第30話 公爵令嬢はむずむずする
アリスさんに会ってからクラリッサは絶好調だった。
そして、ソフィア様も絶好調だ。
「クラリッサ先生。この記事、お兄さまの力を借りずに一人で訳せましたの」
帝国語の授業の終わりに、ソフィア様が嬉しそうに報告してきた。
その手には以前の帝国の新聞がある。
「まぁ、素晴らしいわ。それでは早速、この記事を読んで、訳を聞かせてください」
クラリッサがそう言うと、ソフィア様は興奮で頬を染めたまま、帝国語でたどたどしくも読み上げ、それを王国語にきちんと訳した。
そこでクラリッサはさらに踏み込んでみた。
「では、読んだ感想を帝国語で」
「え?」
「間違えてもいいのです。そうですね。まずは単語でいいです」
「えっと……『お、面白かった』」
「次に一文でいいので、文章にしてみましょう」
「『お、面白い……宝石が、本にある、のは、面白い?』」
「『本に本物の宝石が散りばめられているのが、とても興味深いです』ですね」
「……全然、何を言っているのか、分からないわ!!」
「ふふ、聞き取れた単語は?」
「あ、先生もう一回」
「はい。『本に本物の宝石が散りばめられているのが、とても興味深いです』」
「えっと……『本』『宝石』『面白い』……『真実?』」
「素晴らしいですわ。かなり聞き取れています」
「そうですの?」
嬉しそうなソフィア様をぎゅっと抱きしめたくなる。
(アリスさんがソフィア様を可愛がる気持ちがよく分かりますわ)
一度も見たことのない、兄妹の戯れを勝手に想像してしまうクラリッサであった。
* * *
一方、その頃。
アリステアは資料室で『依頼書』を室長に見せていた。
「……諦めないね」
「どうしても読みたい人がいるみたいですね」
『レイヴンズクロフト博物誌――彩色原本』が、また紛失書として探されることになった。
「これって、そもそも探している人には、どのように伝えているんですか?」
「さぁ? それは司書室の仕事だから考えたことがなかったな。ウィンスロー君に訊けば分かるんじゃない?」
「……」
「それ、僕がもう一度調査するよ」
室長がまた、アリステアの手から『依頼書』を奪う。
「……調査する意味、あります?」
「君の気持ちは分かるけど、こっちも少しぐらい熱意を見せるべきだろう?」
「……少し」
「そう、少し」
「……では、他の本を探すとします」
そうしてアリステアが新たに手にした依頼書には、『四季の花冠』の書名が記載されていた。
* * *
それから数日。
アリスさんとのサロンの日。
今日もクラリッサは、お母様、マリア、イーディスの手を借りて、完璧な淑女になろうとしていた。
「お母様!」
「どうしたのかしら?」
「アリスさんの好みは、以前の大人っぽい方なのです」
お母様の視線がちらりとイーディスへと向けられた。だが、イーディスは頭を縦にも横にも振らなかった。
「まぁ、貴女がそう感じたなら、そういうことにしましょう」
なぜ納得してくれなかったのかは分からない。
それでもお母様はクラリッサの意見を取り入れてくれた。
「あと、口紅はこの間のがいいです」
「青みがかった大人っぽいのね」
「はい!」
「アリスさんの好みにしましょうね」
「はい!」
クラリッサはアリスさんに会うのが楽しみでしょうがなかった。
* * *
「アリスさん!」
聞き慣れた声と口調に、アリステアは安堵した。
(……何が諦めただ)
アリステアに会って純粋に嬉しそうにする彼女に、自分の弱さを痛感せざるをえない。
あの夜会の日、彼女を諦めたはずなのに、結局諦めることなどできずにいる。
きっとアリステアは、このまま一生、彼女の笑う姿を眺めているのだろう。
……遠くから。決して届かない距離から。
(それでもいいか)
抗うのも疲れてきた。
「で、今日は?」
「まぁ? アリスさんにしては積極的な切り口ですわ!」
ローズピンクの瞳が生き生きと輝く。
それを見て、アリステアは口の端をわずかに上げた。
* * *
(……なんか、ムズムズしますわ)
クラリッサは、ケーキを食べつつ思う。
本日のケーキは夏らしい、レモンのチーズケーキ。
さっぱりとした味わいで、これならアリスさんも好きかもしれないと、サロン側にお願いしていたのだ。ただ、食べているアリスさんの様子からは気に入ったのかそうでないのか分かりづらい。なんとなく、なんとなく、いつもよりは食べ進めるスピードが速いような気がする、程度である。
ではなく。
上手く言えないのだが、クラリッサはむずむずしている。
向かいでアリスさんがケーキを食べているだけで、クラリッサの話を聞いてくれているだけで、なぜかムズムズする。
嫌ではない。むしろ、むずむずして、なんだか嬉しいのだ。
「……どうした?」
考え事に夢中になっていたクラリッサを、アリスさんが不審そうに窺っている。
目は見えなくても、これは声で分かる。
「いいえ、なんでもありませんわ」
そう答えながら、クラリッサの口元はついつい緩んでしまった。
* * *
公爵令嬢はぼんやりとしていたが、
声を掛ければ、ハッとしたように我に返り、なぜかとても嬉しそうに笑った。
それから思い出したように、ソフィアとの授業の話をし始めた。
「宝石が散りばめられた本があるなんて、驚きましたわ」
彼女のその言葉で、アリステアはふと、この間まで捜索していた『四季の花冠』を思い出した。
「四季の花々を紹介しつつ、花をイメージした宝石で彩っているんですって。一度見てみたいですわね」
その言葉にアリステアは驚いた。
それはまさに『四季の花冠』そのものだ。
(たまたま……いや……だが)
『四季の花冠』は、宝石が使われているため、そもそも数が少ない。
「どんな内容の記事だったんだ?」
「え?」
「今の本の話だ」
「たしか……その本が帝国のオークションに出されたという話でしたわ」
「帝国の……」
「ええ。……あ、そういえばグランデルウッド国の本だとも書かれていましたわ」
「書名までは、さすがに分からないか」
「いえ、分かりますわ。短くて覚えやすい名前でしたから。『四季の花冠』という書名です」
「……」
「アリスさん?」
「あ……すまない」
「いえ……帰られます?」
アリステアのただならぬ様子に、彼女にしては珍しくそう提案してきた。
その思いやりに、アリステアは口元に笑みを浮かべる。
「いや」
「……良いのです?」
「あぁ、別に今すぐ知る必要は無いし、その新聞はソフィが持っているのだろう?」
「ええ」
「なら、家に帰ればすぐ分かることだ」
そう返すと、彼女は嬉しそうに笑った。




