第4話 公爵令嬢は家庭教師として順調に滑り出す!?
クラリッサが勢いよくペンフォード家へ向かった授業初日から、おおよそ一週間。
「う……」
「まだですわ、姿勢を崩さず、そのまま」
「む……無理です」
ぐらりとソフィア様の体が揺れて、頭の上に乗せた本が落ちる。
(イヴリン先生が仰る通り、辞書にしなくて良かったですわ)
クラリッサとしては重い本を乗せて安定感を持たせた方がいいかと思ったのだが、事前に学習計画を見たイヴリン先生から、本はもう少し軽めなものにするようにと言われて、淑女シリーズの『淑女のための地理』にしたのだ。
クラリッサは絨毯の上に落ちた本を拾う。
ソフィア様がぐったりとペンフォード家のサロンのソファに倒れこんだ。
「……簡単そうに思えたのに」
「そうですわね……」
クラリッサも実は同じことを思っていた。だが、現にソフィア様は苦戦されている。
何が悪いのか。
(体幹……でしたっけ?)
クラリッサは姿勢に関してはイヴリン先生よりもお母様に教わった。幼い頃からそれはもう徹底的に。その時にしたことといえば。
「ソフィア様、片足を上げて立ってくださる?」
「え?」
「このように」
クラリッサは、右足を少しだけ上げて立って見せる。もちろん揺らぐことはない。
しかし、真似をしたソフィア様は、ぐらぐらと揺れた。
「なるほど」
クラリッサは理解した。
そもそもの基礎、素地が足りていないのだ。
美しい姿勢のなんたるかをソフィア様は理解されていて、それなりには見える。だが、美しさを維持するための体にはなりきれていない。
「ソフィア様、まずは体を鍛えましょう」
「え……? ええ?」
ソフィア様は体を揺らしたまま、声をあげた。
ちょうどそこに伯爵夫人が姿を現した。
「クラリッサ先生、授業の様子を拝見してもよろしくて?」
「はい、どうぞ」
クラリッサがそう返すと、伯爵夫人は優雅にソファに座る。
そして、授業を続けるようにと手で示した。
(……アリスさんのお母様、いつ見てもお綺麗ですわ)
それに、とてもお優しい。
(契約内容の変更をお願いした時も……)
* * *
遡ること一週間ほど前。
顔合わせから三日後の、授業初日。
ソフィア様の淑女としての振る舞い、知識、それから今まで使用していた教本などを、伯爵夫人も交え確認していた。
その席で、クラリッサはお願いしたのだ。
――週三回ではとても足りませんので、週四回にして頂けないでしょうか?
もちろんクラリッサとて、言葉だけで説得できるとは思っていなかった。
きちんと練りに練った学習計画を見せたのだ。
伯爵夫人は、手帳に書かれたそれを丁寧に読み込む。
その隣でソフィア様が、背伸びするようにして手帳を覗き込んでいた。
――こちらの赤い字は、クラリッサ様のものではありませんわね
――え?
クラリッサは慌てた。
伯爵夫人から手帳を奪い、清書されたページを開いてみせた。
――こちらです
――先ほどのは?
――……すみません。計画を考えている時のメモでして。赤い字はイヴリン先生が指摘して下さった箇所です
早々に失敗をしてしまった。
(うう……やっぱり手帳は二つ必要かしら?)
帰りに文具屋に寄ることを決意した。
――とてもよく分かりましたわ
伯爵夫人は、完璧ではないクラリッサに、とてもやさしく微笑んだ。
――週四回でお願いします。そもそもはソフィアの希望ですから。契約書も書き換えましょう。
そう言われて、クラリッサはお母様とイヴリン先生から注意されたことを思い出す。
――あの、持ち帰ってもいいですか?
そう訊いたら伯爵夫人は、ふっと笑って、『もちろんですよ』と返してくださったのだ。
* * *
「こうしてみると、まだまだでしたのね」
しばらく静かに授業を見ていた伯爵夫人が、そう言った。
「ええ……恥ずかしいですわ」
ソフィア様が頬をうっすらと染める。
「大丈夫ですわ。これから鍛えていけばいいのです」
クラリッサがそう言えば、すぐにソフィア様の瞳が輝く。
「はい! 学園入学までにはまだ時間がありますもの」
元気を取り戻したソフィア様が、先ほどと同じように片足立ちを始めた。
「足は思い切り上げない方が効果がありますわ」
「……そうですの?」
「ええ、上げるときも上品に」
「う……そうですわね」
「どんな時も綺麗な姿勢を意識して」
「は、はい」
「鍛えるといっても、強くなるためではありませんの。美しくなるためですから」
「はい!!」
ソフィア様の返事は、とても心地が良かった。
* * *
その頃、アリステアは図書館の資料室で分厚い台帳をめくっていた。
『行方不明の本』の所蔵番号を、台帳の中から探し出す作業だ。
それも必ずあるとは限らない。気の遠くなるような作業ではあるが、だいぶ慣れた。
「ペンフォード君、疲れたら休んでいいんだからね」
「はい」
「……っていうか、君、よくこんな仕事文句も言わずにできるね?」
「……はい?」
目の前で同じ仕事をしているはずの室長から言われて、アリステアは首を傾げる。
「前任者も、そのまた前任者も、その前の前も、とにかくみんな嫌がったんだよね」
(まぁ……分からなくもない)
きちんと『行方不明の本』を見つけ出せれば、それなりの達成感はある。ただ、目は疲れるし、一階の書架を探すこともあるので、意外と地味に大変なのだ。
(……他の仕事を知らないから、比較はできないが)
「しかもすごいよね。新人とは思えないスピード」
「……そうですか?」
「ん、おかげでとても助かっている」
「それは良かったです」
「来週からは、こっちも手伝ってね」
そう言って室長が示したのは、室長の机の上の箱。優先度が高い方だ。
「……そちらの優先度の高い箱の中を全部片付けてから、こちらの箱を処理することになるんですか?」
「ん~どうしようかなぁ。その辺は来週までに考えとくよ」
「お願いします」
そこで会話を切って、アリステアは再び台帳へと視線を落とす。
「君、もう少し会話を楽しまない?」
仕事には関係が無いと判断して、アリステアは室長の問い掛けを無視した。
だが脳裏に一瞬だけ、公爵令嬢の顔が浮かぶ。
彼女なら、意気揚々と会話をするのだろう。
――お兄さま、クラリッサ先生が……
家に帰ればソフィアが聞いてもいないのに、その日の出来事を聞かせてくる。
(今日は授業の日だしな)
長話に付き合わされそうだ、とアリステアは思った。




