第29話 公爵令嬢はサロンで会う
今日は、約束の日。
クラリッサはベッドに並べられた外出用のドレスを前にして、悩んでいた。
どれでもいいってマリアに言ったのに、マリアは「これも可愛いです」「こちらも素敵です」と広げていくばかりで、決めてくれない。
どうしようかと考えていると、お母様がやってきた。
「あら? まだ服を決めていなかったの?」
「……」
「どれもお嬢さまにお似合いで、悩んでしまいます」
マリアの声はとても弾んでいた。
「そうね」
「……お母様。わたくしどうしたらいいのか」
「あら、今まではどうしてたの?」
「……でも、アリスさんはわたくしのことを嫌いかもしれないですし」
「なるほど。……それなら、好きになってもらいましょうか?」
「え?」
唖然とお母様を見れば、当然とばかりに微笑んでいる。
「とっても簡単でしょう?」
「そ……そうでしょうか?」
「アリスさんはどんな感じが好きかしら?」
「……分かりません」
いつも物静かで、好き嫌いはあまり見せてくれなくて、でもアールグレイは好き。ハーブティも割と好き。お菓子には興味がなさそう。本は好き。人がいないところが好き。
「……全然、分かりません」
「あらあら、困ったわね」
「あ……ソフィア様のことはとても可愛がっています」
「まぁ、じゃあ妹作戦でいく?」
「……なんですか、それ?」
「ソフィア様のような可愛さを狙っちゃいましょうか?」
「あの……意味が分かりませんが?」
「分からないのなら、まずは探るところからよ。探るには、ひとつひとつ試さなくてはね。というわけで、まずは妹作戦よ」
「……お母様」
戸惑っていると、お母様がクラリッサをやさしく抱きしめてきた。
「ねぇ、クラリッサ」
「はい」
「人と向き合うということは、楽しいことばかりではないわ」
「……」
「それでも、その人と一緒にいたいと思うなら、努力をしなくては」
「……努力」
「そうよ。好かれる努力。愛される努力。大事に思う努力」
「……」
「まずは、好かれるところから頑張りましょうね」
クラリッサはお母様の言葉に小さく頷いた。
* * *
サロンの個室の扉をノックしようとする支配人の動きを手で制した。
アリステアは、扉の前でゆっくりと深呼吸する。
そして、自身の手でノックし、扉を開けた。
「……アリスさん」
いつもより控えめな声が、アリステアの胸を突く。
立ち上がってアリステアに挨拶をするその手が、微かに震えている。
「こちらの都合に合わせてしまって、申し訳ない」
「……い、いいえ。元々、わたくしのわがままに付き合っていただいていたのですもの。そのお礼というか、お返しというか」
彼女の言葉がそこで詰まる。
戸惑うような瞳に胸が痛くなる。
突き放したはずなのに、伸びてしまいそうな腕に力を入れる。
「いや……いつも楽しい時間を過ごさせてもらっていた」
「……そう、ですの?」
「ああ」
決して嫌ではなかったのだ。彼女にはなんの落ち度もない。
ただ、アリステアが耐えられなかった、それだけなのだ。
「……わたくし、努力しようと思いますの」
彼女が小さくぽつりと零した。
「努力?」
いつだって彼女は努力している。
ソフィアの家庭教師として、それはもう必死に。
家庭教師の仕事が無い日は、ほぼ毎日と言っていいほどに図書館でその姿を見かける。重い本を抱えて、閲覧室でページをめくり、ノートに書きこんでいる彼女を何度も見た。
そんな彼女がこれ以上何を努力するというのか。
「ええ、アリスさんに好かれる努力ですわ」
息が止まるかと思った。
真摯なその心が、眩しくて痛い。
(……何も、伝わっていない)
自分の気持ちに気づかれていないと安堵すべきなのに、苛立ちが勝る。
それでもこれ以上彼女を傷つけたくなくて、アリステアは曖昧に笑った。目元は見えないだろうが、口元だけで彼女に伝わるはずだ。
「今日は、ソフィア様を意識してみましたの」
唐突な話題に、アリステアの頭の中に大きな疑問符が浮かぶ。
「アリスさんが大好きな方の中で真似できるとしたら、ソフィア様ですから」
あまりのことにアリステアは息が詰まった。
胸が熱くなって、苦しくなる。
(なんだよ……!! 可愛すぎだろ)
結局、彼女は何一つアリステアの気持ちを理解しないまま、煽りまくるのだ。
これでは少し大人しくなったぐらいで、今までと変わらないと思った。
* * *
アリスさんは、いつもと変わらない気もした。
クラリッサにお菓子を分けてくれるのも、静かにアールグレイを飲むのも。
こうして向き合ってみると、何も変わっていないような気もして、クラリッサは不思議に思う。
(……もしかして、わたくしが変わったのかしら?)
