第28話 公爵令嬢は再び命じられる
「クラリッサ」
夜会から数日。
お母様がクラリッサを呼び出した。
「貴女にお願いしたいことがあるの」
お母様はクラリッサの手を引いて、ソファに座らせた。
「なんでしょうか?」
「アリスさんとのサロンでのお約束のことだけれど」
クラリッサの肩がびくりと震える。
それは本来であれば明後日のこと。
でもクラリッサはどうしたらいいのか分からなかった。
会っていいのか、会いに行ってアリスさんが来なかったら。
怖くて怖くて堪らない。
「アーサーから、必ず行くようにと」
「は?」
どうしてそこで殿下の名前が出てくるのか。
「理由は言えないのだけれど、アリスさんとの予定を変えないで欲しいの」
「……アリスさんが来たいと思っていないかもしれないのですけど?」
「ええ、たとえそうだったとしても、今までの予定を変えて欲しくないのよ」
「……言っていることが分かりません」
「これは、アリスさんにもアーサーが同じ話をしているわ」
お母様の手がクラリッサの手をやさしく撫で、包み込む。
「どうして……」
震えそうになる。
あの日の、アリスさんの声が、まだクラリッサの中に残っている。
「貴女たちになにがあったかは、わたくしは知りませんけど」
「……」
「これは」
そこまで言葉を切って、お母様は言った。
「アリスさんの、ためよ」
青い瞳がまっすぐにクラリッサを見る。
公爵夫人としてでも、お母様としてでもない。初めて見る、王女としての、王族としての、眼差しだった。
「分かりました」
クラリッサは頷いた。
不安はある。たとえ王族からの命令だとしても、怖くて仕方がない。
それでも。
(アリスさん、のため)
それならクラリッサは前を向ける。
アリスさんがクラリッサに会いたくなかったのだとしても。
アリスさんのためになるなら。
クラリッサは、予定を変えることなく、サロンに行くことを決意した。
* * *
「お兄さま」
いつものように、数学と帝国語をソフィアに教えていた。
ソフィアは数学の時には、アリステアの横に椅子を置き、きちんと椅子に座る。
だが、帝国語の時には、なぜかアリステアの膝の上に乗ってくる。
今は帝国語を教えていたので、ソフィアはアリステアの膝の上にいた。
だいぶ重くなったな……と本人にも告げたのだが、もちろん怒られた。
「クラリッサ先生が」
ソフィアの口から零れた言葉に、アリステアは思わず体をこわばらせた。
「明日は予定通りにって。お待ちしておりますって」
アリステアは喉元で息が詰まった。
ソフィアを抱きしめそうになって、なんとか堪える。
さすがに十三歳になったソフィアをぎゅっとするのはいけない。
「……お兄さま、あまりクラリッサ先生を苛めないでください」
まさかの発言にアリステアは驚く。
「クラリッサ先生、いつも通りだけど、全然いつも通りじゃないし、お兄さまの文字を見て、泣きそうになるし」
「……都合のいい勘違いをするな」
「でも笑って、わたくしに楽しそうにいろんな話をしてくれて、頑張って教えてくれて」
ソフィアと彼女が授業しているところを、アリステアは一度も見たことがない。
けれどその様子は浮かぶ。いくらでも想像できる。
「わたくしのことをたくさん褒めて下さって」
ソフィアはアリステアを見ることなく、ひたすら帝国語の単語をノートに書いていた。小さな手が、すこし太めの万年筆を握る。
以前はシンプルな黒だったそれが、いつのまにか可愛らしいピンク色。
「わたくし、クラリッサ先生が大好きなのです」
ソフィアの声には迷いがない。
アリステアは羨ましくて堪らない。同じように、自分も口にできればどれほど楽だろう。
「お兄さまは、違うのですか?」
ゆっくりとソフィアがアリステアを振り返る。
母親譲りの琥珀色の瞳は、透き通っていて綺麗だ。
アリステアは、違うとも、違わないとも、返すことができなかった。




