にそんなつもりは、さらさらないのだろう。訊くまでもなく分かっている。
だが、アリステアはそう簡単にいかない。
この間は少しだけ結われていた髪が、ただ流れるまま。何一つ飾らないそれが、あまりにも無防備で却ってこちらの気持ちを煽る。
(くっそ……)
思わず壁際を確認した。
(大丈夫だ、今日もいる)
この間と同じ侍女が、きちんと控えていた。
アリステアは今日も丁寧に侍女に礼をした。
* * *
クラリッサはソフィア様との授業の話をたくさんした。
ソフィア様がどれだけ熱心で、可愛いか。伯爵夫人がいつもやさしくてとても嬉しいこと。それから、ちょっと失敗していること。
とにかく、いっぱい、いっぱい話す。
話は無限に尽きない。
「そうか」
聞き慣れた、でも久しぶりのアリスさんの相槌。
短い、その相槌は、
(……お父様ほど低くはないけれど、やっぱり男の方の声よね)
穏やかな響きが耳に心地よい。
アリスさんの相槌をもっと聞きたくなって、余計にいろんな話をしてしまう。
クラリッサが話に夢中になっていると、アリスさんはお菓子を取り分けて、食べるように勧めてくれる。
(なんだか、時間が戻ったみたい)
勉強がしたくて、時間がもったいなくて、アリスさんの真似をしてクラリッサはサンドイッチを持っていくようにした。
でも今は。
少しでもアリスさんと話をしたくて、大好きなお菓子を前にしても食べる気にならない。
(……あら? わたくし……)
クラリッサは気づいた。
(淑女としてちょっと、はしたないんじゃないかしら?)
目の前の用意されたお菓子を無視するなんて、あってはならない。
しかもわざわざアリスさんが取り分けてくださっているのに。
「……どうした?」
自己反省していると、アリスさんが気づいて声をかけて下さる。
だからクラリッサは正直に伝えた。
「わたくし、アリスさんと話すのが楽しくて」
「……」
「せっかくのお菓子を台無しにするところでしたわ」
そう返せば、ふっとアリスさんの口元が緩んだ。
(うう……笑われてしまったわ)
「なら、今から食べればいいだろう?」
「ええ。そうしますわ」
クラリッサはお皿の上のケーキに視線を落とす。
大好きなイチゴのクリームケーキだ。丁寧にフォークで切り、口へと運んだ。
「ん~……」
イチゴの甘酸っぱさと、クリームの程よい甘みが綺麗に合わさって口の中に広がっていく。
「とっても美味しいですわ」
アリスさんにも同じように感じてほしくて、クラリッサは是非是非と勧めた。
* * *
楽しい時間はあっという間。
サロンの小窓からは、夕闇が見え始めた。
アリスさんがあっさりと『今日は終わりだな』と言った。
もっと話したいのに。そう言いたいが、さすがに淑女として『異性と遅い時間まで一緒』というのは、はしたないと分かっている。
「……次は、この日ですからね」
クラリッサは持ち歩いている手帳を出して、日付に丸をした。それをアリスさんに見せる。
「……これ、ソフィの学習計画か?」
「……ソフィ?」
なんだかとても愛らしくソフィア様のことを呼ばれて、思わずクラリッサは言葉を止めた。
「あ……あぁ。ソフィアの愛称でソフィだ」
「……羨ましい」
「は?」
「わたくし、愛称で呼ばれたことがありませんの」
「……そうか」
「お母様もお父様もお兄様たちも、みんなクラリッサと呼びますの」
「……」
「アリスさん、わたくしに可愛い愛称をつけてくださいません?」
「……それは、俺にお願いすることではないと思う」
そう返されて、クラリッサはそれもそうかと思う。
でもアリスさんに愛称を呼んでもらいたい。とっても可愛く呼んでもらいたい。
「わたくし、今日からソフィになろうかしら?」
「……それは何か違うんじゃないか?」
「そうですわね……」
がっかりしながらも、お母様に愛称を考えてもらおうかと思考を飛ばす。
「次は、この日か」
アリスさんが懐から出した手帳はとても小さくて、使いやすそうである。
細身の万年筆も黒で、アリスさんの雰囲気によく似合っていた。
(素敵ですわ)
クラリッサはそう思った。
* * *
「ねぇ、イーディス」
アリスさんを見送り、クラリッサはぼんやりと個室のドアに目を向けたまま、控えていた侍女を呼んだ。
「はい」
侍女がそっとクラリッサのところに来た。
「……わたくし、喋りすぎたかしら?」
「どうでしょうか?」
「でも、よく考えたらアリスさんの話、何一つ聞いてませんわ!!」
図書館でどんな仕事をしているのかとか、お友達はできたのかとか、アリスさんの新生活について何も知らない。聞かされていない。
「それは……ペンフォード様は何もお話になってませんので、当然かと」
「……聞きたかったのに!!」
イーディスははっきりは言わなかったが、クラリッサは失敗を悟る。
(……っていうか、わたくし、失敗だらけでは?)
家庭教師としても、そしてクラリッサ・ブランデルウッドとしても、失敗ばかり。
「お嬢さま」
「次はちゃんとお話を聞くわ」
そう、失敗をしたなら、同じ過ちを繰り返さなければいい。
クラリッサは、次回の約束に向けて、今からメラメラと闘志を燃やしていた。
* * *
公爵令嬢は、とにかくずっと喋っていた。
楽しそうに。
ソフィアに話を聞いていた数倍、本人は楽しく家庭教師をしているらしい。
(……愛称ってなんだよ)
ずいぶんと可愛いお願いをされ、アリステアの内心はかなり動揺していた。
だが、なんの関係性もないアリステアが彼女に愛称をつけるのはおかしな話だ。
(クラリッサ……なら)
ふと考えそうになって、そして止めた。
心の中で名前を呼んだだけで、感情が高ぶるのだ。これは続けるべきではない。
アリステアは家までの道を、ゆったりと歩く。
すこし風に吹かれるぐらいがちょうどいい気がした。