でも、一体なにが?
クラリッサがここ数ヶ月で変わったことといえば、ソフィア様の家庭教師として頑張っていることぐらいで。
(あとは……そうですわね。夜会デビューを果たしたぐらいですわ)
ちょうどその頃に、クラリッサは大人であることを意識し始めた。
大人の女性になろうと思った。
(……もしかして! 子供っぽい方が好きなのかしら?)
クラリッサはひらめいた。そして、アリスさんに確かめることにした。
* * *
「アリスさん!」
唐突にいつもの勢いを取り戻した彼女に、アリステアは嫌な予感を覚えた。
「アリスさんは、子供っぽい方が好きなのですか?」
「は?」
「わたくしが大人っぽい装いをしたら、なんだか冷たくなった気がしますの。ですから」
壁に控えている侍女が、わずかに肩を震わせたのをアリステアは見逃さなかった。
「大人っぽい装いが嫌いなのでしょうか?」
きちんと伝えなければ、彼女の中で勝手に決定してしまうことをアリステアは知っている。
「特に好みはない」
「……本当ですの?」
なぜ疑われなくてはいけない。
じっとりとした視線に、アリステアはため息を吐いた。
「でしたら、今日の服と、この間の服どっちが好きですの?」
「……」
(なぜ、女性は選ばせる!!)
アリステアは家にいる小生意気な妹を思い出す。
それから、改めて彼女の本日の装いに目を向けた。
夏らしい白を基調とし、サイドに鮮やかな黄色を配したドレス。
襟は彼女にしては珍しいセーラーカラーで、可愛らしいのと同時に。
(……鎖骨が少し見えているんだが)
アリステアはイラっとした。
(可愛いとは? ソフィアを意識した?)
ソフィアは確かにセーラーカラーが好きだ。あとフリフリとしたレースも好きだ。
だが、こんなんではない。絶対に違う。
アリステアを苛つかせたりはしない。
「……前の方」
思わずそう答えて、間違えたことに気づくが、彼女の耳に届いてしまった。
その証拠にローズピンクの瞳が真ん丸に見開かれた。
「いや……その!!」
「そ……そうでしたの? わたくしてっきり、子供っぽい方がお好きなのかとばかり」
(そもそも、全然子供っぽくない)
そうアリステアは反論したかったが、もちろん口にはしない。
誤魔化すように目の前の紅茶を飲み、ついでにケーキを一口、口に運ぶ。
(……ああ、くそ! 甘い)
好きではない。好きではないが、彼女みたいだとか、訳の分からない感情が押し寄せて、アリステアの心中は滅茶苦茶だ。
「アリスさん」
「なんだ」
「わたくし、分かりましたわ」
「何が!!」
イラっとして声をあげたが、彼女の目はキラキラと輝いている。
「アリスさんは、わたくしのことが嫌いではありませんわ」
なんで、今、その答えに落ち着いたのかは分からない。
だが、とても納得しているようだし、それによって嬉しそうだし。
そして、間違えてはいない。アリステアは、もうどうでもいいと思った。
「そうだな」
「ええ。良かったですわ」
彼女が向かいで嬉しそうにケーキを食べ始めた。
ときおりアリステアを見る瞳が、以前よりも強く何かを訴えてくる。
「なんだ?」
「え?」
「なにか言いたいことでも?」
「……アリスさん、どうされましたの?」
「……いや、気のせいだった」
「変なアリスさん」
いつもの調子の彼女に、アリステアは少し、いや、かなり、納得はいかなかったが、それでも不安そうに、どこか悲しそうにされるよりはマシだった。




