第32話 公爵令嬢は何も知らない
休んだ翌日、アリステアは何食わぬ顔で出勤した。
ドアを開けた瞬間、室長の視線を感じたが、室長は何も言わなかった。
アリステアはいつものように仕事を進めた。
『四季の花冠』の依頼は敢えてそのままにした。
そうして昼頃。
アリステアが休憩室に行こうとした時だった。
トントントンとノックの音。
室長もアリステアも何も答えない。
それがこの資料室の当たり前だった。
だが、開くはずのドアが開かない。
ドアのすぐ近くにいたアリステアは手を伸ばし、ドアを開けた。
「……呼んだ割に、歓迎が足りなくない?」
目の前にいる男は、栗色の髪。
だが、声は明らかにアーサー殿下の声だった。
* * *
「さて、言われた通り来たけど?」
エドガー・クロフォードはその男が誰なのか知らない。
随分と大きな態度でアリステアと向き合っている。
よく見ると彼と一緒に来たと思われる背の高い男が、資料室のドアを閉めている。
横柄な態度の男が、室内を見渡す。
そして、エドガーと目が合うと。
「ああ、君がエドガー・クロフォードか」
その青い瞳は鋭く、エドガーは何故か寒気がした。
「……殿下、来ていただきありがとうございます」
「ん。良かった、歓迎されてたんだ」
「当然です。……完璧な変装ですね?」
「僕もそう思ったんだよ! 君のおかげで新しい趣味に目覚めそうだ」
「……護衛が泣くのでやめたらいかがです?」
「君がそれを言うの? で、なんの用?」
エドガーは今度は違う意味で背筋が凍る。
(殿下って……まさか、アーサー殿下なのか?)
まじまじと栗色の髪の男を見る。
すると殿下と呼ばれた男はにっこり笑って、栗色の髪に手を掛ける。
それが取り払われ、零れ出たのは、金の髪。
エドガーは不敬とかそんなことも考えつかないまま、呆然と見つめてしまった。
「早速なんですけど」
動きを止めているエドガーとは対照的に、アリステアは殿下を自席に座らせ、そして一枚の依頼書を見せた。
(あ……!! まさか、それで)
エドガーはようやくアリステアの意図に気づいた。
* * *
(……面白いな)
アーサーは先ほどから、なんだかよく分からない紙を見せられ、話を聞かされる。
そもそも呼び出された時点で面白かった。
――僕が? 資料室に? こっそりと?
『なにそれ、面白い』以外の感想はなかった。
あのアリステアが呼び出すのだから、よほどの用なのかと思わなくもないが、それよりも発想がいい。普段は筆頭公爵家との繋がりも、王太子であるアーサーとの繋がりも無視しているようなものなのに、今、この時に、使うのだ。
しかも一方的。
話はとても簡単で、アリステアが探している『四季の花冠』という本が、図書館から紛失し、オークションに出されている可能性があるというもの。
それから、そういった紛失が多すぎるのが気になるというもの。
「アリステア」
「なんでしょうか?」
「なんの証拠もないのに、僕を呼んだの?」
「ええ」
「……普通、躊躇わない?」
「躊躇おうかとも思ったのですが、これ以上、俺……私には無理なので」
「だからって」
「室長に言っても、のらりくらりと躱されて話になりません」
(……すごっ! それで僕を召喚しちゃうんだ)
ちらりと室長を見れば、無表情だ。
(ふーん。こっちも面白い)
アーサーはとても楽しくなってきた。
「まあ、いいや」
「良いのですか!?」
とうとう護衛が我慢ならないとばかりに声をあげたが、アーサーがいいと言っているのだからいいに決まっている。じろりと睨んでおいた。
「とりあえず、アリステア」
「はい」
「これは僕が預かるね」
アーサーは、アリステアが持っていたよく分からない紙を手に取った。
そして、室長へと視線を向けた。
* * *
友人だという噂が真実だと、今、目の前で証明された。
王太子殿下にどこまでも不敬な、エドガーの部下。
信じられないほどに通常運転だった。
上司を敬っていないのではなく、あれが、彼の普通だと納得せざるをえない態度。
「さて、エドガー・クロフォード」
アーサー殿下の目がエドガーに向けられる。
先ほどと同じ鋭い眼差し。
自分とアリステアとで、明らかな差があった。
「君は、何を知っている?」
エドガーは全てを言いたかった。
だが、エドガーにとって正義や責務、命令よりも家族が大事だった。
妻と、娘がなによりも大事だった。
エドガーは下唇を噛んだまま、殿下が諦めるのを待った。
「……ふーん、君も頑固かぁ」
一体なにと比べたのか。
「君の家族だけど」
バッとエドガーは顔を上げた。
「君の家族と、ペンフォード君の家族が監視されていることは知っているし、すでにこちらで手を回している」
「……え?」
「奴らも馬鹿だよね。アリステアは僕の……というか、クラリッサのお気に入りなのにさぁ。クラリッサが影もつけられずに野に放たれるわけないじゃん」
アーサー殿下が呆れたように話しているが、エドガーは理解ができない。
「クラリッサの護衛範囲内に、アリステアを監視してた奴らが入り込んじゃったから、こっちは逆に追跡するに決まってるじゃん。それで、エドガー・クロフォードの一家も監視されていることが分かって、保護対象にしたんだよ。でも、なんで監視されているのか理由までは分からなかったから、奴らをそのまま放置してたんだよね」
「……殿下、初めて聞く話なんですが?」
エドガーの部下が不満そうな声で殿下に声を掛けている。
「一応、注意はしたよね?」
「……監視されていたという話は聞いていませんが?」
「え? そんな雰囲気出したよね?」
「……公爵令嬢と会うべきではなかったのでは?」
「だから言ったよね。普通に生活しないと、奴らを刺激するって」
「……」
彼の不満は解消されていない。だが、殿下はいい顔で笑っている。
「というわけで、まぁ、あとはこっちで引き受けるよ」
アーサー殿下がにこやかに告げる。
そして、もう一度エドガーに声を掛けてきた。
「さて、あんなに監視されているんだ、君は何かを知っているよね?」
エドガーは降参した。
アーサー殿下と、その隣に立つ部下を見た。
(……やっと、終わる)
飄々とした二人の若者の姿に、安堵のため息が零れた。




